心眼

2009/12/02, 19:19 | 固定リンク

12月2日 水曜日 晴れ 

 きれいな満月。心が洗われるような光。

 ドニゴールの新聞社からインタビューの原稿が届いた。その中に、今月来日するアルタンとは会うのか?と。ふーん、来日するんだ、と思っていたら、招聘元から連絡があって、「久しぶりに会いに来ませんか?」と。ふーむ。不思議な連鎖は今日も続く。オレは何も画策せず、ただまっすぐに歩いているだけなんだけれど。

 オレが18のとき。ちょうどこの日。親父は車2台に轢かれた。二週間生き延びたら、植物人間として生きるでしょう、と云われて、ちょうど二週間目に死んだ。ときどきフラッシュバックのように、いろんな光景が蘇る。案外しつこい。もうすぐそのときの彼と同じ齢になる。彼の無念を勝手に晴らそうと、同じ齢になったら、彼を越えてやろうと思って生きてきた。オレはあんたより頭の回転は遅いけど、タフだし、健康だし、友達にも恵まれてるし、夢も希望もあるし、愛の意味も分かりかけてきたし、エトセトラ。何よりも、あのときと変わらない表情でオレを励まし続けてくれて、ありがとう、と心から思う。あんたはいつもオレの心の中に居る。

 今日はコースまでの往復6キロをゆっくりと。そしてコースでは10キロの軽めのラップ走を。目標は1キロ、5分40秒で。結果は平均ラップが5分38秒。トータル56分02秒。1キロごとのラップのばらつきが減ってきた。努力すればどんどん伸びて、新しい世界が見えてくるのが本当に嬉しい。子供の頃から視力が弱い。でも、走るときは音楽も聞かないし、眼鏡もコンタクトもしなくなった。はっきりと見えることにあまり意味を感じないのだ。稀に道のくぼみが見えなくて失敗することもあるけれど、視界がぼーっとぼやけている方が走りやすい。多分、ニンゲンには眼球以外にも目があるのだ。もちろん心にも。眼鏡を外すと、そこが鍛えられているのを感じる。後ろから近づいてくる自転車は耳が察知する。だいたいどの位のスピードで来ているのかも分かるようになった。不思議だ。

 可愛い弟分みたいな奴が「オレみたいに薄っぺらい男が」と云う台詞を連発するので、怒った。卑下すると、必ずネガティヴなものを引き寄せる。本当だよ。この世に意味のないニンゲンなんて居ない。それぞれにそれぞれの役目があるのだ、絶対に。走るようになって、筋肉にも「ありがとう」と思うようになった。アホか、と思いながらも、自分の一部であって、そうでない気もするのだ。毎日、良くもまぁ、これだけ過酷なことに耐えてくれて、ポテンシャルを上げてくれようとしている。帰りしな、やっぱり坂道ダッシュもやっとくか、と。ふくらはぎの筋肉に聞いてみる。「やっていいすか?」。「いいすよ」。帰ってきて、アイシングの代わりに冷水をぶっかけ、次に湯船につけて、入念にマッサージを施す。感謝するようになって、痛みが格段に減った。本当に不思議だ。

by 山口 洋