会うと云う行為

2005/10/07, 23:27 | 固定リンク

10月7日 金曜日 雨 

 満席の飛行機で東京に戻る。限りなく灰色に近いブルー。

 モーガン・フィッシャーから、ちょっと前にメールがあった。「ヘイ!ヒロシ。アル・クーパーが来日するんだ。紹介するから会いにいこう」。俺は彼にどうしても伝えたいことがあった。俺の勝手な事情だけど、恩義もあった。でもヤボ用が立て込んでいて、叶わなかった。前回の来日の時もそうだった。
 誰かに会うこと。それには「その時」ってもんがある。理屈じゃないけど、厳然としてそれはある。多分、アルさんの場合は単純に「その時」じゃなかったってだけの事なんだろうけどね。
 昔、心酔してたネイティヴ・アメリカンのメディスンマン、ローリング・サンダーをネヴァダのカーリンって街まで勝手に訪ねて行ったことがある。遠路はるばる彼を訪ねておきながら、家の前まで来て、突然「その時」じゃないと思った。だから、ノックをせずに立ち去った。それからしばらくして、彼が亡くなったことを知ったけれど、不思議と後悔はなかった。
 ヴァン・モリソンを紹介してやると、彼の友人に云われたことがある。けれど、まったく会いたいと思わなかった。俺は彼がアルバムを出す度にアルバムを買って聴く。その関係で何の不足もなかった。
 高名であろうとなかろうと、その人が何処に住んでいようと、誰かに会いたいと強く願ったとしたら、自分の経験から云って、それは数年のうちに叶う。世界はその程度の広さだと思う。でも、握手をしてサインをもらうことは「会う」と云う行為とは違う気がする。実際にその人物の前に立ち、相手の目を見た時に、自分のダメなところも含めて、いろんなものが見えてくる。そこから個と個の関係が始まる。そんな気がする。つまりその人物に会うに値する何かが自分の中に存在しなければ、永遠に「その時」は来ない。そんな事を考えながら、満席の飛行機に乗っていた。

by 山口 洋