a musical history

2005/09/30, 21:38 | 固定リンク

9月30日 金曜日 晴れ 

何度も何度も「これで終わり」と思いながらも、DVD制作の道は終わっていなかった。でも、今日、追加された曲にマスタリングを施して、今度こそ、終わりだ。

俺には音楽的嗜好が共通してる友人が沢山いて、ゴキゲンな新譜がリリースされると、必ず知らせてくれる。ありがたき存在の数々。打率はほぼ10割に近いからして、本当に感謝してる。きっと、あまりの素晴らしさに、独り占めしてるのは「音楽に失礼だ」と思ってしまう、音楽ファンの性なんだろうけど。
 今日は若手のIからメール。内容があまりに熱かったから、早速、ザ・バンドのボックス・セットやその他もろもろを買いに行った。このボックス。ロビー・ロバートソンが能動的に関わっているからして、総合的な仕上がりが素晴らしい。マスタリングはもちろんのこと、ブックレットも殆ど洋書の世界だし、通常おまけっぽいDVDも、かのビッグ・ピンクでの演奏シーンを含め、無駄なものが一切ありません。ザ・バンドの豊潤な音世界が余すところなく展開されてます。全てのアルバムを穴が開くくらい聴いてる連中も「おーーーっ」と楽しめるところがすごい。
 カナダから流れてきた者、インディアンの血を引くもの、どっぷりとルーツ・ミュージックに浸っているもの、静かなる男、お調子者、マッド・サイエンティスト、エトセトラ。それらが複雑に絡み合った上で、歴史や音楽やメンバーと格闘して、ハードなツアーを乗り越えて、あれらの音楽が奏でられてるってところが、まさにミラクルとしか言いようがない。
 一昔前のミュージシャンは本当に個性が豊かで、ロビーの指にはピックと鉄の爪(俺は何度もトライしたけど、あれじゃ弾けない)が同居してるし、リック・ダンコはあんなリズムの取り方でどうやってグルーヴを出してるのか意味不明だし、レヴォン・ヘルムのドラムは誰よりも歌ってるし、リチャード・マニュエルにはいつだって哀愁が漂ってるし、ガース・ハドソンのクールな壊れっぷりはロバート・クワイン並みだし、導師もメソッドも教師もなく、我が道を行くことの凄みを充分に堪能した。ありがと。

by 山口 洋  

ミックス

2005/09/29, 23:15 | 固定リンク

9月29日 木曜日 晴れ 

昼から、昨日録音したギターをミックスして、合計48分の音楽を仕上げた。久しぶりにアイリッシュ・ウイスキーを飲んだら、あの国の地面の味がした。

by 山口 洋  

idiot wind

2005/09/28, 23:28 | 固定リンク

9月28日 水曜日 晴れ 

昼。スントー・ヒロシと映像作家のW君、ホライズン・プロジェクトに燃えながら取り組んでくれている若者、3人がスタジオにやってくる。そのうち話すことになると思うけど、とあるプロジェクトに音楽を加えるため、俺はグレッチを弾くことになった。いつものようにブヒブヒと現れたスントー・ヒロシは俺の目の前にヴィデオ・モニターをセットし、流れる映像を観ながら弾けと云う。果たしてそこに流れていたのは、パブロ・ピカソのドキュメントとか、古いタップダンスの映像とか、エトセトラ。うーん、相変わらず彼の脳味噌はある意味想定内、ある意味理解不能。でも同じヒロシでも分かり合えたら面白くないからね。早めにスタジオに現れた魚先生にも急遽参加してもらって、結局、俺は2時間ギターを弾いていた。録音し終えて、「ん。俺はもう満足したから、後は好きなところを好きなように使ってくれ」と云って、その場を立ち去れるのはニール・ヤングだけで、俺にはミックス作業と、何と云っても今日はリハーサルが待っていた。

バンドは相変わらずそれぞれの事情を抱えてはいるけれど、その日にしかできない音楽による会話が随分成りたってきた。テンポやノリと云ったものは、もちろんリズム隊の手中にある訳だけれど、それが二度として同じものにならないのが素晴らしく素敵だと、俺は思う。渡辺圭一は3日前に40路に突入した。初めて奴に会った時、彼は確か16歳だった。はは、24年か。これでバンドは全員40代って訳だ。それがどうした?とちょっとだけ強がってみる。中川敬がかつて「サヴァイヴァーズ・バンケット」っちゅー歌を書いてたけど、「いまじゃ墓場はおまえの歌でみな踊る」。この一節は深い。とりあえず、いろいろあったけど、俺たちは生き残った。知り合いも何組かは生き残った。くだらない縄張りみたいなものも、もうない。この前、とあるフェスに向かう飛行機の中に、いくつかの同世代のバンドが乗っていた。音楽をやってんのが、好きでたまらん。ただ、それだけ。みんな顔にそう書いてあった。未だに何処にも辿り着いとらん。だから、2回目のスタートラインに立って、ケツを上げた。そんな気分。モノの本によれば、人生には3度のチャンスと転機がある。多分、このバンドはツーストライク取られてることは間違いない。でも、少なくとももう一回は思いっきりバットを振れるのさ。ファールで粘ることだって出来るのさ。だから打席に立ち続ける。それが好きだしね。自分で諦めてしまわない限り、ミュージシャンに「引退」の二文字はない。

