嵐のような一日、リハーサル2日目

2010/09/08, 02:25 | 固定リンク

9月8日 水曜日 雨 

 まるで、今日の台風のように嵐のような一日。スタジオの行きしな、信号待ちの間に車のサンルーフ越しの水滴を撮った。宇宙だった。スタジオに着いて、あんなことも、こんなことも試してみる。みんな、歴戦の強者。「合奏」と云う言葉そのままに。空白の時間は本当に音楽が埋めてくれる。何も語る必要なし。僕はカチカチに固められた音よりも、適度にいい加減な音の方が好きだ。どのようにも変化してくれる。ただ、そこには背骨のように「まっすぐに」何かが通っていなければ、タダのチャランポランな音にしかならない。その背骨を通すためにリハーサルの時間があると、僕は思う。それを感じたから、必要以上に音を出すことはしない。後はどのみち、ステージに上がってみなけりゃ、何も本当のことは分からないんだし。「風が吹いてきた」と昨日書いたけれど、そのようなオーラを放ってさえいれば、事は勝手に動き出す。作為じゃダメだ。僕が尊敬しているカメラマンの松本さんがツアーに帯同してくれることになった。「何で?」と野暮な質問をしたなら、「撮りたいから」。理由はそれで十分だと思う。このツアー。僕のblogと渡辺圭一の「たまけん」と松本さんの写真で多角的に同時進行で語られると思う。まったく違った角度から。オーディエンスがどのようにも受け止めることができる。それが僕らにとってのエンターテイメント。愉しみにしていてください。未だ、僕らのツアーが何処にたどり着くのか分からない。でも、それがちょっと怖くて、愉しい。僕らが楽しんでいないことをユーザーが楽しめる訳がない。僕らの行動の基本はそこにあります。昨日、書いた魚さんとのアルバム。元はすべて、二人のライヴ音源から作られています。ライヴの素材だから、ヘクった場所もある。でも、それを超してあまりあるだけのリアリティーが確かにそこには刻まれているのです。必要は発明の母。このツアーは、きっと何かをもたらしてくれる。だから、記録したい、表現したい。そのような輩を拒む理由は何処にもないのです。是非、足を運んでください。2010年に僕らが掴んだ「光」を届けたいのです。いつものように根拠のない確信だけはたっぷりとあります。それは多分、人を信じるエネルギーだと思います。船に乗った以上、信じるしかないのです。
 リハーサルを終えて、渡辺圭一を都内某所まで送って、腹が減って、低血糖でフラフラでした。いかん、このままじゃ運転できん、と。僕は飯屋に飛び込みました。喰ったところまではいいが、鍵がない。今日の雨に鍵がない。どこかで落としたらしい。アーメン。携帯もギターもコンピュータも、何もかも車の中。家のスペアキーは持っていないし。車をとめた場所から目を皿のようにして探しても、見つからず。どーすんだよ、俺。帰って、明日のリハーサルの曲も覚えなきゃなんないのに。ふむ。こういう時はゆっくり考えてみよう。交番に行こう。僕は今まで拾ったものを(当たり前だけど)in my pocketしたことなんかない。さぞ困ってるだろうな、と出来る限りの対応はしてきたはずだ。大都会の交番に行ったけれど、おまりさんはパトロール中。そこに警視庁への直通電話があって、「かくかくしかじか、僕は鍵をなくして、困っています」。そう伝えたなら、「渋谷のハチ公前の派出所にそのようなものが届いています、行ってみてください」と。うーん、それが僕の鍵だったらいいな、でも途中でそれは僕の鍵なのだ、と勝手にストーリーを描いてみた。果たして。そこに届けられていたのは僕の鍵だった。おまわりさんに「届けてくれた方にお礼がしたいんです」、と。でも「その方はそのようなことを望まれてはいませんのでお伝えできません」と。僕は感謝した。人生って面白いなぁ。巡り巡って、逆の立場でそのような時がやってくる。根拠もなく確信だけはあったのだ。きっと、届いているだろう、と。僕の鍵を拾って、忙しい中、届けてくれてありがとう。本当にありがとう。何のお礼も出来ないけれど、僕が何かを拾ったとき、あなたのような行動を取ろうと思います。世の中、捨てたもんじゃないね。

 な、訳でカメラの中の入っていた写真はすっとんきょうな誰かが撮影した僕の写真だけでした。お許しを。

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by 山口 洋