殆ど引っ越し、そしてR.I.P

2009/05/03, 01:41 | 固定リンク

5月3日 日曜日 晴れ 

 さぁ、「救われた」のなら、自分でやれることをひとつひとつやっていこう。後回しにしてたり、人の厚意の上にあぐらをかいて、誰かを傷つけてたり、エトセトラ。そんな暮らしとは永遠におさらばしたい。シンプルに、たったふたつのことを思って、僕は暮らしてたい。
 僕のバンドは結成30年、デビューして19年になる。デビューしてからの大半は音楽事務所に居た訳だけれど、近年、本当の意味で「独立」した。けれど、長い活動の間に、事務所の巨大倉庫には吐き気を催すくらいの大量の楽器、販促物、資料、エトセトラ。そんなものがあった。正直言って見たくなかった。巨大なミキサー卓でさえ、2つもあったのだ。それはあまりの重さにフォークリフトのパレットに載っていたりした。機材はどんどん進化する。僕が使っている楽器そのものは殆ど変わっていないのだが、録音機材はそうはいかない。進歩するたびに、買い替えて、おまけに僕は「下取り」なんてことがまったくできないタチだからして、どんどん古い機材が溜まっていく。シンプルに生きようと思ってたのに、何だ、このザマは。いざ、軽い足取りで独立しようにも、モノに足を引っ張られる。僕らのバンドはまだステージセットがない分、マシだったとは思うが、結局のところ、僕はバックれて、全部スタッフ任せにして、処分してもらった。それでも、捨てられないものがあって、僕は人の厚意の上に乗っかって、空いているスペースを使わせてもらっていた。ずるずるとその期間は伸びていた。それがいけなかった。昨日も書いたけど、僕は人の心ってものが何も分かってなかったのだ。見ないフリを決め込んで、大切な人間に嫌な思いをさせる。自分がされたら嫌なことを人に平然とやってしまう、その無神経さ。本当に独立を目指すなら、日々の積み重ねで溜まってしまったものに、向き合わなきゃならん。おまけに、この30年の間に、スタッフも何度も入れ替わった。すべての歩みを知っているのは僕だけなのだ。もう人に頼るのは止めて、自分でやろう。本当に必要なものだけを残して、シンプルに生きよう。
 ほぼ、20年振りくらいに、自分のアンプを運んで、驚いた。こんなに重かったっけ?思っていたよりは、かなり苦行だった。でも、そのおかげで、すべてを整理する決心がついた。自分の仕事場に入りきれないものは、すべて人にあげるなり、寄付するなりしてシンプルに生きよう。ファンが喜んでくれそうなものは、安価で提供するなり、プレゼントするなりしよう。そんな訳で、殆ど引っ越しのような作業が続行中です。

 そんな日々に、忌野清志郎さんの訃報を聞いた。彼の無念を想うと胸が詰まる。歌いたいのに、それが叶わないということがどれほどの事なのか、僕は想像もできない。個人的なお付き合いは全くなかったが、20年以上前に、一度だけ、殆どサシで酒席を囲ませてもらったことがある。どうして、そうなったのか、もう覚えていない。きっと氏にとっては忘却の彼方の出来事だろうけど。僕はとんでもない若造で、彼と向かい合わせで飲んでいる間、一言も喋らなかった。喋れなかったのかもしれないけど。2時間ほど経過して、彼が席を立つとき、僕がはいていた皮のズボンを指差して、「き、君の皮パン、いいね」、「ありがとうございます」。最初で最後になってしまった会話。でも、その会話の中に、イキがっている若造への限りない気遣いと優しさを、今となっては感じる。あの時は本当にすいませんでした。本当にありがとうございました。R.I.P。

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by 山口 洋