家に帰り、亡き母親の誕生日を祝った。きれいなオールド・イングリッシュローズが咲いていた。大切にしたいのはまっすぐな愛だよ。

それから今日は知性のかけらもない知らせも届いていた。それは言わば、ディランの言葉を借りれば「idiot wind」以外の何者でもないのだが、それも度を超すと、質の悪いギャグにしかならない。この前、何かの本に書いてあったけど、我々が子供の頃は皆、貧しかった。決して裕福ではなかった。けれど、自らを「貧しい」と思っている者はあまり居なかった。何故ならテキトーにみんなが貧しかった訳だし、それを感じない程度には幸福だったのだ。けれど、この時代に巣食うある種の亡者たちは違う。精神的な貧困は人間としての貧しさだ。醜い。あまりに醜い。そして芯まで病んでいる。俺は平穏を愛している。ならば、そのような人間まで愛さなければならないのか?答えは「ノー」だ。憎まない。けれど、そのような人間たちと付き合っている暇はない。「ジャスティス」あるいは「プレシャスネス」。とても素晴らしい言葉。でも、使い方を間違えると、「idiot wind」と同義になることを、自らの肝に命じておきたい。

今日ね、一番響いた言葉。
「砂漠に居ても、星の読み方がわかれば、どこにいるか、わかるじゃん?」
私はそのような人間で居たいと思います。ワン。

by 山口 洋  

リハーサル

2005/09/27, 23:49 | 固定リンク

9月27日

ひっさしぶりぶりのリハーサルです。ここ東京も頬をなでる風がすっかり秋のものです。秋は訳もなく切なくなります。バンドのみなさんは会わなかった間、いろんな事をやっていたので、演奏しながら、その空白を埋めていきます。「今度のライヴは海辺らしいけん、レゲエやろ」と云う根拠のないアイデアの元、レゲエで会話は進みます(っつーか、あれはレゲエなのだろうか?)。相変わらず何処に辿り着くのかは不明ですが、演奏することを楽しんでます。

by 山口 洋  

東京タワー

2005/09/26, 22:43 | 固定リンク

突然、東京タワーに登りたくなったのです。もちろんリリー・フランキーさんの本の影響もあるでしょう。でも、地方出身者にとってこの街が一番落ち着かないのは、煮詰まった時に、自分の暮らしを俯瞰する山や丘がないって事なのです。福岡市には立花山(登るのがキツいけど、その分達成感あり)、三日月山(簡単に登れて、見晴らしも抜群)、油山(車で行ける)、愛宕山(ちょっとした丘みたいなもん)、博多パラダイス(名前がイケてる。今は違う名前かも)、福岡タワー、エトセトラ。自分のその時の体力に合わせて、俯瞰の度合いを調節することが出来ます。夕暮れ時になって、街の灯りがともっていくのを眺めていると、「ま、いっか。明日は何とかなるだろ」ってな気分になるのです。そんな訳で、約35年振りに登りました。東京タワー。この建造物は妙に人間臭いのです。殆ど鉄で出来てるくせに、愛嬌と凛々しさを兼ね備えているのです。真下から見上げると、「わしゃ長い間、ここに立っとるんじゃ、どこからでもかかってこんかい」と云ってるみたいです。バカほど高いところに登りたがるってのは、読んで字の如しで、無論一番高い展望台に行きましたとも。ちょっと怖かったけど。
あの、世界中いろんなところに行ったんすが、こんなにバカでかい都市は見たことがないです。ある意味ブラックホール、ある意味荒野、そしてある意味で人々の営みが愛おしく見えます。トーキョーに比べたら、エンパイア・ステートビルから見るマンハッタンは小さなものです(もちろん違う良さがあるけど)。夕暮れ時だったこともあり、一番星、二番星みたいにあっと云う間に灯りがともっていきます。それぞれの灯りにそれぞれの事情があることが、末恐ろしくもあり、妙に愛おしくも思えるものです。
タワーを降りて、街を歩く頃には「ちっちぇー、俺」と云う気分に満ちていて、それがまた何故かネガティヴなものではないのです。
そんな訳で、ちっちぇー俺がお届けするロックンロール・ダイアリー。今日から少しだけリニューアルです。今までは俺が原稿を書いて、スタッフK君がアップすると云う、ヒジョーに原始的な方法が取られていましたが、この度、直にアップできるようにしてくれたって訳です。ま、長く続けるには無理しないのが一番なので、書きたくない時には書きませんが。それからトラックバックってやつもありません。モノ申したい輩はいつものように掲示板にどうぞ。何よりもこれからは時々、音や映像のファイルをアップするかもしれません。今日リハーサルでこんなグルーヴが産まれたぜとか、新しい曲の断片とか、ね。今後とも、どうぞ、よろしく。

