まさかの邂逅、故郷にて
2010/11/23, 19:16 | 固定リンク
11月23日 火曜日 曇り
ま・さ・か。
25年も経過して、またこのステージに立つとはね。このハコは早い話が、フォークのミュージシャンにとっての「照和」みたいなもんである。デビュー前のザ・ルースターズを観たのもここだし、初めて僕らがレギュラーで出演するようになったのもここ。と書くと聞こえはいいが、あまりにも酸っぱい思い出がたくさん染み込んでいるので、出来ることなら近寄りたくなかったと云うのが本音。誤解のないように書いておくと、九州朝日放送の名物ディレクター、故岸川さんを偲んで毎年、石橋凌さんが続けているこのイベントが云々ということではありません。もちろん、その趣旨に賛同したからこそ、僕は出演したのです。この酸っぱい思い出の殆どは超個人的なものであって、特定の誰かを揶揄するものではありません。念のため。
ギターを持って階段を昇ったあたりで、「どどどーーーーっ」と怒濤のように、忘却の彼方にあったことが押し寄せてきた。「ううっ」。僕は場所とか土地のバイブレーションに甚だ引っ張られる。少しだけ書いておくか。当時、僕はまだ10代だった。僕がヴォーカルを取る前の話。福岡にはロックバンドが出演できるハコはここを含めて二カ所しかなかった。自分で書くのも何だが、次第にお客さんが入るようになって、しばらくすると狭いにも程があるこのハコは常に満員になった。100人を越すオーディンスで常にスシ詰め状態。酸素は薄く、汗臭く、異様に熱気があって、天井から客がぶら下がったりしていて(本当の話)、殆どが「オトコ」だった。それらの暴徒たち(すまん)に対して用意されていたPAは、今考えるとPAとは云い難いもので、あまりにも非力だった。バンドはほぼ生音で奴らを制圧せねばならず、ヴォーカルは殆ど聞こえず、凄まじい状況だった。僕らはそんな場所で鍛えられた。だから、福岡からツアーに出かけるようになって、他の大都市のハコで演奏するのがどれだけ楽だったことか。このハコに出演しているバンドの中ではおそらく、僕らが一番動員が多かった。にも関わらず、もらっていたギャラは7000円くらいだった。搾取しすぎだろ、それ。何も知らない僕らはそれでも嬉しかったのだ。まぁ一人2000円もあれば、当時のあの街なら吐くまで飲めたんだけれど。
とにもかくにも。今日は師匠の野田敏、そして花田裕之さんと出演することになった。ステージに上がって音を出した途端、更にいろんなことが蘇ってきた。「ううっ」。この音が伸びない感じ。身体と心が完璧に覚えてるぞ。でも確かに僕らはここから出発したのだ。これが「ゼロからやり直せ」と云うメッセージだとは思いたくないが、こんな状況だったからこそ、あれほどの数のミュージシャンが育っていったんだろうとは思う。本当に自分たちが「叩き上げ」であることを自覚した一日。
「それでも故郷は素晴らしい」。たくさんの友人たちに囲まれて、笑いが絶えなかった。ありがとう。
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