compassion

2007/11/21, 16:36 | 固定リンク

11月21日 水曜日 晴れ 

 久しぶりにバンドのメンバーと九州のとある山中でゆっくりと共に時間を過ごしました。残念ながら、魚先生が不在だったのが残念だったけれど。

 知人が来日中のダライ・ラマの言葉を聞く機会に恵まれたとです。伝えられた言葉はひどくまっとうな事なのだけれど、僕は時にそれを忘れてしまうとです。又聞きの状態で、これをお伝えするのはどうか、と逡巡したのですが、彼は語った言葉、チベットの置かれた状況を是非、自分で見聞して、考え、そして広めて欲しいと。なので、多少の曲解を含んでいる可能性があることを、ご理解頂いた上で、読んでもらえば幸いです。

その言葉。

21世紀は20世紀の続きです。

我々が生きている世界は、戦争、流血、テロリズム、そして若者の精神的な危機、
環境破壊、そこらじゅうに蔓延する貧富の格差、に満ちています。
そして、これらの間違いはすべて、ほとんどが我々人間によって創られています。

この過去100年はどんな100年だったんでしょう?
 
最初の50年は、間違い、無関心、無知、から様々な問題を引き起こしました。
第一次世界大戦、第二次世界大戦・・・。
60億人の人間の暮らす地球はどんどん暗い方へ、破滅の方へ向かっている、とも感じる人もいるでしょう。
でも、それはちがう。
一人一人のmental effort(精神的努力)によって、
それはぜったい変えることができます。
たとえば、第二次世界大戦後、日本は悲惨な状況を経験しました。広島、長崎の原爆。
でも、人々は決してhopeを捨てず、hard workをして、ビジョンを高く持って
もくもくと進みました。そして、いまのこの国を創りました。
negative event (原爆)により、 hopeを失い、
pessimisticになったら、その時点でほんとうに敗北が決まってしまいます。
never loose hope and work hard, and then future will be bright and positive.

我々は世紀の前半では、武力・力によって問題を解決しようとしました。
第三次世界大戦があるだろうと誰もが信じていた時期もあります。
でも後半になって動きが変わってきました。
若者も反戦をとなえ、人々は平和を望み、
spirit of dialogue(対話する精神。会話によって解決しようとする姿勢)や
non-violence(非暴力)、環境への気遣いがでてきました。
これこそが、私が希望、hopeをもつ原点(理由)なのです。

1917年のロシア革命も、後に、やはりうまくいかないのが証明されました。
人々は「個々の自由なし」に幸せにはなれません。
たったこのひとつの世紀の間に、人々は考えを変えていきつつあります。
人々の考えのなかに平和を求める動きがでてきました。
過去の「間違い、無関心、無知」から巻き起こった、痛くて辛い失敗から
我々は学び、humanity、人間性を高めてきました。

わたしはイギリス女王の母親にあったことがあります。
95歳を超えている彼女に私は質問しました。
「あなたはほとんどひとつの世紀(100年)を観てきました。
あなたはこれから世界がよくなる(better)と思いますか?
それとも悪化する(worse)と思いますか?」
彼女はちっとも躊躇せずにこう云いました。
「better !!」
第一次、二次世界大戦が続けて起こった昔よりもいまのほうが良くなっているから、とおっしゃるのです。
それはいま話した、世紀の前半と後半での、
人々の意識の変化によるものだと思うのです。

人間の身体と精神は密接に関係しています。
頭だけでもダメ、身体だけでもダメ。
双方が大事なのです。
それは環境問題も同じことです。
自分の身体をcareするように、環境もcareすべきなのです。

21世紀がよくなれば(そしてゆっくりそうなってきている)22世紀は21世紀の続きだから
かならず良い方向へ人間が人間の意思でもってゆくことができるのです。

それが、わたしのhopeの基盤となる考えなのです。

もう誰も一人で、またはどの国もその国の中だけで問題を解決することはできません。
我々は相互関係にあり、依存して、生きています。
たとえば、日本は経済国だけれど、石油を他国からもらわなければ成り立ちません。
大国アメリカですら、なにかと他国を頼っています。
我々は「自分たち」と「彼ら」という昔風の考えを捨てなければなりません。
敵である「彼ら」を武力で封じ込めることが、「自分たち」の富をもたらす、というのは間違いなのです。
敵である「彼ら」に害を与えることは、「自分たち」に害を与えることと結果は同じなのです。
we all live in a small beautiful blue planet earth.
we are all the same.