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by 山口 洋  

(no title)

2005/09/25, 00:00 | 固定リンク

昨日から立て続けに長年愛用してたものが壊れ始めた。そんな時期なのかもしれんね。訳もなく。例えば、10年愛用してたヘッドフォン。それはレコーディング・エンジニア達の意見を汲んで作られたもので、どんなにスタジオのスピーカーがボロくても、このヘッドフォンは言わば、俺の「耳」と化していたので、信用できた。それ故、壊れると痛い。仕方なしに、同じ「ようなもの」を買ってはきたが、音は似て非なるものだった。モノは何でもそうなんだけど、気に入って長年愛用してると、それが製造中止になる。仕方ないけど、そうなると換わるものを探すのに苦労する。
俺がギタ-を手にした頃、住んでた小さな街にはヤマハのピックしか売ってなかった。だから、必然的にそれが俺の指と化してしまった。そのピックと爪の両方を使って音を出す方法を自然に覚えた。言わば、それも歴然とした楽器で、あれがなければ自分の音は出ない。ところが10年程前、突然それは製造中止になった。ヤマハに抗議したら、100万円単位だったら作りますけど、と云われた。何処の世界に「ピックに100万円」出す奴がおるんかい。仕方がないので、ローディー君たちがいろんなツアーの度に地方の楽器屋を廻ってくれて、在庫を全部買い占めた。その数、おそらく3000枚。自分たちが作ったものには責任を持って欲しい。と云うか、そんなメーカーの方が最終的にはユーザーに支持されるってのが俺の考えなんだけどね。

by 山口 洋  

何故かカリフォルニア

2005/09/24, 00:00 | 固定リンク

起きた時から頭の中がカリフォルニアだった。左にギルドの12絃、右にテレキャスター、真ん中にスチールギター、そしてドラムはジム・ケルトナーで、唯一ついてる歌詞は「カリフォルニア」で、ヴォーカルにはたっぷりテルレイのショート・ディレイがかかっていた。これだけ明確に音楽が見えていることも珍しいので、試しに録音してみることにした。2時間後、立ち上がってきたものは頭の中にあった景色そのものだった。最後に50年代に作られたリッケンバーカーのラップスチールを録音していたら、そのヘッドの部分にLos Angelesと描かれていて、笑ってしまった。何なんだろ?俺の日々は?何で突然カリフォルニアなんだろ?自分でもまったく心当たりがないんだけれど、まれに、最初に浮かんだものをたぐり寄せていくと、書き上げた時にその理由が分かることがある。「トーキョー・シティー・ヒエラルキー」って曲がまさにそうで、最初からそう歌っていたが、何故そんな歌詞なのか、自分でも全く分からなかった。けれど、書き上げた後、「ヒエラルキー」って言葉が元々は「天使の階級」を示すための言葉だって事を誰かから聞いて、びっくりした。歳を重ねる度に全ての偶然は必然のような気がしてくる。だから、何処に辿り着くのかも分からないけれど、日々の中で旅を続けているんだと思う。

by 山口 洋  

stories

2005/09/23, 00:00 | 固定リンク

沢山の「俺に聴かせたい物語」を送ってくれてありがとう。そのどれもが、それぞれに独特の魅力を放っています。現代に生きること意味や矛盾。ささいな美しさや誰もが抱えているであろう矛盾。「今」をどう描くべきなのか。沢山のヒントをありがとう。締め切りはありません。いつでも気軽に送って下さい。

by 山口 洋  

思索と表現の間で

2005/09/22, 00:00 | 固定リンク

仕事場には2つの机があって、それぞれにコンピュータがのっかってる。ひとつは音楽専用のもので、作りかけの曲がこのところ常に立ち上がってる。もうひとつは書くためのもので、こうやって文章や歌詞を書いている。こうやって2つの机を行き来しながら、フィジカルとメンタル、歌詞と音楽、主観と客観、時代と個人、拒絶と寛容、生と死、男と女。いろんなものが交差する場所を探している。
例えば月。いつも俺はdark side of the moonを見つめてきた気がする。その中にある美しさを必死になって探してた気がする。確かにそこにそれはある。けれど、まれに月はただ単純に美しい。気づけよ、自分。いや気づいてはいたと思う。多分、素直じゃなかっただけだ。ようやく俺はboth sidesを見つめられるようになったし、それを描きたいと思い始めた。

by 山口 洋  

(no title)

