表情考

2006/02/06, 23:55 | 固定リンク

2月6日 月曜日 曇り 

 「結局は 飲みにも行けない この人生」 字余り。

 なんだかんだ。寒風ふきすさぶ街を走り回る。電話、メール、ひっきりなし。あるいは書類を書きまくる。もうミュージシャンがマネージャー任せって時代も終わったんだな、と実感。そう云えば、廻りのミュージシャンはみんな自分の手帳を持ってる。どーしてそんなもん、持ってんだろ?と思ってたけど、必要だ。早く気づけよ、自分。「そうだ。手帳、買おう」。

 街は寒かった。トーキョー・シティーの寒さは骨身に染みる。例えるなら、開き直れない。ニューヨーク・シティーは寒すぎて、開き直れる。でも、ロンドンとここトーキョーは心に堪える。いつもコピーだコーヒーだと、仕事場から一番近いコンビニ(駅の中にある)に、いつもの時間になると、いつものホームレスのおじさんが寝床を求めてやってくる。もう顔見知りになって、会釈くらいはする。ここで眠るってことは一体どういう事を意味するんだ、と考える。ここは自由の国だから、彼の人生は彼がつかみ取ったものだ。だから、俺がとやかく云う問題じゃないかもしれない。でも、ここで眠るってことは一体どういう事なんだろう。グルグルと考えが頭を廻って、そして分からなくなる。でも考えないよりはマシかも、と自分に言い聞かせる。ある種、彼の表情は哲人然としている。超然として見える事もある。最近知り合いになったフォトグラファーが山谷の人々を撮影しているのだが(写真展に行きたかったけど、行けなかった。次は必ず)、驚くほど凛とした表情を浮かべている。ヒエラルキーの何処が上で下なのか、俺には分からん。俺が中流なのかどうかも分からん。それは比較する対象によるし、自分の人生を誰かと比べたくもない。でも、おそらく上ではない場所から、世や我が人生やこれからを見つめるとき、俺には分からない心境になり、それがあのような表情を作るんだと思う。「幸福」って何だ?と聞かれたら、夢中になれるものがあるかないか、だと応える。そしてそれには、応分の金が必要ではある。

by 山口 洋