移動日

2010/03/15, 21:28 | 固定リンク

3月15日 月曜日 雨 

 京都から名古屋に移動。

 不器用だとは思うのです。もっと、違う人生があったとも思うのです。でも、メディアに出て、自分たちが翻弄されることより、何度でも何度でもドアを叩きつづけることを選んだのです。たまに、移動がしんどいなぁ、とか思うこともあります。今回はスタッフも一切連れてこなかったので、楽器運びも20年振りくらいにやってみました。腰、痛いです。通常、僕らの機材は巨大なケースに入っています。でも、フレキシブルに移動できない。なので、むき身で軽くしました。でも、それで訪れることができる街がひとつ増えるのなら、その方がいい。一人で種を蒔いた場所に、マエストロ魚先生と再訪してみる。悪くないです。明日は名古屋に宇宙を描きます。是非、来てください。

 ツアー中に、各地を走りました。長野の街、岡山の後楽園から旭川のマラソンコース、そして今日は名古屋城の周回コース。沢山の情報をありがとう。その街を自分の足で感じることは、なにものにも変え難い。目の前のこの道は、遠く離れた自分の家と繋がっている。不思議な感覚を覚えます。諦めなければ、それは不可能ではない。行きたいところに、人は行くことができるのです。

 思い出したのだけど、ツアーに出る前に、ここしかないと云うタイミングで、最後のハードな練習をしました。その日、近所の樹齢1000年を超える大銀杏の木が倒れるほどの強風が吹いていました。恒常的に風速15メートルくらい。こりゃ、しんどいぜ、と走る前に覚悟しました。このまま最後の仕上げをせず、レースに挑むのか、それとも風でヒドいタイムを出して、悪いイメージのまま出場するのか、エトセトラ。逡巡したあげく、30キロ走りきることを選びました。とんでもない練習でした。前に進まない。砂嵐で目があけていられない。それでもキロ5分10秒をキープしました。支えていたのはタダの根性。でも5キロ走っただけで、すべてのエネルギーを使い果たしました。それほど風が強かったのです。オレは考えました。棄権するのは自由。練習だし。でも、どうしても中途半端なまま、投げ出すのが嫌だったのです。結局、その条件のまま30キロ走りきりました。フルを走ることより、よっぽどキツかったです。ラップは5分22秒。でも体感として、フツーの条件で4分50秒で走ることよりキツかった。身体にガタも来たけれど、でも走って良かった。あれほどの悪条件はもう考えられない。それでもオレは走りきった。諦めなかった。確かな自信がつきました。

 ときどき、世の中だったり、人だったり、幸福だったり、分からなくなるのです。でも、自分だけは、未来だけは、変えることができる。そう思っています。見なかったフリをするのは簡単。でも見てしまったのなら、火中の栗を拾いに行かねばならないことだってあるのです。カネで誰かを雇うのではなく、自分の手を汚す。そのような人物で居なければ、死ぬときにきっと後悔すると思うのです。
 

by 山口 洋