学ぶ

2010/05/11, 16:24 | 固定リンク

5月11日 火曜日 雨 

 悩める子羊たちに伝えられることは、何もない。何もないから、僕に聞くな。ただ、経験したことは伝えられるかもしれん。
 
 音楽は独学。所謂アカデミックな教育は一切受けていない。だから、未だに音符と音楽が結びつかないし、ホーンや弦の人たちに、それが理由で随分いじめられたこともある。その代わり、一度演奏してくれさえすれば、対応できる。とある国で演奏中、知らない曲が始まったことがある。隣にいたベーシストに英語でこう云った。「この曲、知らんぞ」。彼はこう云ったのだ。「今、知ればいいじゃん」。確かに。僕にとって、音楽とはそういうものだ。僕のギターがこんなスタイルになったのも、誰にも習わなかったからだ。おまけに始めた頃はフォークギターも買えなかったから、家にあったガットギターに鉄の弦を張って弾いていた。結果的にそれが僕を鍛えた。大事なことは、それでも弾きたかったか、どうかだけだと思う。
 教えてくれ、と云われて、ケチで教えないのではない。本当に大切なことは教えられる類いのことではない。本には書けないし、文章にはできない。それが本質。だからこそ、音楽。勝手に盗め、吸収しろ。「how to」 に頼っていたら、それ以上には絶対にならない。応えは机の上にはない。あるとするなら道の上だ。

 学校では何も学べないことを学んだ。僕は田舎の芸術学部美術学科と云うところに在籍していた。ありがちなアート系へのドロップアウト。でも、そこにはクリエィティヴなものの「欠片」もなかった。教授は僕の創作への態度を批判するのだが、彼らは教授と云う職に就きつつ、ときおり個展を催していて、そこには何の魅力も感じなかった。ゴッホ、いや、誰でもいい、尊敬する絵描きのあの溢れるような情熱はまるでなかった。たったひとりだけ、ドン・キングのような髪型をした教授が居て、彼の言葉はすっと体に入ってきた。今でも忘れない言葉がある。「いいか、山口。恋をするなら全身の体毛が揺らぐような恋をしろ」。その通りだと思う。僕はこの言葉を聞くために4年間、大学に通っていたようなものだ。

 走ることが行きづまった。どうにも、こうにも前に進めなくなった。「盗もう」と思って、師匠のゲンちゃんに頼み、一緒に走ってもらった。聞くよりも、彼の後ろにコバンザメ
のようにくっついて、その姿を網膜に焼き付けた。彼がサバンナを駆けるガゼールなら、僕は農耕民族の隣町への移動、みたいだった。なるほど。一番欠けていたのは「躍動感」か。僕があのように躍動すると、エネルギーを無駄にロスすることは間違いない。けれど、躍動しなければ、目標が達成できないのなら、それを手に入れるしかない。僕のやり方で。
 ゲンちゃんは3時間を切るアスリートで、バーのオーナーでもある。お礼をかねて、飲みに行った。ジェリー・ガルシアがスティール・ギターを弾いていた。あんた、趣味いいね。しばらしくして「じゃあね」と店を出た。1キロくらい歩いただろうか。ガゼールが夜の闇を切り裂きながら走ってきた。「ヒロシさん、鍵忘れてますよ」。ガゼールはまた店に駆けていった。記憶が正しければ、ゲンちゃんにはお礼にビールをごちそうしたはずだ。3杯くらいは。あんた、飲んで、その走りはないだろう。つーか、僕はいつもと違う道を通って帰っていたのに、何故彼は僕を見つけられたのだろう。野生か。うーん、学ぶことは多い。

by 山口 洋