結(ゆい)

2008/04/18, 23:42 | 固定リンク

4月18日 金曜日 曇り 

 「うーん」と心から唸ってみる。都市生活で「失ったものと得たものは、どっちの方が多かったんだろう?」。

 大分県の山中にある、陶器と林業と梨園の里に、シークレットライヴをやるためにやってきた。そこには色とりどりの花が咲いていて、春の風が吹いていた。川沿いの道を歩く子供たちの表情は - 今や都会では殆ど見かけない - 実に子供たち然とした顔だった。音楽業界から激しく逸脱し始めた頃、ここでモノを作って生きる同世代の連中に会った。陶工も林業も、そのやり方はとてもプリミティヴだったが、100年先を見据えてモノを作り続ける彼らと、いつの間にかすっかり意気投合していた。どんな道でも突き詰めると、同じ場所に繋がっている。そして、彼らの日々に自分の音楽が流れているのが嬉しかった。
 陶工たちは昔から伝わる製法で、電気を一切使わず器を作る。土は近所の山から掘り出し、川の水で動く水車の力でひと月かけて粉砕される。それを水に溶かし、何度も濾過して粘土にする。ろくろは足で蹴ることで回し、独特の模様が刻まれる。完成した器に塗られる上薬も灰を利用したもので、裏庭ののぼり窯で焼かれる。すべての作業を一家でこなしていく。出来上がった陶器は使い込むほどに、深い味わいが増していく。山師たちは孫の代を見据えて山を守る。安価な輸入材に押される今、それは気が遠くなるほど根気を必要とする作業だ。小さなコミュニティーでは互いが助け合わなければ生きていけない。「everybody knows everybody」という環境で生きていくのはきっと大変なこともたくさんあると思うのだけれど、こうやって「結」の精神がきちんと機能しているのを観ると、この国も捨てたもんじゃない、と思う。地域の子供はみんなで見守る。多くの家庭で、じじばばと同居している。たくさんの知恵が受け継がれる。子供には子供の役目があって、親を手伝う。嫁たちは、苦労が絶えないだろうに、本当によく働く。ちなみに俺は聞いてみた。「一日、どれだけの米を炊くんですか?」。「うーん、一升かなぁ」と。 

 そんな彼らに請われて、音楽を届けることにした。会場は築50年の保育園の講堂。そこにゴザを引いて、体操座りで観覧する。俺を初めてみる人たちが殆どで、しかもおじいさん、おばあさんからちびっ子たちまで。約130人。ミュージシャンとして、今までやってきたことが多いに試される、やりがいのある場所。でも、音楽に導かれて、この場所にやって来れて、本当に嬉しかった。それは「gift」と呼ぶにふさわしいものだった。業界に揉まれていると、「大切なもの」が見えなくなることがある。でも、今日はそれをたくさん教えてもらった。間違っていなかった。言葉が書くのが陳腐に思えるほど、素晴らしかった。呼んでくれて、ありがとう。頼まれなくても、また行くぜ。

img08040015_1img08040015_2
by 山口 洋