2005/09/21, 00:00 | 固定リンク

前日の夜、スマイリー原島兄とラジオを収録。1時間番組っつーのに3曲しか、かからないっちゅーある意味歴史的な内容。
本日。渋谷のBYGでリクオ主催のイベントに出る。ここは家から近いのと、失われし渋谷がまだ残ってるからして、時々客として出没してたが、地下に演奏するスペースがあったとはつゆ知らず。オーナーの方や店員のみなさんの心意気にちょっとうたれる。音楽を愛する店って本来はこうだよな、とか。例えば、リハーサルに行って、「何か飲まれます?」なんてことを聞かれて、「じゃ、すいません、コーヒーを頂けますか?」と応えたら、カップ§ソーサーで出てきた日には、ちょっと嬉しい。その積み重ねが歴史を作る。そんなお店です。
相変わらず体調がすぐれなかったので、ライヴはあまり観れなかったが、アンコールで何故か背後にゴスペル隊が居て、満面の笑顔で歌ってる前でギターを弾くっつー得難い経験もした。何にせよ、リクオはがんばってるんで、俺が云うのも何だけど、10月のイベントに足を運んでみて下さいまし。
リクオとは久しぶりに演奏したんだけど、奴のリズムの「なまり」と俺の「なまり」が合わさって、これまたあり得ない「なまり」になってた。その中で、会わなかった何年間のいろんな事を想像することができる。そんな付き合いも悪くないかな、と。

by 山口 洋  

東京タワー

2005/09/20, 00:00 | 固定リンク

昨夜遅く、ネットで見かけたリリー・フランキーさんの「東京タワー」と云う本が無性に読みたくなった。結局、朝まで曲を書いていたので、渋谷のブック・ファーストが開くまで待って、寝るのを止めて、読み始めた。
読み終わったのが午後1時半。俺は3時間に渡って、爆笑と嗚咽を交互に繰り返しながら読んだ。でも涙は止まらなかった。1963年、福岡生まれ。ほぼ同じような環境(厳密には福岡と北九州、それに筑豊ってとこはかなり気質が異なるんだけど)で生まれ育ち、東京に出てきて、同じように訳分からん日々を過ごし、つい最近同じような状況で母親を亡くした俺にとっては、たまらない内容だった。実のところ、俺もいつか「それ」について書こうと思っていた。でも、もういい。ここに美しい本があるのだから。
何処かに書いたけれど、オースターの言葉を借りれば、「人間の落下を止めるのは愛だけ」だと思う。それは普遍だし、太古の昔からそれは脈々を繰り返されてきたんだと思う。でもこの美しい本には、今を生きる者の言葉として、それが見事に描かれている。「何かを永遠に失う事の意味」。それは順等に事が運べば、誰しもが避けられないし、いつか必ずその時はやってくる。癒してくれるのは結局のところ、時間だけのような気もする。それでも朝の光の中に、時に宙空に、誰かの存在を感じることがある。ときどき語りかけてみる。その時間は決して悪いものではない。
東京タワー。いつも気にかけている割には、上京以来、一度も登ったことがない。行ってみよう、と思う。リリーさん。書いてくれてありがとう。読み終わった後、心は台風一過の秋の空のように、妙に晴れやかでした。

by 山口 洋  

曲を書く

2005/09/19, 00:00 | 固定リンク

音楽用のコンピュータに保存されていたいろんなプロジェクトのデータを全て他のハードディスクに移して、メンテナンスを施し、ヒートウェイヴのために真っ白なものにした。うーん、気分がいい。今、バンドの状態は最高に良いので、デモなんて作る必要がないんだけど、嬉しさ余って、頭の中に鳴っている音を録音してみた。いい感じです。

by 山口 洋  

曲を書く

2005/09/18, 00:00 | 固定リンク

雑務の間に曲の断片を書き留めている。何ひとつとして結実はしていないけれど、起きている間じゅう、クリエィティヴに脳味噌が覚醒してるのが嬉しい。
夜、リクオがやってきて、自身がプロデュースしているイベントについて熱く語った。詳細は http://www.rikuo.net/ 。「ん?面白そうだな」と思った人は是非、足を運んで下さい。

