ある牧師の言葉

2010/01/08, 17:39 | 固定リンク

1月8日 金曜日 晴れ 

 走れなかった。記録によると9日間連続して、激しいトレーニングをしていた。今、壊れるのだけはマズい。走り続けるために、止めなければ。

 何もできない自分に悶々としていた。悔しくて、情けなかった。そんなとき、ある牧師の言葉がもたらされた。人を介してだけれど。「牧師である僕が云うのも何なんだけれど、ただ祈るだけではダメだ。行動して、言葉にして、そして祈らなければ」。ずん、と心に響いた。また違う電話が鳴って、「今のお前は、もう昔のお前とは違う。それだけのことをやってきたはずだ。だったら、立ち上がって、行動しろ。でなければ、お前は胃に穴があくだけだ」。電話を切ったら、座っていた椅子が崩壊した。まるで、欽ちゃんのコントみたいだった。多分、椅子を壊した力は「fear」だと思う。
 訳が分からなくなると、必ずそれは向こうからやってくる。でも、その理由を考えるのはもう止めた。きっと自分が引き寄せているんだろうし、流れに抗っても仕方ないし、起きてしまったことは変えられない。時空はひとつではないんじゃないか、と思うこともあるし、宇宙的だと思うこともあるし、言葉を100%鵜呑みにするほど若くもない。でも、それらを咀嚼しているうちに、ふつふつと、身体の底から力が湧いてくるのだけは確かだから、オレはそれに感謝する。思いやりのない勇気なら、オレは要らない。

 気持ちをしゃきっとしたくて、髪を切りに行った。美容院のドアを開けると、ヴァン・モリソンの「sweet thing」が流れていた。名盤「astral weeks」の3曲目。何て趣味のいい店なんだと思った。散髪が終わって、美容師氏に「シャンプー、変えた方がいいですよ」と実にビミョーなアドヴァイスを受けた。「それって、どういう意味すか?」と聞いたなら、「失ってからでは遅いですから」と突然、言葉は核心へと向かった。「失って・か・ら・で・は・遅・い」。祖父は二人とも完璧なスキンヘッド。父親はオレの年にはカルデラ湖のようにハゲをたたえていた。若い頃から「来るなら来い。逃げも隠れもせん。ジャック・ニコルソンみたいに格好良くハゲてやる」と思っていたが、どういう訳かハゲなかったし、今もハゲてはいない。って云うか、オレはハゲについて考えたのではない。ハゲようがハゲまいが、そんなことはどうでもいい。その言葉が別の意味で、ずん、と響いたのだ。

 誰かに頼んでこの世に生まれてきた、なんて話は聞いたことがない。クローン羊でもあるまいし。多分、それは自分の意思ではなかった。いや、這い出てきた時点で自分の意思か。でも、どんな状況であれ、生まれてきたことを呪う理由なんてどこにもない。人にはそれぞれ役目があると思う。損得勘定や欲ではなく。今、それをまっとうすることが求められているんだと思う。「絶望を受け入れるということは、現実的なリスクを受け入れることです。絶望を現実的にシェアしていくとき、初めて絶望は希望になりえます。ふわふわとした希望を夢見るのではなく、現実に立ち向かっていく責任とコミュニケーションが必要なのです」。確かに。

img10010009_1img10010009_2
by 山口 洋