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2010/07/21, 23:42 | 固定リンク

7月21日 水曜日 晴れ 

 ちょっと前のこと。このボックスセットのレコード会社担当者氏が、宣伝用のコピーを書いてくれた。そこには確か「ロックンロール、苦闘の記録」みたいなことが書いてあって、「あの、この時代、苦闘してない人なんていないすから、それ止めませんか」と喉元まで言葉が出かかったが、飲み込んだ。少なくとも、彼はそう思ったのかもしれないし、僕は関わった人の想いから出てきたものをまずは尊重する。実際のところは、検証してからでも遅くはなかろう、と。
 ところが、長いインタビューで過去を振り返り、音源をつぶさに聞いてリマスターしていく作業の中で、彼のコピーは「そうとしか云えないかも」と思えてきた。マスタリングを2日終えて、一番の感想は、まるで他人事のように「闘っとるなぁ、この人ら」と云うものだった。見事なまでにエバーグリーンなパンチを繰り出しているものもあれば、モーレツな空回りもある。ただ、決して易きに流れることだけはなかったこと。それだけはジョー・ストラマーの教えを勝手に継いだ者たちとして、評価してもいいのではないかと思う。バブルが終焉を迎え、だんだんと不気味さが世の中を包んでいく。その頃の話。僕らが在籍していたレコード会社にドリカムと呼ばれる人たちがいて、「聞いてむれば?」と勧められるままに、確か「決戦は金曜日(だったと思う)」みたいな曲を聞かされた。毎日が決戦だった僕らはその歌の意味が理解できず、頭を抱えた。あの、決して悪口ではないですから、念のため。それだけ世間と剥離していたのに、資本主義のド真ん中であるレコード産業に居たことに無理があっただけで。
 僕には決定的な弱点があった。孤独を好む割には、とてつもない寂しがり屋なのだった。情けないけど事実だから仕方がない。でも、それも最近「すこん」と音がして抜けた気がする。物体として、それらが物理的にこの世から消えてしまったとしても、大切なものは何ひとつ失われていないことを実感している。延々とひとりで走り続けることによって。肉体を使うことによって。逃れられない「負」のものが浮かんできたら、いつもより強めに負荷をかけて走る。距離を伸ばすとか、タイムの設定を上げるとか。キツい。でも、ちゃんと地球はその感情をアースしてくれる。それを繰り返すことで、多少強くはなったんだろう。すれ違うランナーの中に、あからさまにテンションの違うニンゲンが数人居て、言葉を交わさないまでも、何か致命的に決定的なことがなければ、この人は走らなかっただろうと思える人たちがいる。顔と目つきが違う。最初は「オレに近寄るな」的なオーラが出ていたが、次第に会釈を交わし、軽く手で挨拶し、いろんな反応があるのだけれど、連帯しない奇妙な連帯感のようなものが存在している。すれ違うその数秒間が僕は嫌いじゃない。僕らの間に詮索は存在しない。ただ、黙々と走り、そしてすれ違うだけ。師匠のゲンちゃんが「ロッキー」と呼んでいる男が居る。毎日、ものすごいスピードで走っている。しかも、彼はスポーツウェアを着てはいない。けれど、速い。身体はカミソリのように研ぎすまされていて、走った後、デカい岩を抱え上げて砂に叩きつけるのが彼の日課。リポビタンDのCMをかなりアナーキーにしたような光景が毎日砂浜で繰り広げられる。何のためにそんなことをしているのか、僕は知らない。でも彼は僕を見つける度に熊のような叫びを上げて「おーーっ」と挨拶をする。ロッキー。僕は彼が嫌いじゃない。
 旅先でひとりで食事をすること、ひとりで旅を続けること。帰ってきて、止まったままの空気やカビを何とかすること。稀に折れそうな気持ちになることはあるけれど、決して鈍感になってやり過ごしているのではない。鋭敏になって、抜けたんだと僕は思う。何も「存在」していないけれど、「何もかも」は心の中に刻まれている。それを消すことは誰にもできないし、僕には音楽があって、そして理由もなく、走ることが僕を奮い立たせる。

by 山口 洋