ボノとコメと相馬の夜

2006/02/17, 20:19 | 固定リンク

2月17日 金曜日 晴れ 

 これを書いているのは18日。福島県相馬市から東京上野に向かうスーパーひたちの中。隣でコメ先生が携帯で日記を執筆中。噂通りにこの電車はよく揺れる。でも悪くない。

 一週間に渡って、北海道から東北を縦断してきたんだけど、日本は広い。本当に広いんだってば、道中、何人の人に「あんた、その行程は無茶だよ」って云われたことか。東京に住んでる人間(俺も含む)は「東北」ってひとくくりにするけど、どれほど、多種多様な要素を含んでるかってことが身に染みて分かった。たとえば、昨日は山形から福島県相馬まで移動したんだけど、その景色はまるで違うものだった。雪国の暮らしがどれだけ大変なものかって、テレビを観てるだけじゃ分からなかった。そのような気候の中、笑いを忘れず、日々行きている人々に僕は心から敬意を払います。

 えっと、何だっけ?昨日の事が思い出せない。そうだ。山形から在来線に乗って仙台を目指したんだ。何日か前、雪崩で不通になってた路線。乗ってみて納得。俺やコメ。つまり雪国初心者にしてみれば、こんなところを電車が走る方がどうかしてるっつー風景だった。その電車に乗っている間、山形のツゲ姉から電話がかかってきた。優しさが身に染みます。
 電車は仙台に着いた。風景は一変。俺とコメ先輩は久しぶりに大都会を観て、ビックリする。そこにはずっと長きに渡って、俺たちを応援してくれている相馬のレコード屋さん、通称ヒコちゃん(今日から彼の事をボノと記すことにします。理由は内緒)とコメ先輩のマネジャーC嬢が迎えにきてくれてた。俺たちはボノ号に「積載」してもらった。おおっ!車で運んでもらえるってのはこんなに楽なのか?ボノ号はファンキューブっちゅー車だったが、コメ先輩と俺は「ロックスターみてぇな気分だよな?」と車窓を観ながら、コーフンを隠しきれなかった。
 相馬についた。ボノはロックスターを寿司屋に連れて行ってくれた。相馬の魚介類ってのは、絶品なのだ。
 会場の101は、昔から何度もお世話になってる。俺はここのマスターを一人の人間として尊敬してる。一言で書くなら、生き方が格好良い。何にも依存せず、自分の腕で、人生を切り拓いてきた風格が表情ににじみ出てる。そんな人だ。今日だって、金曜日の夜と云う稼ぎ時に、ボノとの信頼関係もあって、ライヴに時間を割いてくれたのだった。かつて、東北で、あるいはこの地で俺のコンサートを開いてくれた人たちも、物販だ、何だかんだ、力を貸してくれてる。本当にありがとう。
 今日のコメ先輩は素晴らしかった。楽屋に漏れてくる音を聴いてるだけで、シンガーとして、歌が前に出てきてるのが分かった。きっと、彼の中で何かが発酵して、次の世界が見えてきたんだろう。嬉しかったよ。
 一方、俺はどうなのよ?と聞かれたら、プロフェッショナルとして、体調、喉ともに万全だとは云い難かった。でも、ライヴは一期一会。言い訳はしたくない。行程のせいにもしたくない。自己管理の問題だ。相馬の人たちに何かが、届いていることを願う。
 
 終演後、俺とコメ先輩の心のアイドル、ボノ母にもお会いした。季節の変わり目には必ず手紙をくれる優しき人だ。そして、ボノの計らいでコメ先輩の誕生日(今日じゃないけどね)を祝った。こんな光景はいつ観てもぐっと来る。
 
 書きたいことは一杯ある。
 まずはコメ先輩。東北の三カ所。奴が居なかったら、と考えるだけでぞっとする。それほど、奴は俺を励まし、気遣ってくれた。もう俺なんかよりずっとタフなところは沢山ある。シンガーとしても、何も云うことはない。きっとこれからも歌を書き続けていくんだろうし。心残りがあるとするなら、俺の体調のせいで、曲を完成させられなかった事。でも、ツアーはまだ続く。どこかでやり取りを復活させたいと思ってる。ありがとう。コメ。 

 ボノ、ボノ母、力を貸してくれた皆さん。本当にありがとう。いつも同じことしか書けないけれど、新しい音楽の中に、僕の気持ちを込めます。ありがとう。

 そしてマスター。「もう一度、ちゃんとやろう」と云ってくれました。必ず帰ってきます。ありがとう。

 セットリスト。ある事情により載せることは出来なくなりました。とても哀しいことだし、俺が世間知らずだったとも云えます。俺は「この街じゃ、こんな歌を歌ったんだよ」と云うことを皆さんに伝えたいだけなんだけど、今はこれ以上詳しくは書けません。いろんな事を僕も学ぶ必要があります。ご迷惑をお掛した、本当の意味での音楽ファンー音楽に愛をもって接している人々ーに心からお詫びします。

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by 山口 洋