released

2008/08/15, 14:04 | 固定リンク

8月15日 金曜日 晴れ 

 hobo jungle tourは当たり前だけど、リクオと過ごす時間が長かったから、いろんな話をした。飛行機の中で、実覚えのある表紙の本を奴が読んでいたので、確認したら、「それ昨日まで俺が読んでた本だよ」とか、あはは。
 
 確か、豊橋の飲み屋だったと思うけど、奴が「今、何の本が売れてるか知ってる?」と。俺はしょっちゅう本屋に行くけれど、目的のものを買ったら、とっとと帰るタイプだから、「知らない」と応えた。すると奴、「蟹工船だよ、資本論も売れてるよ」。「嘘だろ?、誰が買うの?」。「派遣の人たちがシンパシーを感じて読むらしいよ」。「ふーん」と応えてはみたものの、にわかには信じ難く、翌日、本屋に行ってみたなら、果たして確かに、あの「蟹工船」が堂々のベストセラーになっているではないか。80年以上の時を超えて、こんな日が来ると多喜二は思っていただろうか?

 俺がその本を手にしたのは高校生の頃だった。学校生活と云うよりは、この国の教育システムにどうしても馴染めず、圧倒的な疎外感を感じていた。だから、授業中にプロレタリアートの本を読みあさっていた。ジョー・ストラマーが「パンクとは態度である」と云ったのと同じように、渇いた心に水のように染みとおってきた。「治安維持法と特高警察」と云う本で、多喜二の最期を知り、時代は違っても、筋の通った生き方をしようと、悶々とした日々の中で、心に決めた。後に、小樽にある文学館を訪ねて、彼の母が獄中に居た多喜二のために書いた手紙を読んで、母の愛の深さを知って号泣した。彼の母は文字の読み書きが出来なかった。けれど、息子のために、それを必死で覚えたのだった。深い愛情がつたない文字からにじみ出ていて、切なかった。

 話を戻すけれど、俺が高校生の時分に「蟹工船」をはじめとする本から力をもらったのは確かだ。幸いなことに、俺には音楽があった。それを続けることで、随分廻り道もしたけれど、どうにかこうにか、今を生きている。けれど、今を生きている若者たちが、あの時の自分と同じような気持ちで、毎日を送っているのだとしたら。そう考えると複雑な気分になる。村上龍さんが近年の作品で書いていたけれど、「この国には何もかもがあるけれど、希望だけがない」。そのような状況が本格的に来ているのだとしたら。とあるブラジルのシンガーがこう云ったのだそうだ。「どうして、日本はこんなに自殺が多いんだい?僕の育った街じゃ、生きることに忙しくて、死ぬ暇なんかないのに」と。

 欲望とのつきあい方。僕はそれを学んでいるところだ。we shall be released。リクオとそのような曲を各地で何度も演奏したけれど、それに勝る曲を僕はまだ書いてはいない。

by 山口 洋