future is unwritten

2010/04/16, 16:34 | 固定リンク

4月16日 金曜日 雨 

 身の回りの整理をしながら、音楽の宇宙の中にずっと棲んでいた。魚先生とライヴの現場で「本気」で没入している世界は、予想した通り、「何かが出ている」としか思えないものだった。何かに取り憑かれているとも思うし、何かから完全に離脱もしていた。僕らは空気を握り、爆発させ、時に自らのエネルギーを持てあまして、破綻していた。リアルでいて、幻想的でもあった。この世の中で生きていて、「破綻」せずに暮らしていくことなんて、僕には無理だ。いい人で居ることなんて絶対に無理だ。感情が身体の器を超えるとき、どうしようもなく溢れたものが音になることだってある。
 
 ツアーを続けていて思ったのだ。もう二度と、僕はレコーディング・スタジオと云う閉鎖された空間で、このような「気分」になることはないだろう、と。ならば、自分たちが完全に「無」と化しているこの状態を記録したものから、普遍の作品を作れないだろうか。どうやって完成させたらいいのか分からない。目指しているのは「ライヴ盤」ではないのだから。でも、まずはそれをミキシングすることから始めてみた。誰かが投げかけたひとつのエネルギーが、もう一人の誰かに届き、反応を始める。それが連綿と繰り返されるとき、音楽は河の流れになって、動き始める。蛇行し、様々なものを巻き込みながら、やがては海へと注ぐ。いつかまた雨となって地面に降り注ぐ。でっかくて、そして矮小でもある2010年の祈りと破綻のループ。随分遠いところに来たものだと、わずかな感慨を覚えながら、まだまだ行けるはずだと、もう他人のものになってしまったような、自分たちの音に励まされたりもする。
 ひとつきかけて、この作業を終えたら、すべての楽器をファイルにして、魚先生に丸投げしようと思っている。煮るなり、焼くなり、好きにしてもらいたい。タブーは何もない。それを再び僕が受け取り、曲間のまるでない連綿と続く音楽にできたら、本当に素晴らしいと思う。それがリポビタンDのように、同じ時代を生きる人の滋養強壮に役立つなら、こんなに嬉しいことはない。
 作業に煮詰まると、身の回りの整理をする。使えるものは出来るだけ人に差し上げる。頂きを目指すためには、身軽で居なければ。盗まれて困るのは自分の心だけだ。僕は明日故郷に帰り、一週間かけて、誰かの子供として、繋がってきた血を引き継げなかった人間として、多分最後の責務を果たすことになる。もうつなぎ止めるものは何もない。はばたくだけだ。心にぽっかり空いた穴から空を見上げるとき。そこに確かに風が吹いているのを感じる。無理にはばたかなくても、その気流を捕まえたなら、トンビのように舞うことが出来る気がするのだ。

by 山口 洋