その男、風雲児にて

2010/11/09, 04:18 | 固定リンク

11月9日 水曜日 晴れ 

 音楽ITの現場において、風雲児と呼ばれているらしい「小寺修一」は、僕の三代前のマネージャーだった。記憶が正しければ、奴は某ソニーの社員で、宣伝の現場で僕らに出会い、マネージメントをやらせて欲しいとやって来たのだった。多分、1994年から97年にかけて。酸っぱいことがいろいろあった「はず」なので、詳細は割愛させてもらうとして、良くもまぁ、暴君ヒロシにあれだけ付いてきてくれたものだとは思う。そのくらいには僕も若かったし、血気盛んだったし、ある意味では真剣でもあった。
 当時の音楽業界は今になって思うと、信じられないような状況だった。酸っぱくならない程度に書くなら、例えば、みなさんが3000円のCDを買ってくれたとして、我々に入るお金(アーティスト印税)わずか1%、信じられる?つまり30円。3人のメンバーが居たとするなら、一人頭10円になる。これで生活を成り立たせるためには、最低でも20万枚のセールスを上げねばならない訳で、ほぼ「生きながら死ね」と云う宣告に等しい。ただし、この話には裏があって、実のところ、レコード会社はほぼ全ての権利を保有する代わりに、ライヴの赤字を「プロモーション」と云う名目で補填し、事務所には「援助金」と云う金が流れていて、それを頭割りして、「給料」と云う形でミュージシャンには支払われていた。今になって思うと、実にヘンな話だ。ミュージシャンは独立した個人事業主であるべきで、マネージメントはそのスキルに対して、僕らが「雇う - 対価を支払う」べきものだ。その頃、僕も小寺も若かった。若かったというより、バカだった。何も知らなかったし、知ろうともしていなかった。業界全体がどういう仕組みになっていて、どう金が還流し、誰が権利を保有し、どこにハイエナが潜んでいて、利権や既得権益で不労所得を得ているのか。僕が蓮舫議員だとしよう。今ならボコボコに事業仕分けができる。
 とにかく、僕と小寺は袂を分かち、違う方法で、その矛盾を嫌と云うほど学んできた。大事なのは「多様性」。メインストリートはあって結構。でもバックストリートも世の中には必要だ。そのふたつを行き来することによって、若者は大人になる。僕の恩人でもある音楽出版社の社長氏がうまい表現をしていた。どんなに美味しいカレーでも、それを毎日食べ続けられるのはイチローだけだ(この部分、僕が脚色)。目の前に寸胴いっぱいの高級カレーがあったとしても、それを毎日食べたら嫌になる。ソバも喰いたいし、たまにはパスタも喰いたい。その多様性 - 言い換えるなら、選択肢の多さ、こそが文化の懐なのだと僕は思う。
 元、下僕(失礼)、今は風雲児。小寺はある試みを始めた。音楽、映像、グラフィック、エトセトラ。それらを配信するサイトを立ち上げた。ただし、彼らが手数料として取るのはどんな作品の形態であれ、20%。公正明大。実にフェア。みなさんが額に汗して働いて、作品に対して支払ってくれたお金の分配方法はそこに明記される。
 時代を傍観していては意味がない。リスクをしょって、前に進まなければ。それはとてもやりがいのあることだ。時代を作るのは自分たちなのだから。成長した小寺にまた出会えたのは、正直嬉しかった。今回のデジタル写真集の企画も発案者は奴だ。デジタルだからこそ、出来ることがある。そのプロモーションをu-streamで中継すると云うので、下北沢まで出かけたなら、MCは小寺で、軽い目眩を覚えたが、風雲児らしいから許す。奴のスタンスは良い意味で軽く、僕にはないものを確実に持っていた。悪くなかった。

 中継が終ったあとも、出演していたフォトグラファーの松本さん、デザイナーのスントーさん、映像チーム。それぞれが自身の意見を述べ、いろんなアイデアが生まれてきた。悪くない。そういえば、この写真集。松本さんが撮影した約20000枚の写真。収録されなかったものにも、素晴らしいものが沢山ある。選んだのはスントー氏。でも、松本セレクト、ヒロシセレクト。いろんな角度から楽しんでもらえるじゃん。てな訳で、僕のblogには本日、小寺と僕の記念写真を載せておくとして、これから松本blogと僕のblogには、互いが選んだベストショットを掲載することにします。

 松本さんのblogはここです。
http://d.hatena.ne.jp/hw_live_docu/

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by 山口 洋