everyone is waiting for a sunrise

2009/05/05, 22:41 | 固定リンク

5月5日 火曜日 雨 

 「殆ど引っ越し」はどうにか3日間でやり終えた。とは云っても、一人の作業なので、ただ仕事場に膨大な荷物を運び込んだに過ぎず、まるでガレキの山のような様相を呈したまま、ツアーに出ることになった。どうして運送屋に頼まないのか、と人に云われたけれど、今回は自分ひとりでそれをやりきることに意味があるように思えたのだ。30年のバンドの重みと、人任せにしてきたことの総量と、厚意にのっかって誰かを傷つけた重みを知ることが必要だったから。随分と重かった。でも、これで全部だとは到底思えない。最後の荷物を運び込んだとき、大雨が降っていた。「洗い流してくれ」てくれてるのかな。
 いつもの自分なら、ここで猛然とギアを入れて、あっと云う間に仕事場も片付けてしまうところだけれど、それも止めた。体調がそれを許さなかったのと、昨日も書いたように「ゆるやかな考察」をするためには、空いた時間にひとつずつ片付けていくことの方が、自分に何かをもたらしてくれる気がしたからだ。性分として「待つ」ことが最も苦手だ。でもこんな時に身体に負荷をかけてまで、状況を変えようとするのは間違っている。生まれて初めてそう思った。自然に、流れに身を任せてみよう。そこで気づくこともあると思うから。
 その昔、僕が初めて尊敬するミュージシャンにプロデュースされた時のことを思い出した。締め切りが近づき、僕と彼はスタジオに缶ヅメにされていた。最後の3日間くらい、ほぼ不眠不休でふたりは働いた。水分は摂取していたと思うが、それ以外は音楽に没頭していた。後ろのソファーにはミュージシャンやスタッフがたくさんいたが、一人、また一人と疲労でバタバタと倒れていくのだ。最後にはアシスタント・エンジニアまで倒れて、朝方のスタジオには、僕と彼とエンジニアしか居なくなった。その状況になっても、ふたりは目をらんらんと輝かせて、新しいアイデアをすべて試そうとするのだ。ここに及んで、この二人はイカれてると自覚したが、実のところ、僕はとんでもなく愉しかったのだ。こんなに没入するのは自分だけじゃなかったんだってことが、とても嬉しかった。イカれてるほどの情熱があるから、音楽は人の心を動かすのだ。そのような事が今できるかどうかは疑わしいけれど、情熱の質そのものは何も変わっていない。イカれてることを自認しているのなら、それはそれで、この溢れる情熱は自分のいいところだとは思うようにしよう。でも、全ての大切な事象に、この態度で向かってることが間違いだってことに気づいたのだ。決定的に。

 ひとつ、いい事があった。運んだ膨大な荷物の中には無数のテープが含まれている。いっそ、すべて処分するかと思ったが、そこだけは思いとどまった。仕事場への道のりに、一本適当に選んで聞いてみた。それは1997年の「月に吠えるツアー」の福岡公演の音源だった。12年も前の音になると、まるで他人の音楽みたいに聞ける。だいいち、バンドのメンバーで残っているのは僕だけだったし。それがね。びっくりするほど素晴らしかった。このアホな四人は本当に音楽に真っすぐに向かってるんだってことが、伝わってきた。悪くなかった。まさか、12年前の自分に鼓舞されることになるなんて、思わなかった。4曲くらい聞いたところで、思い出したのだ。何だか、自分のギターがヘンだ。このツアーの間、メンバーやスタッフだけは知っていたけど、僕は右手を骨折していたのだった。手術で骨に金属が通され、とてもギターが弾ける状態じゃなかった。でも、こうして聞いてみると伝わってくるものがある。そこには、アホみたいな情熱があった。骨折の理由は未だに恥ずかしくて、ここには書けない。けれど、その日を境に、僕は何があっても、二度と人を殴らないことに決めた。そこまでやらかして、学んだのだ、多分。
 ひとつだけ、その頃と違うことがあるとするなら、もう月に「吠えて」はいない。それは宇宙にたくさん存在する星の中の、大切なひとつで、ときどき僕にメッセージを運んでくる。月に「想う」。僕はこの状況に感謝したいと思っている。何かを学ぶための、与えられた機会なのだ。そして、身体が疲れすぎていると、大事なメッセージを受け取れない。だから、ちゃんと喰って、眠る努力をしよう、と思った。今は人生でとても大切な時期を過ごしている実感がある。やり遂げようと、思う。

by 山口 洋