R.I.P

2010/04/28, 18:21 | 固定リンク

4月28日 水曜日 曇り 

 「長距離走者の孤独」を書いた、アラン・シリトーが亡くなった。右も左も分からず、漠然とした不安を抱えていた中学生の時分、その本を何度もむさぼるように読んだ。その本がくれたエネルギーは、ジョー・ストラマーが教えてくれたものと同じ種類のものだった。深い感謝を。

 絵本作家の沢田としきさんの訃報を聞いた。彼とは沖縄で、ライヴペインティングで共演したことがある。僕とリクオの演奏が激しくなると、彼は絵筆を捨てて、素手でパーカションを演奏するように絵を描いた。僕らはその音にひどく鼓舞されたし、演奏しながら、ときどき背後で描かれている絵を観てみると、互いに影響されて、風景がどんどん変わっていくのが分かる。僕らは共に「演奏」していたのだと思うし、そのような経験はあまりしたことがない。彼は生涯をかけて、たくさんの絵を遺した。「アフリカの音」を始めとする無数の絵本、「ぐるり」や「すばる」の表紙など。作品は一貫して「生」の力に満ちていた。そのように「溢れる」人物が、志半ばで病に倒れることの無念に胸が詰まる。心から冥福を祈りたい。沢田さん、ありがとう。

 昨日のダニエル・ラノアの映像に補足を。彼は古いミキシングコンソールを「演奏」していた。すべてマニュアルの操作によって「フロウ」が作られていた。80年代に入って、ミキシングコンソールは殆どの動きを「記憶」できるようになった。今や、コンピューターを使えば、出来ないことは殆どない。けれど、「何でもできる」ことによって、「何か」が確実に失われた。僕らとて、わずか1曲のミキシングに1週間かかることがある。次第にツマミは動かなくなり、最後は「髪の毛一本」の世界になる。そこまで完膚なきまでに突き詰めるほどの音楽をやっているのか、と自問自答することも多い。デビュー盤「柱」は敢えて、コンピューター・ミキシングができないアナログのコンソールで作られた。ヴォーカルに用意されたトラックは2つだった。そしてトラックダウンは一発で決めなければならない。やり直しはできない。コンソールの前にエンジニアと僕とディレクターが並んで座り、「せーの」でツマミをいじって音を作る。そうやって作られた音は緊張感に満ちている。みずみずしいのだ。ダニエル・ラノアがコンソールを「演奏」しているときの目が好きだ。僕らはあの表情をテクノロジーの恩恵によって、失ってしまったのかもしれない。沢田さんが「演奏」しているとき、同じ目をしていたことを思い出した。「何でもできる」ことによって失われる「何か」。それを忘れずに居たい。

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by 山口 洋