阿修羅の如く、奈良にて

2007/09/12, 17:46 | 固定リンク

9月12日 水曜日 晴れ 

 齢を重ねて、初めて見えてくる風景がある。実のところ、奈良には何度も来たことがある。大学時代には長期滞在をして、仏像を訪ね歩いたこともある。けれど、この年齢になって、そぞろ歩くこの街は今までのどれとも違っていた。軽く胸の奥がきゅーんと締め付けられるような感覚だ。それもこれも、独りで旅をすることの意味だと思う。ま、稀に寂しくはなるんだけれど。
 奇しくも「美しい日本」をスローガンにかかげた首相が辞任した日。ある街の郊外を走りながら、原風景について考えていた。この国の地方都市の郊外の風景はひどい。いずこも同じだ。我、目立たんがためのケバケバしい看板の数々。ふと脇に目をやると、未だ美しい田園風景が残っているのに、調和もクソもあったもんじゃない。俺が幼少の頃過ごした家は霊山に続く石段の中途にあった。虚無僧が尺八を吹きながら階段を登ってくる。そんな場所だった。今となっては感謝している。それは例えて云うなら、寅さん的な原風景で、今の俺には財産となっているからだ。今を生きる子供たちにとっての原風景があの街道沿いの看板群だとしたら、生きとし生けるものに憐れみの心を持つことは難しいだろう。それがとても腹立たしくて、哀しい。
 昼食を取るために入った喫茶店の新聞で、さだまさし氏の文章を読んだ。うろ覚えで恐縮だが、彼は「美しい国だと云う前に市井に暮らす人々の心の中にそれがあるかどうかが問題だ」と云うような内容だった。同感だ。
 阿修羅のごとく。像は何を見つめているのだろう?それがとても気になる。その目には何が映っているのだろう?それが知りたい。

 明日はそんな街でライヴです。平日だから、大変だとは思うけど、近隣の人々もちょっとだけ散策がてら、足を運んでみませんか?今までとは違った知らない風景に出会えるかもしれないよ。

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by 山口 洋