no direction home

2005/12/02, 16:58 | 固定リンク

12月2日 金曜日 曇り 

 マーティン・スコセッシによるディランのドキュメント、「No direction home」を友人の厚意で観せてもらった。約3時間半。圧巻。どこにも辿り着かないと云う意味で、制作者の主観が入っていたとしても、究極のドキュメントだった。どこにも属さず、どこにも辿り着かず、安住を好まず、妙に勇敢で、妙に嫉妬深くて、名声を好みながら、どこか好まず、過去を創造(捏造ではなく)し、未来を予見し、答えはあるようでなく、ノスタルジアは一切排除され、人間なのか超人なのか不明で、つかみどころがなく、そのくせ、歌われたフレーズは時空を超えて有効で、その瞳は未だ深い光を放っている。ミステリアス=ボブ・ディランと云う男は想像を遥かに超える男で、理解の範疇を超えている。と云うか、他人の理解をおそらく求めてはいなかった。ただ、ただ表現者としての「凄み」を受け取った。
 この作品は彼が故郷ミネソタを出てNYに辿り着き、デビューを果たし、エレクトリック・ギタに持ち替えて、フォークファンのブーイングを浴び、バイク事故に遭って、ウッドストックに引きこもるまでの、わずか5年間ほどのドキュメントである。一人の田舎の青年が化けていくさま。俺がこの時代に生きていたとして、この男と友人になれたかどうかは疑問だ。彼には猛烈な孤独と向き合うだけの強さがある。ほぼ40年近く前のわずか4〜5年をこれだけ濃密に描ける事じたい、どうかしてると思うのだ。もちろんスコセッシの手腕も大したものだけれど、今の時代どころか、この作品、ボブ・ディランと云う男が問いかけているものは100年経っても揺るがないだろう。寒い12月にバケツ一杯の冷たい水を浴びたような作品だった。俺は背筋が伸びた気がする。ディラン・ファンならずとも、是非。「時代は変わる」けど、彼は「時代を超えて」るから。

正月ロードショー。
東京はイメージフォーラム、シアターN渋谷、吉祥寺バウスシアター等で公開。ミュージシャンが書いた自伝の中では、他の追随を許さない「ボブ・ディラン自伝」も合わせて是非。

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by 山口 洋