過去の間違いをよく見直し、検討し、学ぶことは大切です。

過去、我々はmaterial value(物質的な価値)にとらわれすぎてきました。
there was too much attention on material value,
too much belief in material value.
そして私たちは、それにとらわれるあまりに、こころの内面の価値を損なってきました。
近代的な教育は、物質価値にとらわれるあまりに 知識・教養をつめこむことに集中しすぎました。
compassion - 思いやり・慈悲(こころの内面価値)に注意しませんでした。
それが大きな間違いだったのです。

我々の考え・認識・知覚(perception) とreality(現実)のあいだには大きなギャプがあります。
現実(経済、環境など)は一刻一刻と変わっていきます。
でも、perceptionは「they 彼ら」「we 自分たち」に集中して、
区別してしまいます。自分と他者、というふうに。
このようなancient reality(古い考え)が、戦争を巻き起こすのです。
たとえば、日本の環境問題は世界の環境問題でもあるのです。
決して、一国のなかの問題だけ、ではないのですから。

むかしは教会・寺、そして家族が、この「こころの価値」をcareしてきました。ところがそれが
核家族になり、徐々に失われました。学校教育は「こころの価値」にまで時間を費やしませんでした。

我々は(仏教の教えにあるように)「全体的に」ものを捉えなければいけません。
「holistic view」(全体的なもののとらえ方) is essential(必要).
他者への思いやり、慈悲、優しさ。
それを軽視した(neglect)過去も、やはり大きな間違いだったのです。
いま、我々は、ものの見方&認識(perception)と現実(reality)のギャップをうめていかねばなりません。

物質的価値ではなく、いま、我々はhuman inner value(こころの価値。おもにこれは
compassion思いやり、優しさ)を培っていかねばなりません。

どの宗教でも宗教を信じている人は、それにたいし、真摯で真面目にとりくんでほしいのです。
そうすれば深い理解に到達して、
そこから他の宗教・考え・哲学の人たちへの共通理解・敬意が生まれるのです。
もちろん、無宗教でもいいのです。
仏教には、絶対的な神の存在がないのです。そのかわり、仏陀もはじめは普通の人でした。
そこから仏陀になっていったのです。
人は誰もがbuddha seeds(仏陀のもと、種)を持っていて、
人は基本的に善であり、悪い資質(怒り、恨み、ねたみなど)は、その人の努力によって消してゆけばいいのです。
人には相対する感情があります。
たとえば、compassion(思いやり)に対して hatred(怒り)。
でも、この怒りは、compassionを意識的に努力して持つことによって、消すことができるのです。

髪の毛の色を変えても、目の色や肌の色がちがっても、人間はみな基本的には同じものです。
でも、なによりも我々はまず、自分自身を知らねばなりません。
西洋の科学・医学・原子の研究はチベットにはありません。
それは現実を知るために多いに役立ち、大変すばらしいものです。
しかし、それらの研究には「こころの研究」が欠けていたのです。
いま、わたしにはたくさんの友人たちがいます、イスラム教徒、キリスト教徒、医者、科学者たち。
科学者たちがやってきて仏教の「こころの感情の研究」(study of human emotion)を知りたいと云います。
ここでまた出てくるのは、HOLISTIC VIEW 、全体的なものの見方の必要性なのです。
科学などの現実面と、メンタルなことこころの内面の価値、その両方が大事なのです。
破壊したいという人間の感情は、我々が各々努力によって、消さねばなりません。
このような、仏教での長年の感情の研究は、仏教徒でなくても、どんな宗教あるいは無宗教の人にでも
人類に対して、仏教が貢献できることだと思っています。

因果に基づいた、私たちの感情を観る・理解する方法論。
誰かに祈って「怒り」を消して貰うのではなく、
自分で瞑想などして精神を静まらせて、怒りを自分で消す方法、それが仏教なのです。

すべてのものは相違依存して成りたっています。
全体的なものの見方をすることによって、
この地球上の60億人の思いやり、愛情、やさしさ(人の良い資質)を促進させられれば・・・

never give up hope.
自分の日々のなかでcompassion(思いやり、慈悲のこころ)を実行してください。

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by 山口 洋