speechless intro - ツバメの赤い喉のように、願いを空に届けにいくこと。

2010/11/07, 20:50 | 固定リンク

 2010年、初旬。僕は細海魚とふたりでツアーに出ることにした。今、彼と旅をしたなら何かが起きるだろう。いつものように根拠はなく、確信だけはあった。アホなのかもしれん。いやアホで結構。この時代、確たることなんてどこにもない。いつだって信じられるのは、自分の直感と情熱だけなのだから。

 とにかく、僕らはツアーに出た。僕の車に機材を満載して。余談だけれど、僕らの楽器は普段「殺人兵器」のような堅牢なケースに収納されているので、そのままでは車に載らない。だから、ほぼむき出しのまま運ぶ。見かけが何だか難民チックで、悪くなかった。僕は運転が特技で、魚先生を安全に次の目的地に運ぶのが主な仕事。そしてむき出しの楽器を、パズルのように車に積む「指示」を出すのが魚の仕事。ん?何だか話が脱線してきたぞ。とにかく、スタッフを引き連れ、大掛かりなツアーをやりたくはなかった。出来るだけコンパクトに、その代わり、一カ所でも多く地方を廻ろう。そして車中、ふたりは「speechless」な会話を交わした。僕と彼に共通しているところがあるとするなら、自分の頭蓋とその外に、ふたつの宇宙が存在するのを感じていることで、創造力を通じて、その間を自由に行き来できるところだ。
 ツアーを重ねるうちに、直感は確信に変わっていった。魂レベルの交感が音楽によって行われていた。互いの宇宙を行き来する。ステージと客席との中空に、未来を描くことができた。「これは、記録しておこう」。僕らはその会場を千葉ANGAに定めた。理由は訊かないでくれ。もう分かると思うけど、直感だ。長い間、僕はプロのミュージシャンとして生きてきたが、レコーディングスタジオが好きになれなかった。何故かクリエイティヴな気持ちになれない。嘘のように尖った鉛筆がデスクに並び、最新かつ高価な機材と、程よく訓練されたアシスタント。晩には必ずマズい店屋物を喰らい、そして当然、スタジオに窓はない。さんざんやり尽くして、莫大な金を使って、学んだのだ。「no more」。ライヴでレコーディングされたテイク。音質はスタジオ録音に比べるまでもなく劣る。けれど、スタジオでは決して記録できない「何か」がそこには確実に刻まれる。僕らは移動中に「speechless」な会話をしながら、決めたのだ。「これをライヴ盤としてではなく、素材として用い、一切レコーディングスタジオを使用することなく、作品に昇華することは可能なのではないか」と。
 
 まずは、僕が自分のスタジオにそのファイルを持ち帰った。ライヴならではのオーディンスの拍手や歓声を徹底的に取り除き、演奏だけの「骨」にして、多少の楽器を付け加え、生身の人間が作ったダイナミクスを壊さないよう緻密にミキシングした。費やした時間、約一月。この時点で、作品として既に素晴らしかった。
 それらを再び楽器ごとのファイルに分割し、巨大なハードディスクに入れて、魚先生のスタジオに送った。「煮るなり焼くなり、お好きにどうぞ」。僕は彼が類い稀なるリ・ミキサーでもあり、主観と客観を自由に行き来でき、新しい世界を構築することが出来るのを知っていた。二ヶ月の間、僕らは会話を交わさなかった。やがて彼は「これが欲しい」、「あれが欲しい」と短いメールをよこすようになった。僕は云われるままに作業し、ファイルをネットを通じて送った。ひとつだけ例をあげるなら、「ヒロシがライヴの時によくアドリヴで弾く、あの場を清めるみたいなギター、よろしく。キーはCで」みたいな。シュールかつ的確。僕はスタジオのレコーダーを常にオンにして、彼のリクエストの本質を理解し、何かが降りてくるまでひたすら待つ。そして降りて来たなら、一気に演奏する。僕らはこの時代ならではの「speechless」な会話を愉しんでいた。自分たちでリリースする限り、制約も締め切りもない。誰も僕らを止められない。ならば、行けるところまで行こう。
 ひとつだけ事前に僕らが決めていたこと。それはすべての曲が繋がっていて「おわらない音楽」を作ることだった。今までHEATWAVEのアルバムは主体的に僕が関わってきた。曲を書いたのも、曲順を決めてきたのも、だいたいにおいて僕だ。けれど、このアルバムは違う。三ヶ月を経て、彼から音楽が戻ってきたとき、そこには知らない曲のラフ・スケッチが追加され、ほぼ流れは決定していて、僕が目指していた頂きをはるかに超えていた。僕は鼻を鳴らしてコーフンした。「こりゃ、すごいぞ」。それからネットを通じてやり取りを再開し、最後に一度だけ彼のスタジオを訪ねて、ふたりで「ふりかけ」のように音を重ね、「speechless」は完成した。

 「この世に不可能なんてことはない」。凡庸だけれど、幾つトシを重ねても、その気持ちは変わらない。と云うより、その気持ちは増すばかり。そして、相変わらず、何処かにたどり着いた実感はまるでなし。何だか分からないけれど、ネコのようにガリガリ爪を研いでいたい。その爪で瑞々しい音楽を奏でていたい。そんな日々を送っている僕らはひょっとして幸福かもしれない、とこの頃は思う。

 「speechless」は楚々とした、水の流れのような音楽の「はず」だった。でも、完成したものを通して聞いてみたとき、いつものように「過剰」であることに笑ってしまった。でも多分、それが僕らの本質なのだ。

 あらためて僕がここに記すまでもなく、この音楽は日常のいろいろな場面で聞いてもらえると思う。「ツバメの赤い喉のように、願いを空に届けにいくこと」。アルバムの最後に収録された、細海魚が書いた短い曲に、僕はこんなタイトルを付けた。ひょっとして僕が思いついた言葉ではなく、何処かで見かけた言葉の受け売りかもしれない。でも、僕らは本当にそう思いながら「speechless」を作っていた。僕らは闇を描くことを怖れなかった。何故ならそれが僕らにとっての「ひかり」に他ならないからだ。ツバメの赤い喉がみなさんの日々を明るく照らしてくれますように。読んでくれて、ありがとう。また何処かの空の下で。多謝&再見。      山口洋(46)






 

by 山口 洋