古都を行くも

2005/10/28, 23:50 | 固定リンク

10月28日 金曜日 晴れ 

 キンヨウビ。親類の墓参りをするため鎌倉に出向く。若い頃は墓参りの意味なんて全く分からなかった。けれど、トシを重ねてくると、俺がここまで育った(大して育ってないけどね)のは俺ひとりの力じゃないって事を身に染みて思い知る。信じてる神はいないけど、節目節目に出向いて挨拶するのは悪くない。
 その墓は由緒ある円覚寺ってとこにあった。仏の道を行く人にもいろいろあるんだろうけど、その住職はかくあるべしと思えるような人だった。まったくゴウツクバリでないと云うか、何と云うか。寺と云うものが何のためにコミュニティーに存在しているかって事を身をもって教えてくれる人だった。「まぁ、お茶でもいれるから上がって行きなさい」。彼はそう云って、穏やかに微笑みつつ、人生について語ってくれた。何の金品を要求する訳でもなく(そんな事を考えた俺の方が卑しい)別れしなに句を短冊に書いてくれたりして、実はちょっとカンドーしたのだった。
 「去年より 又寂しいぞ 秋の暮  蕪村」
 何であれ、その人の品格のようなものは顔に全てが刻まれている。達観と云うよりは、ちょっとオイタもしたであろう(失礼)、ちょっとエロかったかもしれない(本当に失礼)、その上でこの道をまっすぐに歩いてきた人の表情に、背筋を伸ばされ、そして励まされた。縁あって、あちこちの庵を訪ねているうちに、抹茶だの(俺は正式な飲み方を知らなかったので、「すいません、飲み方分かりません」と云ったら、「いいんです。お寺ですから」と優しく諭された。)、お菓子だの、さんざごちそうになった。そう云えば、この風景、俺が幼少期を過ごしたこの国、そのものだった。もうすぐ紅葉が咲く季節。きっと四季おりおりの風景があるのだろう。いやはや、何とも素晴らしかった。
 せっかくここまで来たのだから、海を見に行った。初めて湘南の海を見た時、九州の海育ちの俺は黒い砂浜を見て、「こんなん海じゃねぇ!」と思ったものだが、都会暮らしも長くなると、夕陽が沈んでいく相模湾を観て、グッと来るものがあった。俺は東京のド真ん中に住んで、一体何をやってるんだろう?と思った。急激にこのあたりに引っ越したくなったので、逗子から葉山にかけて、車を走らせた。ん?悪くない。悪くないぞ。故郷のそれとは全然違うけど、海と山があるだけで、こんなに気持ちが違うものなんだろうか。
 とは云え、第三京浜を下りて、環八に辿り着いた途端、渋滞に巻き込まれた。何だかよう。せっかくリフレッシュしたのに、前の車のテールランプを見つめてるだけで、その気持ちは萎えていくのだった。アーメン。
 結局のところ、大都会に辿り着いた。我が家である。頭の中にはクリスタルキングの有名な曲の荘厳なイントロが鳴り響いていた。くそっ。都会で生きるにはたまには肉を喰らおう。そう思って、新しく開店したトンカツ屋に入ったら、そりゃあもう油が悪かった。くそっ。何となくムシャクシャしたので、楽器屋でMbox2を買った。これがあれば、わずかな機材で日本中何処に行っても簡単なデモなら作ることができる。へっへぃ。こいつとPower Bookを持って、来週から田舎に逃亡じゃーと思ったのも束の間。インストールだのレジスターだの、やっているうちに日付が変わった。くそっ。俺はまだ修行が足りんわい。ね、住職さん?

by 山口 洋