by 山口 洋  

明星とレコーディング

2005/09/17, 00:00 | 固定リンク

先月、明星とライヴをやった。奴の音楽は久しぶりに「俺も参加させろー」と思わせてくれるタイプのものだった。2,3日前、奴から電話がかかってきた。自宅でアナーキーなレコーディングをやっている模様。そりゃ行きますとも。
自分で車に楽器を積んで、奴の自宅まで行き、エンジニア氏と明星と3人で、えっちらおっちら運んだ。何だか、バンドを始めた頃を思い出したよ。当時はスタジオなんてなかったし、誰かの家にこうやって楽器を運んだもんだよ。はは。
奴の音楽の作り方はとてもピースフルだった。譜面はないし、ミュージシャンに何も強制しないし、出てきたアイデアを尊重する。俺の場合、ファーストテイクが一番いいんだけれど、それはしっかり録音されてるし。何よりもあの若さで自分のレコーディングのバジェットを管理してるっつー、その態度がエラい。それは音楽家にとってはとても大切な事なんだけど、出来る奴があまりに少ない。ミュージシャンが直に俺に電話してきて、直にギャランティーの話をするのを久しぶりに聴いたよ。その態度ってのは音楽に反映されるものなんだ。云っとくけど、これはメジャーのレーベルのレコーディングだよ。マネージャー任せ、あるいはレコード会社主体に作られた音楽と、そうではない独立心に富んだ音楽ってのは何かが違う。それは音楽を聴けば分かる。久しぶりに若者に未来を見た気がしたよ。ありがとう。明星。楽しいレコーディングだった。いい音楽だ。俺が必要ならいつでも行くぜ。

by 山口 洋  

(no title)

2005/09/16, 00:00 | 固定リンク

夕方、ライヴのミックスをやってくれてた魚の家に行って、マスターをゲット。忙しい中、ミックスをバンザイした俺に代わって2曲、仕上げてくれました。急いで家に帰って、それらをマスタリングしてDVDのミックス作業、全て完了。終わったのは朝だったけど。後は渡辺監督による映像の仕上がりを待つのみです。今年中にはみなさんに届けられると思うんで、お楽しみに。ライヴ一本、ほぼ完全収録のDVDです。お茶の間にて爆音にてどうぞ。

by 山口 洋  

(no title)

2005/09/15, 00:00 | 固定リンク

事のいきさつはともかく。ソニーの法務ってとこに行った。前に世話になっていた事務所の社長氏、音楽出版社の社長氏、そしてうちのチビと共に。ヒートウェイヴは90年あたりから約5年間、エピック・ソニーとの契約の元、アルバムを5枚発表した。しかし、我々のアルバムは廃盤の憂き目に遭っていた。その権利はレコード会社が保有している。我々の手が全く及ばないところにある。新しくファンになった人々が昔の音源を聴きたいと思っても、それを聴くことが(一部を除いて)叶わない状況にある。けれど時代は変わった。配信によって、それを耳にする事が出来る。レコード会社も大きな出費やリスクを負うことなく(サーバーのハードディスクの容量とある程度の人件費を除いて)、言わば「過去の遺産」によって、収入を得ることができる。もちろん我々も。ならば、それを残さず公開して欲しい。あるいはitunes music storeに門戸を開いて欲しい(今現在ソニーはそこに参加していない)。それに関しては、リリースした時と違って、制作上のコストのかかり方が全く異なる訳だから、新たに違う条件で契約を結んで欲しい。そんな申し入れをしに行った。
ヒドく疲れる会話だったし、俺が云いたい事を云えたかどうかも、甚だ疑わしい。資本主義の世の中で生きているのだから、企業の論理も理解できない訳じゃない。ただ、ディランが随分前に云ったように、「時代は変わる」。黒船来襲による、音楽業界の構造改革の嵐の中で、ミュージシャンがいつも音楽バカでいる訳にはいかない時代だと俺は思う。
じゃあ、お前の考えはどうなんだ?と。
音楽を作ることを農業に例えるなら、我々は精魂込めて、美味い野菜を作った。多少アクが強くて、曲がってるけど、これが野菜だろって俺たちが思うものを作った。俺たちが喰いたいものを作った。すまん、農薬もほんの少しだけ使った。それを販売してる。薄利多売じゃないからして、スーパーのそれよりは少し高いかもしれん。それを届けるためならネットでも何でも利用する。さあ、召し上がれ。君たちの晩ご飯がちょっとでも幸福なものになったら、俺たちは嬉しい。そしてその収入で俺たちは生き、また畑を耕す。大事な事は、俺たちは野菜を作るのがとんでもなく好きだってことと、ある種の人間はそれを喰わずして生きていけないってことだと俺は思う。

