45歳に稲妻落ちる

2009/02/28, 02:04 | 固定リンク

2月28日 土曜日 曇り 

 腰痛と共に生きながら、ミキシングをしております。このアルバム。一旦は闇に葬られかけましたが、さっき、決めました。リリースします。できるだけ早く。山口洋(45)。ミュージシャン兼、ソングライター、でもって音楽事務所にレコード(小)会社です。何でもやります。この時代、独立して生きるってのはそういう事です。でも、作品は誰の制約を受けることなく、自分の意思でリリースしたい時にすることができます。ハイホー。詳細はそのうちまた。

 さて、白状します。「お前、山だ、山だって、人里離れたところで何しよるん?」とたくさんの人に聞かれました。スキーです。スキーっ。齢45になって、完全に魂を打ち抜かれてしまいました。

 僕が生まれ育った九州地方では、スキーはブルジョワのスポーツでした。経験したことがあるガキなんて、真面目な話「クラスに一人」居るかどうか。間違って「俺、冬休みにスキーに行った」なんて口走ろうものなら、羨望のいぢめに遭うのがオチでした。ましてやバブルの頃「私をスキーにどうのこうの」っちゅー映画が流行し、都会の週末のバス乗り場には、ゲレンデを目指す「愛のシュプール」たちで溢れていて、胸クソ悪いったらありゃしない。

 そんな訳で、どんなに誘われてもガンとして行きませんでした。

 でも、そんな僕を熱心に誘ってくれる輩が居たのです。「ヒロシは絶対好きだと思うよ」。ふむ、分かった。やってみよう。果たして、僕は国内某所、スキーヤーの聖域(スノーボーダーは居ないのです)、標高1600メートル、パウダースノーがはらはらと舞うゲレンデに連れて行かれたのです。

 そこは歴史のあるスキースクールが併設されていて、初日から先生について習いました。初めてスキーをはいて、20分後。リフトに乗って緩斜面に行き、滑った瞬間。「何じゃーーこりゃーっ」と、14歳の誕生日にギターを始めた時と同じ稲妻が全身に走ったのです。それはかつて体験したことのない感覚でした。こりゃ、永い付き合いになるな、そう直感しました。3日間。足が棒になるまで滑り続け、とんでもない急斜面を除いて、全てのゲレンデを何とか滑れるようになりました。周囲には呆れられつつも、「おっ、足が揃ってきたねぇ」とか「勇気と体力あるねぇ」みたいな励ましがまた嬉し。

 都会に戻ってからも、身体と心がムズムズして、どうしようもなく。こりゃ、恋だわ。スクールにアドヴァイスを受けつつ、必要な道具をすべて買いました。そして二度目のレッツラゴー。何度も派手にコケながら、最後に残っていた急斜面も、遂に滑れるようになりました。不格好だけど。その魅力は何か?と聞かれるなら。まず、スキーをしている時は余計なことを一切考えないのです。夕方、滑り終わったあと、心地よい疲れと共に、心が完全にリフレッシュしているのが分かります。次に、同じゲレンデでも、同じ状況は二度とありません。雪質、風、温度、天候、自分の体調、エトセトラ。とてもライヴに似ています。そして「fear」を乗り越えること。勇気を持って踏み出すと、新しい次元に連れて行ってくれます。例えば、僕より少し上手い人が滑ってくるまで待ちます。そのシュプールと同じように滑ろうとすると、知らなかった世界が見えてくるのです。リフトに乗って、先生たちの驚愕の滑りを観ていると、そこにはリズムとグルーヴと自然とのハーモニーがあります。とんでもなく奥が深いのです。そして、多分、どんなにトシを取っても、そのトシなりの目標を持つことが出来るスポーツだと思います。

 スキーの話はまたいづれ。今はミキシングに没頭してます。雪山を夢見ながら。

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by 山口 洋