しなやかに、そしてしたたかに、宮崎にて

2010/01/31, 02:40 | 固定リンク

1月31日 日曜日 雨 

 雨の宮崎にて。開演前にこんなメールをもらった。プライバシーの保護も含めて、内容を抜粋。

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母(77歳)と観に行きました。
最近仕事を辞めた母は、何をしても楽しくないと言うようになり、圭一さんの言う「生きたまま死んでる」ような状態に突然なってしまいました。
そんな、母が、ライヴを観た後、水泳やピアノと、とにかくいろんな事に挑戦してみると言ってくれました。「いくつになっても、生まれ変われる」この言葉が、ハートに響いたようです。
ありがとうございました。
ライヴは、本当に素晴らしいものでした。
新曲もよかった!新しいアルバム楽しみにしています。
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 こんな感想をもらうと、本当に嬉しい。母上、大切にしんしゃいね。

 宮崎でいつも演奏させてもらっているこの店は、オーナーが音楽への愛情たっぷりに育ててきた場所だ。それは演奏してみれば、よく分かる。音がふくよかで柔らかい。決して「痛く」ない。その店があるのは、宮崎で一番の歓楽街。でも、昨年だけで、200軒の店が看板を下ろしたのだと。例えば、洋食屋さん。腕もある、愛もある。それでもダメなのだと。それならと値段を下げてもダメなのだと。人々は早かろう、安かろうのチェーン店に行ってしまうのだと。オレは思う、人々はホリスティック・ビューに欠けている。オレもかもしれんが。即ちチェーン店が悪いとも思わない。けれど、地域に生きているのは自分で、自分で自分の首を絞めていると云う哀しい現状がある。失って、気づいてからではもう遅い。音楽の世界に長く身を置いていても同じだ。業界は儲けることばかり考えて(ある意味では資本主義なのだから、正しいのだけれど)、音楽リスナーを育てる努力をしなかった。その結果、音楽はコンビニエントなものになって、その本質を受け取られないまま、人々に飽きられ、捨てられた。そして焼け野原が残った訳だけれど、不思議なもので、ちゃんとタフな雑草たちが芽吹いてきた。オレは現場で生きていて、そう感じている。

 今現在も、多くの友人たちが苦境にあえいでいる。職種が何であれ。ツアーの途中でも、ひっきりなしにそのような連絡が入る。報道されているより、オレが感じているこの国の状況はヒドい。でも、思うのだ。人は追いつめられて、本当に生き始める。嘆いていても仕方ない。世界で、今自分が何処に位置しているのか。それをしっかりと見据えて、自分の胸にある火を絶やすことのないように。絶対に大丈夫だ。根拠はないけど。逆に聞きたい?どうして、根拠や保証が必要なのか、と。そんなものは太古の昔からないはずで、それは幻想に過ぎないことを歴史が証明してるじゃないか。大切なのはムードではなく、本質だと思う。今はムードやモードでは生き残れない。その人の考えの体幹となるもの、あるいはコア(核)となるもの。それが大事だと思う。目先のことに囚われすぎると、ブレて、まっすぐ走れなくなる。車の運転であれ、走ることであれ、原理は同じ。できるだけ遠くを見よう。今がどんなに厳しくても。いや、厳しいからこそ、背筋を伸ばして、少しだけ遠くを見つめていたい。

 終演後、霧の道を宮崎から福岡まで移動した。霧の道はハイビームでは見えない。さっき書いたことと矛盾するかもしれないけれど、近くをしっかり見つめなきゃならない場面もある。けれど、相対的に云って、遠くをしなやかに、したたかに見つめていたいと思う。来てくれて、ありがとう。宮崎、いつかフル・バンドで上陸するからね。

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by 山口 洋