by 山口 洋  

soup of the day

2005/09/14, 23:21 | 固定リンク

世の中には形容できぬほど、卑劣かつ下劣な連中が居て、シンプルに暮らしたいだけの俺の毎日を遮り続けてきた。簡単に書けば、「家政婦は見た」的な脚本が軽く3本は書ける数年間だった。永きに渡る理不尽な行為にさらされているうち、俺はタフになったし、本当に大切にしなければならない事を見つけるに到った。今や、憐れみを込めて、礼が云いたい気分ではある。いつも何かをやろうとすると「ん?」みたいな事が起こる。けれど、最近はこう思うのだ。
「ま、仕方ないよ。相手にしても意味のない連中のすることだから。それよりも美味しいお茶を飲もーぜ、とりあえず」。俺の尊敬する人がまれに発する言葉がある。「人間ちっちゃいねー」。あるいは写真を見て、「顔、出来てないねぇ」。この言葉はひどく重い。人の顔には全てが書いてある。それは自分で作るもんだ。たまに鏡を見て、ぞっとすることがある。気をつけなきゃ、ね。
雑務に追われつつも、創作の日々。もう俺は自分の事を吐露したいなんて思わなくなった。俺みたいな人間の事はもうどうでもいい。どっちに転んだって、云いたいことはたったひとつなんだから。それよりも今日のスープの事を考える。soup of the day。外国に行くと、胃袋が小さい俺はこれで夕食が事足りる。大抵の場合、パンがついてる。人の身体は喰ったもんで出来てる。ってことは精神も同様。だから、その日のスープを大切にしたい。昨日、俺はとっても美味いスープを喰った。それには愛がこもってた。その愛が俺を作る。それはひとつの立派なハピネスだと、俺は思う。

by 山口 洋  

ミドル・エイジのバラッド

2005/09/13, 23:08 | 固定リンク

実に久しぶりの創作期間ってやつである。プロになってから10年くらいはそんな期間があるのが当たり前だと思ってた。んー、曲が出来ねー、詩が書けねー、なんて悩んでた。今になって思うと実に贅沢な時間だったよ。はは。さ、こんな貴重な時間。さっさと風邪を治して大切にしよう。
言葉の脳味噌が著しく衰退してる。しばらくリハビリが必要だ。とりあえずは湧いてくるものが今日であれ、歌詞の断片であれ、それを記録しようと思ってる。

ミドル・エイジのバラッド
忘れられた世界の向こうに太陽が沈んでゆく
伝えられなかった記憶
でも真実が君を自由にする

書いたのはこの4行だけ。これだって誰かの言葉かもしれんしな。そうそう、オースターの受け売りなんだけど、俺に聞かせたい物語がある人はメールで送って下さい。実話であること以外、何の制限もありません。沢山の物語を編集して、「今」と云う時代を描きたいと思っています。送ってくれる場合、この場で公にして良いかどうか、実名を公表して良いのかどうか、明確にしておいて下さい。

by 山口 洋  

(no title)

2005/09/12, 00:00 | 固定リンク

昨夜は咳がひどかった。俺は肺病かい?って感じだった。どうやら風邪をこじらせたらしい。もう一週間以上、熱あるし。仕方ない。病院行こう。で、ドクターはハゲていた。ドクターがハゲていると安心するのは一種の偏見なのだろうか?でも、ひっさしぶりの病院にキンチョーしていた俺の心を一気にほぐしてくれた。ありがとう、薄い頭。
ドクターによると、ストレスと疲れで免疫力が著しく低下しているのだそうだ。とにかく薬を飲んで、大人しくしてなさいと。もう本当にこの状態、ウザイので、大人しくしてます。みなさん、ご心配おかけしてすいません。おふとんの国の中で読めなかった大量の本、読むことにします。

by 山口 洋  

(no title)

