the rocky road

2007/03/06, 17:39 | 固定リンク

3月6日 火曜日 雨 

 ずーーーーっと歌詞を書いている。昨夜、「ん?かなり近づいたな」と思ったが、撃沈。道は果てしなく遠い。でも、無駄に芸歴が長いと、それすら楽しでいるフシがある。結局、朝方まで粘って、もう何度目かカウント不能になった「撃沈」。でも、俺は書く。ずっとずっと、「ここではない何処か」を求めてはいたんだろうが、今宵、この瞬間、燃えていなければ気が済まなくなってきた。人生は思ってるよりは短い。恋せよ、乙女。
 
 昼過ぎに起きて、東京FMに行き、旧知の長友君の番組に出た。もう随分前の事だけれど、深夜、彼の生番組の後、俺は2時間の生番組をやっていた。スタジオはひとつしかなかったから、CMの間にスタッフごと入れ替わる。でも、一度もゆっくりと話したことはなかった。互いにいろいろあったんだろうけど、こうして10年以上の時を経て、語り合うのは悪くない。

 家に戻り、詩作に復帰する前にこれを書いている。
 
 「Land of music」。2006年はギター1本を抱えて、日本を2回廻った。得難い経験だった。マネージャーも帯同していないので、俺が全ての人と対峙することになる。それは時にキツかったけど、良かった。地方都市の置かれた状況は想像を超えるくらい、ヒドいものだった。それでも、音楽への情熱を失わない輩は数多く居た。影も形もない我々の新しいレコードに賛同してくれる人々も続々と現れた。こんな雪の中、誰がライヴに来るんだ、と思ったこともある。でも、人々は何かを求めてやって来る。とりあえず、問題なのは数ではなく、想いや願いだった。俺はそれらの集合体に鼓舞されて、熱くなった。同時に全ての人とは云わないけれど,ほぼみんなが疲れていた。何かに疲れきっていた。俺は俺で、疲れていなかったか、と云われれば、それは嘘になる。だから驚異的な音圧で、彼等を無理に鼓舞するような音楽を作りたくなかった。少なくとも、そのような衝動はほとんど湧いてはこなかった。時代と自分をすり合わせた上での、直感なのだから仕方のないことだ。
 それぞれの闘いの日々、闘いの場所で疲弊しきった者に必要なのは「安らぎ」だと思った。自分をも含めて。俺が一番好きなのは「おふとんの国」に他ならない。みんなが寝る時の「睡眠導入剤」のような音楽。でも、聞いているうちに、ここではない何処かに確実にトリップするような音楽。体内と外界のふたつの宇宙を繋ぐような音楽。明日の朝、目覚めと共に、一日を始めるための音楽。エトセトラ。そのようなものを作りたかった。
 このアルバムはライヴで完結すると思う。だから、多分ライヴアルバムも作る。それは既出の「Land of music」とは違う形になっていると思う。対になって完成するものだと思う。魚を除く、それぞれのメンバーとライヴをやってみたが、違う風景がフィジカルに見えてきて面白かった。手前味噌だが、やはり渡辺圭一も池畑潤二もタダ者ではなかった。彼等の肉体から発せられるものは。それらが複合的に組合わさったとき、どのような音楽になるのか、自分でもワクワクしている。「この瞬間」をどのように昇華させるのか?長い時間をかけて、完成させたものを「肉体」から発することが出来ることに歓びを感じている。アルバムのプロモーションももうすぐ終わる。その総量はメジャーのレーベルに居た時のものを遥かに上回るものだった。各地で自分の利益を度外視して、奔走してくれた連中が居た。本当にありがとう。俺に出来ることは、魂から音楽を奏でて、観客をハッピーにすることだ。楽しんでくれ。音楽には力がある。ライヴに足を運んでくれ。そこは自由な場所だから。

 正直な話、1979年にバンドを作ってから、楽だったことなんて一度もない。でも、音楽は本当に素晴らしいものだ。かけがえのないものだ。やればやるほどそう思う。伝えたいことがあるから、熱くなる。バカ、かもしれん。でもこみ上げてくるものに感謝する。無性に生きてることに感謝したくなる時がある。だって、やりたい事が目の前にあるのなら、それをやらずに何をやればいいんだ?損とか徳とか、株価が上がったとか、下がったとか、俺には分からん。雨ニモ、風ニモ、マケタトシテモ、生きてることは止める訳にはいかん。続けることだ。と俺は思う。じゃ、待ってるぜ。

by 山口 洋