懐かしき未来、吉祥寺にて

2009/10/01, 03:19 | 固定リンク

10月1日 木曜日 曇り 

 オレは今日、気分がいい。ライヴを終えて、今帰ってきた。

 仕事場の庭木が大変なことになっていた。ある植物は隣の家の柵に絡まり、ある植物は巨大な実をつけ、もはやオレにはどうしようもなかった。世間体なんて気にしないけれど、この街の調和を乱していることだけは間違いなかった。ある日、ポストに手書きのビラが投入され、「庭木のことなら、お任せください。満足できない仕事をした場合、お代は頂きません」と記してあった。何となく、ピンと来たので、電話をしたら、若き九州人が独立してやっている小さな造園業者だった。オヌシ、いい目だ。気に入った。ちとギャラは高いと思ったが、彼はビタ一文も負けようとしなかった。何だか気骨のある男だ。そして、今日オレはライヴなのだ。先に金を払って、オレは会場を目指した。で、さっき帰ってきて、奴の仕事を観て、驚いた。素晴らしいにも程があった。完璧だ。ちょっとカンドーを覚えた。プロの仕事だ。すこぶる気分がいい。目が覚めるような仕事。明日、ありがとうと電話をしようと思う。

 スターパインズに行く前に、本を読んでいた。そこにはこんな言葉があった。「retrofuturism - 懐かしき未来」。ふーむ。そしてアインシュタインの言葉はこう続く。「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットのままで、その問題を解決することは出来ない」。ふーむ。自分が逡巡していることを、ここまで言語化されると、もはや言葉なし。最近、こうも思うのだ。言葉なんか覚えるんじゃなかった、と。そんなもの、なければないで、コミュニケートは可能だったに違いない。あの一言を言い過ぎて、どれだけの人間を傷つけたのか。あの一言でオレはどれだけ傷ついたのか、とか。それを表現するのに、また言葉を用いているオレ。嗚呼、アイロニック。いい時の自分が発しているのは言葉でも、それは言葉ではない。叫びでもないし、それは勝手に出てくる祝詞のようなものだ。走っているとき、あまりの苦しさに出てくる「言葉」がある。それは聞き返したくはないけれど、きっとリアルな自分への祝詞だ。

 考えるのは止めた。スターパインズのスタッフは今日も素晴らしかった。ギターのタッチの仔細なところまで、表現できる環境で演奏できるのはミュージシャンにとっては幸福以外のなにものでもない。楽しんでくれたかい?オレは幸福だったよ。来てくれて、ありがとう。音楽の力で、みんなの日々が少しだけ明るくなりますように。「i believe in you」。多謝&再見。

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by 山口 洋