峰は今日も快晴だ

2007/06/10, 17:47 | 固定リンク

6月10日 日曜日 晴れ 

 40を過ぎたばかりの友人達がバタバタと倒れはじめた。身体を壊すもの、心の調子が悪くなるもの、身内に不幸が多発するもの、エトセトラ。1人や2人なら、ここに記すなんて野暮はしないが、その数が両手の指で足りなくなるに至って、俺は「ふむ」と考える。

 恥ずかしながら、俺にも経験がある。始めは、「何で俺だけが」と我が身を呪ったのだが、状況は悪くなる一方だった。それまでのトラブルと決定的に異なるのは、自分ががんばっても、どうにもならない類いのものが頻発するってことだった。本当にどうにもならない。嵐と吹雪と雷が一緒くたになって猛烈に吹き付けてきたら。もはや受け入れるしかなくて、体力を温存しながら、天候が回復するのを待つしかない。ただ、考える時間だけはある。よくよく考えてみると、この悪天候を巻き起こしている原因の一部(場合によっては殆どだったりもするけど)は自分にあったりもするのだ。他人のせいにして、我が身を嘆く前に、自分を変えてみることはできる。
 昔の人はこの状態の事を「厄」と呼んだのだと思う。それは多分「厄払い」に行って、簡単に解決するものではない。Lifeを実りに例えるなら、種から発芽し、生育して、実り、収穫され、枯れて、やがては次の世代の寝床となる。順等に事が運べば、我々が積み重ねてきたことは、もうすぐ「実り」の季節を迎える。その前に、「今までのやり方」を振り返ってみろっちゅー、誰かからのメッセージだと思うのだ。本当の意味で豊かな、意味ある実りを世界にもたらすために。
 おそらく、乗り越えられない試練は与えられない。降り止まない雨もない。友よ、峰は今日も快晴だ。10キロ先まで見渡せる。彼等は何千年に渡って、人間社会のアホさ加減を見守ってきた。風雪や戦乱にも耐えた。ムカつくくらいデカくて、ちょっと嫉妬する。でもちっちゃいよりデッカイ方がいい。心も魂も。そんな事を教えられる。俺たちは「見る前に跳び」すぎて、「書を捨て、街に出すぎた」のかもしれんぞ。はは。take it easy! let it be! 何でもいい。力むとロクなことがない。そして、誰かの言葉だけど、人間の落下を止められるのは愛だけだ。俺は心からそう思うぞ。ワン。

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by 山口 洋