如実知見

2010/04/05, 15:29 | 固定リンク

4月5日 月曜日 雨 

 多分、人は誰でも、目覚めたとき、カーテンから漏れてくる光を見て、その日の天気を知り、預かり知らぬ一日を想う。ああ、決して晴れてはいないだろう。でも、願わくば、このように生きてみるか。玄関先に奇麗と云うよりは猥雑な花が咲いていて、妙にエロティックで、決してその色が好きではないから、いいな、と思った。

 妻を亡くした住職が「如実知見」と云う言葉を使った。「事実を事実として、知ること」。あるいは「事実を事実として、身体で知覚すること」。尊敬に値するひとは、後ろ姿がいい。後ろ姿に気を遣う人は少ない。だから、そこににじみ出るんだろう。
 ある種のキツい体験をすると人はどうなるか。たいていの場合、エゴが壊れ始める。エゴによって、自分が苦しんでいたことを知る。そして地軸のようなものが自分ではなくなっていく。任せる - 流れる - 委ねる - 漂う。このようなことは本質的には、実は「主体性」を伴う、能動的な行動で、それにはひどく勇気が必要で、やがてそれらが「信じる」と云う言葉の意味だと云う、丘の上に立つことができる。そこには「人間としてやるべきことをやれ」と云う渇いた風が吹いている。答えは風には舞ってはいないけれど、そこに立っていればいいんだと思う。

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by 山口 洋