溢れる光

2008/08/01, 16:53 | 固定リンク

8月1日 金曜日 快晴 

 過日、ずっと僕らをサポートしてくれている親しい友人の母上が亡くなった。友人がどれだけ母想いなのか知っている僕としては、胸が詰まる想いだった。けれど、こうも思うのだ。僕の経験から云って、亡くなったはずの魂は、溢れる光になって、毎日僕らに降り注いでいる。決して消えてしまった訳ではない。彼らはもはや何にも縛られることはない。完璧に自由。残念なことだけれど、子は親を亡くして一人前になる。受け入れ難くても、それはとても自然なことだと思う。誰にだって、いつかはやってくる、たった一度きりの経験。その死を見つめたとき、見えてくる生がある。無償の愛はなくならない。親を亡くしたとしても、君は孤児ではないんだよ。絶対に。

 写真は山の家にある、友人たちと作ったグレイブヤード(のようなもの)。宗教を持たない僕だって、今や山口の姓を名乗る者は僕ひとりしか居ない訳だから、都会の納骨堂に先祖代々の遺骨は納めてはある。どうにも頼りのない番人。けれど、どうしてもそこでは静かに祈ることは出来なかった。フリースタイルでいいと思うのだ。時にはビールを飲みながらでも。だから、友人たちと作った。来る人たちが、好きな木を植えていく。勝手なやり方で、それぞれが祈る。山師の友人が手を入れてくれる。イングリッシュ・ローズからコショウの木、桜にコデマリに杉。無茶苦茶だ。そこに眠っているのも俺の親だったり、近所の方の母上だったり、エトセトラ。しまいにゃ、うちの犬まで。そして、何よりも、溢れる光と、降り注ぐ雨がその木々を育てる。僕はその光景を眺めながら、新しい歌を書いている。life goes on。面倒なことも、辛いことも、ややこしいことも、愉しいことも、いろいろあるけど、lifeは続く。死を描くためには、生きていなければならないから。

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by 山口 洋