どうして旅に出なかったんだろう?

2006/02/13, 23:08 | 固定リンク

2月13日 月曜日 雪 

 って曲は友部さんだったよね?まさに、そんな事を想う日々。迷ってるなら、勇気を持って一歩を踏み出した方がいいんだって。まだ2本目だから、偉そうなことは云えないけど、それは確信に変わりつつある。

 昨夜、トマトスのキヨシさんの店で愉しい夜を過ごした。俺は彼が大好きなんだ。どうしてって、彼があまりに音楽を好きだから。確か俺はミック・ジャガーになってたなぁ、とか。
 朝起きて、キヨシさんと兄弟の契りで飲んだグラッパがぐわんぐわんに残っていた。嗚呼、またやってしまった。でも仕方ない。俺と記録係のOは札幌から千歳行きの電車に乗った。しかし、雪祭りが終わったばかりのその電車は満員だった。あのね、どれだけ軽くしても、二人が抱えてる荷物は半端な重さじゃない。どうにか、こうにか空港に辿り着いて、ようやく俺はカニを喰った。ザ・ブーム一行が稚内でカニを喰い尽くしている(そう、それは大げさに書けば、稚内のカニが全滅してしまうのではないか、と思わずには居られないくらいの量だった)写真をメンバーに見せられて以来、どんなに体調が悪くても、どんなに喰いたくなくても、俺は北海道に来たら、カニを喰う人間になってしまった。君に云われなくても、俺の精神構造が貧しいことくらい分かってるって。とある人物に、そんなにカニ食べると腰が抜けるよ、と意味不明の助言を受けたが、俺は喰った。そして案の定、腹を壊した。
 
 弘前。飛行機で千歳から40分。既に雪の質が違うのを感じる。雪国素人にはこっちの雪の方が更に歩きにくい。Oに至っては自重を制御(奴は俺の倍くらい体重がある)できず、しょっちゅう欽ちゃんみたいな歩き方になっている。空港には地元のシンガー、竹内君が迎えにきてくれていた。で、中華一筋35年っつーすんごい店に連れていかれた。いや、凄かった。美味かった。鍋さばきが尋常じゃなかった。カンドーした。しばらくその師と話した。どの道もきっと同じところに繋がっている。表情に凄みと優しさが同居している。そして雪国での暮らしがいかに大変かっつー話をした。真面目な話、雪との闘いっちゅーもんは俺たちの想像を超えている。ちなみに、誰も住んでいない家ってのを見せてもらったんだが、家が雪に埋もれていた。あり得ない光景だった。そして何がすごいって、地元の人同士が本気でしゃべると、俺は殆ど理解できない。通訳が必要だ。でも悔しい。だから、分からないところは復唱してゆっくり喋ってもらった。こう云うのって素敵だよ。

 実のところ、弘前に行くことが出来るのは、斉藤さんっつー人物が経営してるJoy popsっちゅー店があるからなのだ。彼はデビュー当時の俺のライヴを仙台で見たらしい。その時、俺はエキセントリックが洋服着て歩いてるってくらいピリピリしてたんで、そのライヴもドラムにケリを入れたりして、大変な暴れっぷりだったらしい。(すいません)でも、彼は「何じゃこいつは?」と気に入ってくれて、店で大プッシュしてくれたのだそうだ。そうして、前述の竹内君を含め、若いシンガーや聞き手にそれが伝えられた。実際、店に足を運んだら、入り口で池畑さんが「中之島ブルース」を歌っていた。ひひひ、どんな店や?ザ・バンドのボックスが面出しで売られていた。地方都市にこんなレコード店があることがどんなに俺を励ますことか。弘前も他の地方都市と同じく、大型郊外店に押されて、商店街は衰退の一途を辿っている。そして、郊外店は利益が出なくなると、さっさと撤退する。資本主義だから仕方ないけど、でもある意味街を破壊している。そんな商店街にインビな紫色の光を放ちながら、Joy popsは営業を続けている。
 何故か斉藤さんはラジオ番組を持っていて、このひと月に渡って、ヒートウェイヴ特集を組んでくれていた。だから、俺は彼と二人で喋り倒した。1時間番組が2時間になった。はは、まいっか。同行しているOはテレビ制作会社で、「旅番組」を作っていた。だから、旅慣れている。その奴がこう云った。「山口さん、日に日に、この旅は面白くなってきますねぇ」。うん、俺もそう思うよ。この旅で出会う人たちは素晴らしきキチガイである。こだわりを持った人たちである。ドリーマーでもある。いるじゃん。こんなに沢山。彼等は地元でがんばっている。そして俺は流れる男だ。だから、それを次の街に繋げていけば、いいのだ。明日は某コメが合流する。さっそく奴から詩が送られてきた。旅の途中で完成できれば、と思う。身体はひーひー云ってるけど、愉しいよ。ありがとう。愛すべきキチガイのみなさん。どうして俺は旅に出なかったんだろう?

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by 山口 洋