死線を越えて

2010/04/01, 02:54 | 固定リンク

4月1日 木曜日 晴れ 

 4月、か。
 
 この世で何が起きても、もう僕は驚かない。逆に云えば、何だって起こりうる。そんな世界に僕らは生きている。
 
 随分前、世の中で起きるすべてのことを、フリーメイソン、あるいはロスチャイルド家を絡めて語る人物が居た。彼はかつては世界を股にかけて、活躍していた人物だったが、近年は、ある種の諦めと共に、浮き雲のようにこの世を渡っていた。「それが全てじゃないっすよ、お互い道を切り拓きましょうよ」。そんな偉そうな口をきいていた自分が居たことを、恥ずかしさと共に思い出す。

 生きれば生きるほど、暮らせば暮らすほど、とんでもないものが見えてくる。末恐ろしい構図が透けて見えてくる。具体的な記述はしない。怖がってはいないけれど、軽々しく口にもしたくない。分かりやすく書くなら、そこの交差点の信号を遵守した時点で、僕らは「飼われて」いる。誰にも依存することなく、あらゆる組織に属することなく、独立して生きようとフントーしたあげく、その事実に随分前に気づかされて、愕然とした。どうあがいても、「飼われて」いる事実からは逃れられない。戸籍も住民票も抹消し、行方知れずになって、死人として扱われ、無人島の洞穴にでも暮らさない限り、そこからは逃れられない。と、書いたところで、タイムアップ。この話はまたいずれ。死線を越えて行こう。僕らはカモメくらいには自由なはずさ。

by 山口 洋