六ヶ所村と恐山と間に位置する俺

2007/06/17, 23:17 | 固定リンク

6月17日 日曜日 晴れ 

 前述のS某、竹内君と六ヶ所村に行った。そこに何があるか、みんな知ってるよね?っつーか、青森県がこんなにでっかいってみんな知ってたかい?恐れ入ったよ。弘前から下北半島の付け根に行って戻ってくるまで、往復8時間だよ。俺たちは今日、青森県から出てないっちゅーに。

 六ヶ所村の施設を前にして思ったこと。軽々しくここで言及できることは何もない。咀嚼と勉強する時間をくれ。ただ、俺は一人の人間として、ミュージシャンとして、実際に現場を観て感じたことがある。それは愛する女性と裸で抱き合った時に感じるものと本能的に大差はない。この信じられない事実は自分たちの営みがもたらしているものだ。加担しているのだ。間違いなく。俺が音楽を続けるには電力は不可欠だ。こうやってネットにアクセスしてる間にも。だったら、有効に活用したい。その電力を供給した挙げ句、この大自然の中にこのような施設を作らなければならなくなる。だったら、俺も加担しているのだ。間違いなく。できれば、機会があれば、この場所に足を運んで、実際に観て欲しいと思う。感じる違和感は人それぞれだと思う。でも、おそらく誰もが無実ではない。そして、それぞれがそれぞれの現場で考えることでしかない。

 恐山。何故、そのような信仰が生まれたのか、俺は詳しくは知らない。そのような想いの前でシャッターを押す気には毛頭なれなかった。いにしえから今日に至るまで。ちょっとやそっとで理解できる類いのものではない。でも、来て良かった。六ヶ所と恐山はそんなに離れてはいない。でも、そのわずかな距離の間に自分が存在しているのだと、俺は思う。考えていないよりは考えている自分の方が好きだ。知らないフリはもうできない。風見鶏にはもはやなれない。自力で旅をすることの意味。流れているだけで、そこに理由が降ってくる。稀に面倒臭いけど、そんな日々が嫌いにはなれない。

 弘前に帰って、店主がとある曲を聞かせてくれた。記憶が正しければシルバーと云うグループが歌った「ミュージシャンの日々なんてとんでもねぇ」みたいな曲だったと思う。そのハーモニーに込められた違和感が今の俺の気持ちを代弁してくれていた。ハーモニー(調和)とは多少ピッチがズレているからハモるのだ。そこにいろんなヒントがある、とホテルで岩木山の影を見ながら考えている。ありがとう、青森。俺は必ず戻ってくる。知らないことが俺には多すぎる。

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by 山口 洋