ザ・同級生

2010/08/18, 13:36 | 固定リンク

8月18日 水曜日 晴れ 

 30年振りに「同級生」に会った。お互いホンモノのおっさんになっていたし、母国語の博多弁もかなり怪しい。けれど、会った瞬間から「お前、てめー、この野郎」てな感じで、何のタイムラグを感じることもなく話せることにびっくりする。同窓会と名の付くものに一度も出席したことがないし、奴に会ったところで、懐かしさを感じる訳でもないが、あの時代の、あの街の空気を吸って育った、うーん、同じ畑で育った違う種類の野菜のような感覚はある。
 奴は頭のキレる男で、勉学に励み(ここで僕は離脱)、通信社に入って、外国に住み、結婚して、子供を持ち、家と車を買って、両親を介護して、今がある。僕のことは云わずもがな。二人を再び出会わせたのは「マラソン」で、奴は80年代から走りはじめ、マラソンはもちろん、トレイルランをくぐり抜け、今や立派なトライアスリートになっていた。そう云えば、確かにあいつは泳いだら、無茶苦茶に速かった。一度も勝てなかった。いや、待て。平泳ぎは僕の方が速かったような。まぁ、いいや。とにかく奴はblogで僕を見かけて、「お前の身体ならサブ3(3時間切り)いけるぜ」と連絡があったのだ。
 もう書くことにするか。僕の次の目標はレースで3時間を切ることだった。走り始めてから、順調に記録は伸びてきたし、このまま努力を重ねれば、それは不可能ではなかろう、と。でも、出来るとするなら年齢から逆算して、この数年だろう、と。だから、僕は走り続けた。でも、それは簡単ではないことが次第にはっきりしてきた。何せ、才能がない。伸びない。仕事も放り出して、すべてそのためだけに努力を重ねたとして、それでも達成できるかどうか、ギリギリのところだ、と。おまけにこれ以上無茶をしたなら、しばらく回復不能なくらいには何処かが故障する可能性がある。そこまでしてやる意味が果たしてあるのかどうか。まだ走り始めて一年足らず。そんなに急がなくてもいいではないか。次のレースは3時間15分を目指すのでいいじゃないか。それだって、大した努力がこのロートルな身体には必要な訳だし。
 奴は「100キロマラソンに出てみなよ」と。「ほう」。「見える風景がぜんぜん違うぜ」。100キロってことは、キロ6分で10時間、ロスタイムを含めて、11時間以内ってことか。凄い世界なんだろうけど、3時間切りよりは遥かに現実的だ。って云うか、100キロ走ると云うその無意味な発想が好きだ。よっしゃ、その話、乗った。
 てな訳で、僕らは来年それにチャレンジすることにした。アホだと思う。でもアホで結構。僕らは幸福者なのだ。自分の意思でやるんであって、誰に強制された訳でもない。所詮、趣味である。42.195キロの先にどんな世界があるのか、それを見てみたいだけなのだ。
 奴は海を見ながら、こう言った。「仕事があって、家族があって、家も車も手に入れて、もう欲しいものなんて何もない。贅沢だと思う。そこに至って始めて、自分の役目を考えるようになった。世の中を良くしたいんだ」。僕とはその過程があまりに違ったとしても、考えることはほぼ同じだった。さ、老骨にムチを入れて走りますか、同輩。
 
 「私は世代を代弁も共感もしない。新しい現実を歌うだけだ。」Bob Dylan

by 山口 洋