原始人

2010/06/30, 23:41 | 固定リンク

6月30日 水曜日 晴れ 

 右も左も分からず、ただがむしゃらに走ることを始めてから、一年が経った。「何故、走り始めたのか?」と多くの人に聞かれるのだけれど、うまく応えられない。僕は生まれ変わりたかった。ゼロから人生をやり直したかった。細胞をひとつ残らず入れ替えたかった。そしてそれを実現するには、走ることしか思い当たらなかった。
 知識もないまま、ただがむしゃらに走っていたから、あちこちにガタが来て、最初はどうなることかと思ったが、「必要は発明の母」と云う言葉は本当で、故障するたびに、ひとつひとつ学んでいった。果たして一年が経ち、どうなったのかと問われるのなら、いろんな事が劇的に変化した。演奏しているとき、指先にまで神経が行き渡っているのを感じる。それをかなりの確率で自在にコントロールできる。無意識のうちに。脳内に浮かんだ風景を中空に描くとき、それらの行動が「勝手」に連動して起きる。僕はもともと喉が弱かった。今も決して強くはないが、声に張りが増して、遠くに伸びるようになった。どんなにタイトなツアーをこなしても、身体が根を上げることはなくなった。客席とエネルギーを循環させることで、逆にエネルギーを受け取ることが可能になった。稀に強力にネガティヴなエネルギーを受け取ったなら、ガシガシ走って地球にアースしてもらう。自分の中にそのような感情が湧いてきたときも同じように。精神が弱っているときは肉体がそれを引っ張り上げる。何はなくとも、最後に必要なものは体力だった。僕はようやくそれを手に入れたのだ。
 3月に初めてフルマラソンのレースに出て、掲げた目標を達成した。でも、それだけのことだった。少しだけ自分を褒めてやろうとは思ったが、自分が人と競うことを好まないことや、結果や評価が欲しいのではないことがはっきりした。じゃ、何のためにと聞かれるなら。僕は21世紀に生きる原始人になりたい。本来備わっているはずの野生を取り戻したい。音楽を野生と知性で奏でる雑種の野良犬で居たい。何にもスポイルされたくはない。喰って、寝て、走って、愛して、歌って、踊る。そのエネルギーがオーディエンスを幸福にする。望んでいるのはただそれだけ。
 頭蓋に渦巻いているものを、どう表現していいのか分からないまま、僕は旅を続けている。書けばいいのか、音楽にすればいいのか、はたまた映画にするのか、複合的に表現するのか。何にせよ、生きているうちに表現しなければ、と思う。それを実現するための一歩として、必要なのが「体力」だった。これからだと、思う。

 そんなことを考えていたら、僕が今世界で一番好きなバンドから共演しないか、とオファーがあった。「やっほう、喜んで」と返事をする前に自分のスケジュールを確認したら、見事に自分のライヴとバッティングしていた。残念。でも、きっと今は「その時」じゃないんだろう。

 それから、もうひとつ。

 過日、僕が信頼しているプロモーター氏から新人のアルバムが送られてきた。その男の名、ジョン・スミス。何だか山口洋並みに平凡。でも彼は本物だった。弱冠27歳。どんな境遇が彼のような男を育んだのか不明だけれど、希有な才能を有していることだけは間違いない。先達の名前を語って彼の才能を伝えるのは好きじゃないけれど、確かにジョン・マーチン、ジョン・レンボーン、そしてニック・ドレイクの影響が聞き取れる。でも、当たり前だけれど、その誰とも違うし、彼はそれを踏まえた上で2010年の歌を書き、演奏し、そして歌う。それが素晴らしい。願わくば何を歌っているのか、僕のヒアリング能力がもう少しあれば、と思うんだけど。ギターに関して云うなら、恐るべき才能。きっと僕と同じで、ギターだけ取り上げられるのは好きじゃないだろうけど、27歳にして、あのリズム感は素晴らしすぎる。その齢の頃、僕はようやくバック・ビートをマスターしたばかりで、あんなリズムは演奏できなかった。
 僕がこのプロモーター氏を信頼しているのは、音楽に対して、溢れて余りあるだけの情熱を持っている人だからだ。自分の手を汚して生きる、「進化しすぎたミーハー(失礼)」みたいな人だからだ。一見、実現不可能だと思えるヴィジョンを可能にするために電卓をはじく人だからだ。この時代、コストを削減するために電卓は必要だ。でも、それの本当の存在理由は上記のようなことのためにある、と僕は思う。
 ジョン・スミス。7/14に吉祥寺のスターパインズカフェで、招待制のプレミアライヴが行われるそうです。残念ながら、僕はツアーで行けないんだけど、興味のある人は是非。つーか、一緒に演奏したかった。残念。

 詳細は以下に。
http://www.mplant.com/johnsmith/index.html

by 山口 洋