2005/09/11, 00:00 | 固定リンク

発熱したまま、選挙には行った。オーディナリー・ピープルだって怒っているからだ。炎天下、歩いたせいでまた寝込んで、夜、選挙速報を観て、また熱が上がった。まったくこ、この国はよう。

by 山口 洋  

枯渇

2005/09/10, 00:00 | 固定リンク

ライヴのミックスをやり遂げた。風邪っぴきの身体は未だ完調とは云えず、言葉の泉は枯渇してる。「云う者は知らず、知る者は云わず」。多分、早川義夫さんの言葉。確かに。さあ、言葉のリハビリを開始しよう。

by 山口 洋  

結局のところ

2005/09/08, 00:00 | 固定リンク

結局のところ、俺が何をやってるかっつーと、ライヴのミックスです。途中で頭が割れそうになったんで、魚に丸投げしてたんだけど、彼も忙しく、じゃ、やっぱり投げられないってことで、俺です。自分の過去と対峙するってのは気持ちが前に向かってる時には随分ストレスがたまるものなので、これが何のためかってもうバラしちゃうもんね。えっと、今年の5月のツアー、渋谷AXにおけるライヴをほぼ完全に収録したものをDVDにして、この冬にリリースします。お茶の間でまるでライヴを観てるみたいに楽しめるDVDをって訳です。ツアーで行けなかった場所に住んでる人も、いろんな事情でライヴに来れない人も、今のヒートウェイヴを堪能できまする。俺のライヴのバイブルはルー・リードが80年代にリリースした映像作品「a night with Lou Reed」なんだけど(若い頃、穴が開くほど観たよ)、ま、何度観ても発見がある映像作品ってのを作るつもりなんで楽しみにしてて下され。何にせよ、ミックスは明日には終わらせるぞっと。
まだ正確な日程は不明だけど、冬にはそれを持ってツアーに出るぞっと。その前に俺は曲を書くぞっと。来年になったら出来るだけ早くレコーディングに突入するぞっと。あー、云っちゃった。そんな訳でスタッフの皆さん、俺、云っちゃっいましたー。後はよろしくー。

by 山口 洋  

マスタリング

2005/09/07, 00:00 | 固定リンク

浜田亜紀子のアルバムが完成する日。いつものように新子安に巨匠、小鐵さんを訪ねる。しかし、どうにもこうにも体調悪し。午前0時前、魚ちゃんに「今度熱出したら、入院みたいな顔色してるんで、お願いだから帰って下さい」と云われ、トホホと家路に。な、情けないっす。完成に立ち会えなくて、ごめん。浜田。でも、心からおめでとう。このアルバムが君に何かをもたらさん事を。
帰りしな。「東京の空が秋じゃー」と云うメールが遅れて届いた。聴いていたクリス・レアの音楽と相まって、いつもは苦手な都会の空が何だか凛々しく見えた。悪くなかった。

by 山口 洋  

打ち合わせ

2005/09/06, 00:00 | 固定リンク

昼過ぎから打ち合わせを4本。つ、疲れました。

by 山口 洋  

(no title)

2005/09/05, 00:00 | 固定リンク

節々が痛いっす。情けないっす。熱も引かないっす。俺っていつからこんなヘタレになったんだろ。元気になったら、身体鍛えるもんね。

by 山口 洋  

キャンプに行くも

2005/09/03, 00:00 | 固定リンク

キャンプ隊長、池畑兄の号令により、ひっさしぶりのキャンプが某所にて行われた。趣味はと聞かれれば、行く暇が殆どないのに、キャンプギアをこつこつ集めるのが趣味の俺としては、前夜コーフンして一睡も眠れなかった。これが、後で惨事を巻き起こすとはツユ知らず。
今回は加藤和也隊員を始めとして、約7名と2匹が参加。今回も隊長の働きは「the man」と呼ぶにふさわしいもので、加藤隊員の斧で薪と云うよりは丸太をバッサバサとまっ二つにしていく様は、およそ人間離れしたものであった。感服。
ところで、俺は自然を目の当たりにした瞬間、忙しかったこの日々の張りつめていたものがプツンと切れたのか、急に悪寒に襲われて発熱。美味しいものも喰えず、会話も出来ず、酒も飲めず。テントで寝袋にくるまって、うなされる始末。何ちゅーか、使えない男ってもんが、これだけ情けないとは思わなかった。す、すいません。隊長と骨身を削って働いてくれた隊員たち。でも考え方を変えれば、小川のせせらぎを聞きながら養生するってのも悪くないのである。帰る頃には随分マシになってた事だし。くっそー、と今年中のリベンジを誓うのであった。







by 山口洋  

(no title)

