long journey home

2010/11/22, 22:30 | 固定リンク

11月22日 月曜日 雨 

 しかし、昨夜は愉しかった。あんなにくだらない話をして、大笑いしたのは久しぶりだった。重ねて、ありがとう、リクオ。詳細は不明なのだけれど、昨夜のイベントはFM局の同録が入っていて、帰りしなにライヴを収録したCD-Rを渡された。九州までの旅の友に丁度いいわい、と爆音で聞きながら車を走らせた。ときどき、その音楽は破綻したりもするのだけれど、出演者全員に積み重ねてきた年輪と愛があって、確実に「音楽の奇蹟」が巻き起こっている。多分リクオはこれで寿命より10年は長生きするだろうな。ははは。

 僕は今回の旅に大切なミッションを与えらていた。親父のことだ。彼が車二台に轢かれて死んだのは28年も前のことで、男同士だから、多くは語らなかったけれど、互いを信頼していたし、この世に居なくなってからも、彼が果たせなかった夢を遺志として、違う形で僕が引き継いでいるつもりだったから、沖縄のおばあにそんなことを云われるまで、彼の魂が彷徨っているなんて思ったこともなかった。彼は仏壇にも居ないし、墓にも居ないし、天にも居ない。まして、死んだ母親とも未だに一緒になれていない、と。事故現場を中心に彷徨っているから、あんたがちゃんとお母さんと一緒にして天に還してやりなさい、と。よくよく考えてみると、思い当たるフシはたくさんある。
 久しぶりに事故現場に行った。あんた、こんなところで28年も彷徨ってたのか。おばあに教えられたことにアレンジを加えて、大好きな角瓶もロングピースも金もお菓子も僕の愛も供えた。もう寂しさで悪さをするんじゃない。後は僕に任せとけ。さぁ、車に乗りな?もう独りじゃないぜ。今まで気づかなくて悪かったね。一緒に九州に帰ろう。母ちゃんのところに帰ろう。多分、側に居るはずの親父と関門橋を眺めていたら、何だか泣けてきた。やっと帰れる。俺たちの島はこの海峡の向こうさ。親父は不運な男だった。盧溝橋に始まり、満州国建設があり、敗戦があり、引き揚げがあり、安保があり、学生紛争があり、自滅した。その様を側で観ていて、繊細であることより、タフであることを僕は目指した。何があろうとも、信念だけはまっすぐに貫ける男になろうと思った。そのことがひどく災いを大きくしたこともある。でも、「豊かな復讐」を完遂するにはそれしか方法がなかった。今日は親父とホテルで乾杯だ。あんたと一杯やりたかった。それが一番の心残りだったからね。「long journey home」、お互い、本当に遠かったね。

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by 山口 洋