想いが円環を描くとき

2008/09/04, 03:20 | 固定リンク

9月4日 木曜日 晴れ 

 今日は鼻息ブヒブヒです。久しぶりにコーフンを抑えきれんとです。

 まずは、音楽好きのS君が俺のためにダニエル・ラノアの最新DVDを輸入してくれたことから話は始まる。この作品は素晴らしい出来なのだが、未だに日本のレコードショップでは買えない(多分)。煩雑な手続きなんてやるはずもない俺のために彼は輸入してくれたのだった。果たして、その作品の中で、恐るべきグルーヴを叩き出す痩身の黒人ドラマーに目が釘付けになった。彼は俺がドラマーに求める要素を全て持っていた。繊細かつスポンテニアス。そしてグルーヴィー。このようなグルーヴを出せたら、もう俺はこの世でやることないわいっちゅーくらいのドラムだった。
 話は変わって、マーカス・ロバーツトリオ(これがまた驚愕のトリオなのだが)のベーシスト、ローランド君が来日してるから、ライヴに来ないかと誘いを受けた。俺は軽い気持ちでライヴに行ったりはしないタチだし、今日は会場がコットンクラブだし、何だかなぁ、とも思いつつ、マーカス・ロバーツトリオで聞いたローランド君のベースもタダものじゃなかったし、いっちょ行ってみるか、と足を運んだ。果たして、そのドラマー「ブライアン・ブレイド」の写真を観て、ピーンと閃くものがあった。俺、この男、何処かで観たことがある。資料によると、ディラン、ジョニ・ミッチェル、ウェイン・ショーターともやってるらしい。でも、彼らと演奏してるのを観たんじゃない。違う。うーん。
 
 ミュージシャンがステージに上がってきた。俺は2mの距離でほぼ生音を聞くことになった。簡単なMCの後、ドラムを叩き出した瞬間に、ノック・アウト。「あいつじゃーーーーー」。本当に彼はあの男だったのだ。何という偶然。単なる無知とも云うんだろうが。S君も、ローランド君を紹介してくれた人物も、一直線で繋がった。ニューオリンズの「本物」のジャズマン達の演奏は凄かった。神がかっていた。余計なものは何ひとつない。特殊効果、皆無。ただ、ただ、そこに音楽があるだけ。本物のグルーヴと音楽への愛があるだけ。俺は痺れた。頭がジンジンした。前のボックスシートに座っていたアベックに「椅子を蹴らないでください」と注意されるほど、音楽にのめり込んでいた。そして、演奏する彼らの表情は高潔だった。

 終演後、ローランド君を紹介してもらって、エレベーターを下りてる間にムクムクと忘れていた感情が蘇ってきた。この数年、俺はドメスティックな活動に終始していた。小さな街をできるだけたくさん廻ってきた。そこから学んだことも数多い。けれど、その間にパスポートも切れてしまった。最後に外国に行ったのは、矢井田瞳ちゃんとのキーラの音楽の橋渡しをしに、アイルランドに渡った時だ。多分、3年も前のことになる。あれほどギターを抱えて、武者修行のような旅を、ところ構わずやっていたのに。
 彼らの演奏を聞いていて、心底思ったのだ。このリズムセクションと演奏したい、と。それがレコード会社に頼らずとも、不可能ではないと思えるだけの経験を積んできたのだと。金銭的なことも、ミュージシャンとしての資質も。そのために地を這うような、この数年があったのだと。多分、俺は遠くない未来に、ギターを抱えてまた海を渡るだろう。実現するとか、しないとか、そんなことを怖れはしない。強く願えば、叶うのだ。たとえば、20年以上前に、池畑潤二の演奏を初めて聞いた時と同じことを思ったのだから。
 ツアー暮らしは愉しいことばかりではない。時に、自分が今何処に居るのかも不明になって、すり切れそうになる。でも、その日々の中で甚だ鍛えられる。どんなに身体の調子が悪かろうが、心の調子が悪かろうが、ステージに立たねばならない。強くなる。そして、忘れた頃に、今日のようなgiftがもらえる。諦めず続けること、それもひとつの立派な才能なのだ、あらためて教えられる。同時に俺の演奏はスレていたのかもしれない、とも思う。媚びていたのかもしれない。オーディンスにハッピーになって欲しくて、くらだない話もしすぎたかもしれない、とも思う。とにかく、俺は目の前に道が見えた。まっすぐな音楽の道。やるべきことはたくさんある。完全な中年の域に達して、妙に青春を過ごしているような気持ちになるのは、どうしてだろう、とも思う。俺はきれいな魂の持ち主でいたい。life goes on! さぁ、歯磨くぜ。

 

by 山口 洋