old machine

2007/06/13, 23:20 | 固定リンク

6月13日 水曜日 晴れ 

 うちの家族(故人)が使っていた機械があるとです。古いけど、無骨で頼れる奴なのです。残念ながら、俺にその手の趣味がないので、ずっと倉庫で埃をかぶっていたとです。ある人物が譲ってくれないか、と云うので、山の家の倉庫から引っ張り出してきたとです。鋳物でできたそいつはとんでもなく重かったけれど、埃をはらって、油をさしてやったら、待ってましたとばかりに、ブルンブルンといい音を立てて動きだしたとです。モノにも想いが宿るんだなぁ、と心を動かされたとです。自分を伝えることができる「現場」がある限り、必要とされる限り、動き続ける。訳もなくじーんとしました。

 さて、こんな重たいもの。東京にどうやって運ぼう?考えた末、お世話になっている近所の人に軽トラックを借りて、ひーひー云いながら、一人で積み込み、麓の運送屋さんに平身低頭して頼み込んで、本日東京の某人宅に無事設置されたという訳です。嬉しそうだったなぁ、奴も。ところで、その機械、ある部品が欠けていました。調べたところ、明治に創業されたその会社は本業である「機械製作」を止め、健康器具販売業に転身しとったとです。時代の流れとは云え、哀しかったなぁ。

 海辺の街に仕事場を移して、ゴミの分別がとんでもなく煩雑になったのは前にも書いたよね?面倒だけど、それはいいことだと思うとです。これ以上無意味なCO2を出すことに加担したくないとです。そんな視点でこの世の中を見つめてみると、あまりにもヒドいとです。たとえば、スーパーで野菜を買おうとすると、それはビニールに包装されとるとです。有無を云わさず包装されとるとです。でもって、それをゴミとして出すには月に一回の「ビニール系ゴミ」の日まで待たんといかんとです。俺は家に居ないことが多いので、野菜を喰っただけなのに、ビニールが増殖していくとです。ちょっと怖いくらいに。だいたいこのビニールは何のためにあるん?ほぼ全ての食品がビニールで包装されとるとです。作るのにCO2、ゴミになって燃やすのにCO2。なので、できるだけ野菜は八百屋で買います。仕方なくスーパーで買う時はその場でビニールを外してもらうとです。ビニールは消費者のニーズによってあるとです。なので、みんなが「こんなもん要らん」と云えば、それは減ると思うとです。
 前述の機械の部品を見つけるのは苦労すると思います。でも、充分に働ける無骨な機械をゴミにするのは忍びないとです。自分を伝えることができる「現場」があるのに。

 もうひとつ。例の裁判のこと。沢山の励ましをありがとう。僕は自分の現場でやれることをやることでしかない、と思うとです。こういう事に関わると、不思議に人間と云う生きものが透けて見えてきます。昨日口にしたことをいとも簡単に翻す人、バックアップしてくれる人、体温が常に変わらない人、目先のことや、自分の利益しか考えない人、口にしている理念と行動がまったく逆の人。まるで昨今の新聞報道そのままの人間模様が縮小された形で目の前に展開していくとです。ミニ・コムスンにミニ・年金問題。でも、それは音楽を作る上では逆説的なエネルギーになります。人間には創造力があるとです。だから、それをファンタジーに変えるとです。ちょっとだけピリリと辛子が効かせて。そして僕には明後日からも「ツアー」と云う現場があります。だからブルンブルンと動き続けるだけです。近くの街に来たら、気軽に足を運んで下さい。待っとるよ。

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by 山口 洋