2008/08/18, 02:58 | 固定リンク

8月18日 月曜日 晴れ 

 誰かがマネーゲームで原油の価格をつり上げて、「勝ち組」だとか「負け組」だとか云ってるのなら、そのバベルの塔に棲んでいる「勝ち組」の奴は本当に愚かだ、と俺は思う。本物の馬鹿だ。奴らの高級車のボンネットに見事なウンコをお見舞いしたいところだが、そんな事で捕まっても意味ないから、やらない。

 漁師は漁に出れなくなり、魚が喰えなくなる。輸入飼料が高騰して、チーズやバターが喰えなくなる。第一、ミネラルウォーターより牛の乳の方が安いってのはどういうことだ、と酪農家の友達が云っていた。牛は子供を産まなければお乳が出ないんだそうだ。考えてみりゃ、当たり前だ。そこに至るまでには手間暇がかかる。水は開かれた公共財であるべきで、企業が囲い込んで利益を上げるのは間違っている、とボディー・ショップの女性社長が語った。同感だ。人間は喰ったもので出来ている。食料自給率を上げることは、CO2を減らすことにも繋がるはずだ。そりゃ、たまにはフォアグラ喰うのもいいけどね、それが飛行機で運ばれてきてること考えたら、せめて残さずに喰って欲しい。職業に貴賎はないのだけれど、第一次産業は尊いと思う。彼らが居なければ、「食い物」はないのだから。彼らが「農薬」を過多に使わずとも、生きていくのに充分な対価が支払われるようなシステムは作れないのだろうか。一方、飽食日本人が食べ残す残飯の量は、世界中の飢えている人々に必要な食料にほぼ匹敵するのだそうだ。レストランで、残されたまま下げられていく皿を観ると、苛々する。喰えないんだったら、頼むなよ。頼んだんなら、喰えよ。喰い尽くせよ。俺たちゃ、何かの「死」の上に生きてんだぜ。「屍」を食べさせてもらってんだよ。最近何かの本で読んだんだけど、戦時中飢えていた日本人は飼い犬まで喰ったと。首を締めて殺して、3日間土に埋めて、喰い尽くしたと。そしたら、タンパク質ってのはすごいエネルギーで、カサカサだった肌がツルツルになったと。俺だって、本気で飢えたら可愛い犬を喰うかもしれんよ。そのくらい生きることには執着してると思うし、暴力性だって充分に内包してる。

 随分前の話だけど、某大学の農学部ってとこに、良く呼ばれて演奏しに行ってた。そこの女子学生に「山口さん来てくれるんで、ニワトリ絞めときましたー」と笑顔で云われて、こいつ格好いいな、とシビれたことがある。本当の話だけど、「牛丸」って行事があって、子牛にパイプが刺さってて、グルグル廻りながら、丸焼きにされていた。「俺たち、殺したからには喰い尽くしますから」って。またシビれた。多分、自分が殺せないものは喰っちゃいけないんだと思う。それが正しいんだと思う。でも実際のところ、牛はおろか、俺は魚でさえ殺せない情けない男だからね。せめて、何かの屍を頂いてること、誰かが俺の代わりにそいつを「殺して」くれていること。それだけは忘れずにいようと思う。原油だって、それは本物の「屍」なんだから。

 さ、歌書こ。

by 山口 洋