信じる

2009/12/19, 17:26 | 固定リンク

12月19日 土曜日 晴れ 

 この季節、良く晴れた日。海沿いのコースはまるで北斎の富岳十六景(だっけ?)みたいな眺めになる。富士山が偉大に見える。いにしえの人たちも、この風景を眺めてきたんだろうね。そんな風にくっきり見えるのは「寒い」ってことの証。不明の二人が早く見つかりますように。
 その富士山めがけて走る。走るってことは何て原始的なんだろう。素晴らしく原始的で孤独。思考がシンプルになっていく。雑音は耳に入らない。風と潮騒、流れていく雲。あとは自分の荒い呼吸と心臓の鼓動だけ。「信じる」って言葉が好きだけれど、ときどき「信じる」って言葉じゃ足りないと思うときがある。「パッショナート」、情熱の持ち主。稀にだけれど、何処までも走れそうな気がする時がある。それは永遠を目指して、おわらない音楽の中に棲んでいるときに似てる。

 42キロの後遺症、未だ。巻物に自主的にフル・マラソンを走れと書いていない理由を今更ながらに理解する。なかなかリカバーできないのだ。得られたものは自信、失ったものは身体の調子。肉体より精神の方が強過ぎるんだろう、きっと。でも、自分のやったことだから仕方ない。これも学習。こりゃ、整骨院行きだな。もはや、自分の手には負えない。

 オレは民主党支持者じゃないし、自民党を支持する訳もない。けれど、自分にとって、自民党よりも民主党の方がマシであることは間違いない。思うのだ。足を引っ張るのではなく、せっかく何かを変えようとフントーしているのなら、温かく見守って、応援して、叱咤激励し、自分のできることは率先して、暮らしの中でやったらいいじゃないか。オレがマスコミの大半が嫌いなのは、持ち上げておいて、落とすからだ。二度美味しい。そして無意味に不安を煽るからだ。テレビをつけると、ネガティヴなものが蔓延している。そんな部分もある。それは認める。でも、多くの人は画面を観ただけで、理解したような気になる「誤解」をする。実際はいろんな捉え方があるはずなのに。毎日、毎日、不景気だ、不景気だ、と云われていたら、それは必ず連鎖する。財布の紐は固くなる。今こそ、意味のあることに金を使うべきだ。全体を見て、自分が何処にいて、どう行動すべきなのか考えたい。遠くを見よう。メゲずに、明るく生きている人たちは沢山いる。目先を変えれば、もっとほっこりするニュースだってたくさんあるはずだ。

 走りたくなるのには、多分、そこにも理由がある。身体にまとわりついた生き霊みたいなもの(死んだ人間より生きてる人間の方がよっぽど怖い)や、情報やモノがありすぎて、訳が分からなくなった感情を、ふりほどくのだ。オレは自分の力で「信じる」ことができる人間で居たい。

by 山口 洋