情熱

2009/12/20, 17:50 | 固定リンク

12月20日 日曜日 晴れ 

 情熱とは継続する志のことである。

 数少なくなってしまった、好きな映画館。高田馬場にある早稲田松竹、浅草でいつも寅さんを観る映画館、沖縄の桜坂劇場、そして広島が誇る「横川シネマ」。シネコンに行くのはそこに行きたいからではなくて、その映画を観るためには、そこに行くしかないからである。だから、思い入れはない。けれど、上記の映画館はふらっと入ってみようかな、と思う。信頼してるから。映画が好きでたまらないのが伝わってくるから。オレは古いタイプの人間だと思う。野球もドームになって、まったく足を運ばなくなった。だって、楽しくないもん。先日、帰郷した際、生まれた街を走っていたら、平和台球場が跡形もなくなっていて、本当に哀しかった。仕方ないんだろうけど、子供時代を全部奪われたような気になった。あそこは田舎の少年にとってはドリーム・ランドだったんだよ。絶妙な博多弁のヤジを飛ばすおっさんを観て、早く大人になりたいと思ったもんだ。ロッテの金田監督と博多人民との軋轢なんて、ヤクザの抗争みたいだったし。ワクワクしたなぁ。風呂場の下で思い切り叫ぶと、選手が洗面器で前を隠して、子供たちに愛嬌を振りまいたりしててね。ジャイアンツじゃ、絶対にあり得ないようなふれあいがあった。「ライオンズ友の会」っちゅー子供のための組織があって、毎年オレの会員番号は100番を切っていた。云っておくけど、いちおうプロ野球だよ。でも、その会に入ると、シーズン通して外野はタダになる。少ないお年玉をやりくりして買ってたけど、確か1000円くらいだったと思うなぁ。夢があったなぁ。
 
 横川シネマ - 以後「横シネ」 - が十周年を迎えるにあたって、原稿を書いて欲しいとの依頼があった。ああ、喜んでやりますとも。横シネでは何度か歌わせてもらったことがある。売店にはガラスケースがあって、おばちゃんも居る。基本的にはオーナーの溝口君が一人で切り盛りしていて、訪れるたびに、「よくもまぁ、こんなに偏ったラインアップで続けられるなぁ」と感心する。シネコンの真逆。溝口君はオレや友人達から「広島一のダメ男」の烙印を押されていて、酒席を囲むと、彼をいじっているだけで時間が過ぎる。見かけは「ウシ」みたいなんだけど、実のところ、熱い情熱が流れている。横シネのことになると、周囲の人間が本気でサポートをする。多分、みんな分かっているのだ。何も云わないけれど、街にはこのような空間が必要だと云うことを。彼は映画への情熱のあまり、電気、水道、ガス。ライフラインを全部止められていたことがある。嘘みたいな本当の話。映写室に寝泊まりしてたんだと。ところで、その本が送られてきた。オレは小冊子みたいなものだろうとタカをくくっていたら、ちゃん本だったよ。各界150人からの愛のこもったメッセージ。そっか、あいつはウシみたいな顔をして、最後にゃいつも醜い身体をさらして、上半身裸で踊ってたけど、こんなにも愛されてたのね。ちょっとカンドー。素晴らしいぜ。あとがきに書かれた溝口君の言葉。ちょっと引用。

「要するに、他の仕事が務まる自信がないから、コレやるしかなかったんだよ。ホントだよ。横川シネマをオイラが10年続けたのは、それがいちばん「無難」だったからだ。裁判所の人も、廻りの連中も、この主張を認めてくれなかったが、オレは死ぬまでそう主張する。主張しながら死んでやる。世間と取っ組みあって倒された時に、受け身を取りやすいのが「映画館」という闘い方だっただけだ」。
「正直な話、この10年、横川シネマは「映画館」として試合に勝ったことはない。リングサイドでたくさんの伝説が生まれただけだ。多くは映画以外の。ついでに告白すれば、中高と柔道部に所属していたオレだが、本当は「白帯」だ。卒業アルバムでは黒帯してるけど。昇段試験受けてないんだよ。でも、受け身の練習は人一倍やったよ」。

