忘却と死の彼方にあるもの

2010/04/22, 01:05 | 固定リンク

4月22日 木曜日 雨 

 深夜。激しい雷雨の中、ひとりきり。稲妻の閃光がときどき空を青く染める。まるで、世界全体が眠らせておいた記憶をフラッシュバックしているようだった。怖くて眠れなかったのではない。僕はこのような天候が嫌いじゃない。この光景を脳裏に刻んでおきたかった。湧いてくる想いと共に。

 結局眠れなかった。朝になっても、何かを洗い流すのだけが目的で、そのために、ただただ、雨は激しく降っているようだった。家から車までの5メートルで、滅多に着ないスーツはびしょ濡れになった。母の7周忌と父方の祖母の13回忌。それが僕の役目。
 姓を残すものは、僕ひとりになってしまった。つまり、このままだと絶滅する。好んでこのような状態を作り出した訳じゃないが、それは仕方がない。でも、祖先がどのような歴史を経て今日があるのか、それはもはや知る由もない部分も多いが、出来ることはやっておきたかった。誰かを鎮かに眠らせることは、時おり制御不能になる自分を静かに眠らせることでもある。ただ、僕には分からないことが多すぎた。その声が永遠に失われる前に聞いておきたかった。親から一方的に語られた言葉ではなく、できるだけ多角的にその物事を検証しておきたかった。
 母をめぐる人々に出来るだけ会うことにした。みなさんかなりの高齢なので、ここに居る間に、僕がそれらの人々の家に出向いた。僕は親類の中で、ずっとアウトローとして、そこからできるだけ遠く離れようと試みながら生きてきたから、彼らとて、僕に話すことは躊躇があったと思う。けれど、もはやそのようなことを知りたがる人間も僕しか居ないのだと思う。知っていることを記憶の糸をたぐりながら話してくれた。呵責やそれぞれの想いと共に。知らないことが山ほどあった。でも録音はしなかった。記憶から抜け落ちてしまうようなことがあれば、それはきっと重要なことではない。語られたすべての言葉を一旦自分の胸にしまって、咀嚼しなければ、到底受け止められそうにない。ただ、ひとつだけ決定的なことは、その人物がいくつのときに「戦争」に突入し、いくつのときに「終戦」を迎えたのか。そのわずかな数年の差が、後のそれぞれの人生に多大な影響を及ぼしていることだけは確かだった。例えば、母方の祖父が満蒙開拓団の団長だったなんて、僕はまるで知らなかった。そんなこと、母は一度も語らなかった。彼女はそこから派生した様々な出来事(としかは今は書けないのだけど)と共に、無言のまま墓場に行ったのだ。こうして、カメラのファインダーを覗き、フォーカスを合わせるときのように、いろんな事が、いつかは今よりはっきりと見えてくるんだと思う。愉快な作業ではないだろう。でも出来るだけやり遂げたい。どれだけ時間がかかったとしても。

 失われつつある過去を知ろうとすることは、無理に造影剤を飲んで、レントゲンで過去を撮影するようなものだ。幾重にも渡る血筋が迷走する管と共に浮かび上がってくる。時々、身が凍る。それでも、忘却と死の彼方に僕の未来はある。

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by 山口 洋