 がはは。あんた、いいこと云うねぇ。ほら、何だか、みんな、横シネに行きたくなってきたでしょ?広島にお立ち寄りの際は是非、怪しい雰囲気満載の街「横川」にある横シネに行ってみんですか。素晴らしい映画とウシとおばちゃんと映画愛に会いに。

 な訳で、この本にも載っている、オレの好きな映画についての原稿。転載しておきます。

「光年のかなた」1980年 仏=スイス 100分 アラン・タネール監督/トレヴァー・ハワード、ミック・フォード

 ミュージシャンとして「至福のとき」。ステージで音の渦に飲み込まれて「ひょっとしてオレは今、飛べるんじゃないか」と思う瞬間がある。この映画はアイルランドの片田舎に移り住んだ超偏屈なロシア人のじいさんが、鳥の魂を浴びて、いつか空を目指すちゅー映画である。こんな事、真面目に考えてるの、オレだけじゃないのね。独りでこの世をサバイブする力をどれだけもらったことか。出来れば「横シネ」で観たいね。多分、帰りはみんな鳥になってる。少なくとも気分だけは。



 はてさて。今日はヨシミと合同練習日。走ることは基本的に孤独なのだけれど、誰かが居てくれないと出来ないこともある。あ、その前にヨシミって誰ですかって良く聞かれるんだけど。ヨシミはヨシミです。オレの友達。オレと奴はこの街で月に一回開催されるレースでしのぎを削ってきた。でも、最長でもハーフしかない。お互いに悟ったのだ。ハーフではヨシミの馬力とスピードにオレは勝ち目がない。あいつのエンジンはアメリカ製の3600ccみたいな。まるでコルベットのように走る。でも、頭と燃費が悪い。ひひ。オレのエンジンは日本製の1400cc。非力だけれど、燃費はいい。つまり長距離になれば、ヨシミはオレに勝てないってことがはっきりしてきた。前回のハーフみたいに、互いの負けず嫌いで火花を散らしていたら、二人とも本番のフルの前に身体がぶっ壊れる。なので、互いの目標である、フルマラソンで4時間を切るためにはどうすればいいかって練習法を考えた。4時間を切るためのラップは一キロ5分40秒である。だから、ラップを5分35秒に設定して、これから週に一回、15キロ、20キロ、25キロ、30キロと走り、そのペースを身体に覚えさせる。今日は一回目の練習なので、15キロからスタート。オレもヨシミも、もうチャリンコにも乗らなくなった。コースに来るにも走ってくる。往復6キロ。お互い原人。
 奴はラップを考えながら走ったことがない。本当に横で走ってるとアメ車の顔をした原人と走ってるみたいだ。このドアホ。もっと頭を使え。本能の赴くままに、走ってきた奴はラップをコントロールするのが本当に苦手みたいだ。1キロ通過する度に、オレから「5秒落とせ」とか「10秒上げろ」とか云われると、奴は30秒落としたり、上げたりする。まったくもう。走りながら、「お前、いつも何考えて走ってんの?」と聞いたら、「いやー、いつもオラオラ、と思いながら走ってるんですわー。わっはっはー」みたいな。お前、一回脳味噌を氷水で冷やした方がいいみたいだな。しかし、アメ車原人の走りは力強い。オレは馬力がないので、坂道が苦手だ。奴は嬉々として坂道で加速していく。反対に、砂まみれの道では、奴は泣きそうな顔になる。本能が通用しないのと体重が重いからだ。こうして、第一回「原人たち合同練習」は無事終了。5分22秒のラップで、1時間20分。マージンも4分稼いで、余力も充分に残して練習を終えた。ようやく原人たちは「本能バカ走り」から成長しようとしている。

by 山口 洋