2005/09/02, 00:00 | 固定リンク

夕方。セウ・ジョルジュを観に出かける。彼は噂にたがわぬ素晴らしいパフォーマーだった。が、しかし。座ってライヴを楽しんでいた俺の前に強烈な踊りをかましながら、リオのカーニバルよろしく女性が割り込んできた。百歩譲って、それは許そう。あんたの楽しみ方だからつべこべ云うまい。しかし、奴は背後の人間の事など微塵も考える事なく、あんたのケツは何処まで動くんかいっちゅー感じで踊り続けるのだった。つまり、俺はセウではなく、彼女のケツを観ていた。と云うか強制的に観させられた。真面目な話、だんだん気分が悪くなってきた。強烈なグルーヴと強烈なケツの動き。セクシーな女性は大歓迎だけれど、彼女のハートはちっともセクシーではなかった。俺は耐えきれずに外に出て、吐いた。後で聞いた話によると、彼女は主催者につまみだされたが、それにもメゲず、ステージにまでよじ昇ったらしい。何と云うか、タフネスと云えばタフネス。でも、俺はちょっと違う気がするんだ。ライヴにはいろんな楽しみ方がある。この世の中で生きているのと同じように、周囲には気を使わねばならない。俺の後ろには年配の方も居た訳だし。セウ君には何の落ち度もないけれど、いろいろ考えさせられたよ。っちゅーか、せっかく誘ってくれた主催者の人々、ヘタレですいません。

by 山口 洋  

悪魔の誘い

2005/09/01, 00:00 | 固定リンク

今年に入ってから、多種多様の音楽に携わっていたことは、確かに俺にもいろんなものをもたらしてくれた。でも、あからさまに俺は疲れていた。身体にはガタが来ていた。
よし、自分の道を行くぞ、と決めたはいいものの、毎日目の前にある事に全力を尽くすことで精一杯で、予定は全て未定だった。何なんだ、俺の人生。こんなに無計画でいいのか。もう少しだけ鋭気を養ったら、創作活動に向かおうと思う。
今日は久しぶりにソファーで本を読んでいた。そんな時間を過ごしたのは久しぶりだった。活字が脳味噌に染み渡っていく。至福。そんな時に悪魔の電話が鳴った。あの酒癖の悪いTからだった。アーメン、哀れな俺たちはまた夜の街に吸い込まれて、あーでもない、こーでもないと語り合うハメになった。でも、奴の脳味噌に渦巻いているアイデアは素晴らしいものだったので、俺も出来る限りの協力をしようと思った。
思うに、俺たちのジェネレーションが育った環境はヒドかった。いや、それはもうヒドいもんだった。勉強が出来ない奴は「落ちこぼれ」るしかなくて、教師には「人生失格の烙印」を押されたのだった。ティーン・エイジャーにして早々と「負け犬」になる。国立の大学に入るためには「共通一次試験」っつーのがあって、5教科7科目まんべんなく出来なければならなかった。俺に云わせてもらえば、まんべんなく何かが出来るってことは何も出来ないってことである。その手の人間しか国家は必要としてないって事なのだ。だって、若いんだから何かひとつの事に夢中になってれば、それで充分じゃないか。いろんな事はその道程の中で見つけていけばいいじゃねーか。俺は英語の成績だけは素晴らしく良かったけど、初めて外国に行った時、チーズバーガーが買えなかった。そんな教育に意味があるとは思えないんだよね。とにかくそんな人間にはなりたくなかったから、俺は試験の日に雪合戦をして遊んでいたら、見事に2次試験を受ける大学がなかった。実のところ、俺の父親はその試験の問題を作ったりする立場に居たから、「こんな問題が解ける事に意味あんのかよ?」と聞いたら、彼は「ない」と言い切った。俺はそんな親父が好きだった。
俺には信じるものがあった。それは音楽だった。だから、廻りがガシガシ勉学にいそしんでいて、俺がどんどん落ちこぼれていっても何ともなかった。じゃ、信じるもの。例えばそれが麻原某だった場合どうなるんだい?それは信じてるものが違うって事以外は何も変わらない気がするんだ、俺は。人間はそんなに強い生き物じゃないんだ。単に宗教って意味じゃなくて、何かを信じてなきゃ生きられないんだ。書かなくても分かると思うけど、俺はオウムがやったことを容認してる訳じゃないからね。
Tの説によると、それは先の大戦がどう語り継がれたかにかかってる、と。俺もそう思うんだ。
1. 体験があまりに辛かったから語らなかった
2. 体験を美化して伝えるしかなかった
3. 体験をありのまま伝えた
語り合ったのは1と2、あるいは「失われていく記憶」について。これ以上書くと、とんでもなく長い話になるから、今日はここまで。
人間として一番大事なことは「honest」であることだと思う。その態度を貫くにはとんでもなく忍耐と勇気を必要とする。でも、俺はそうありたいと強く思う。

今日Tに話したんだけど、某クリントンが某モニカ・ルインスキーとホワイトハウスでの「不適切な関係」を認めた。でもさ、「不適切な関係」って何だよ?「すいません。モニカがあまりに魅力的だったんで、つ、つい*******やってしまいました」。って云えばいいのに。結果、彼が失職したとしても、歴史が彼をいつか、とってもヒューマンな大統領として認める日が来ると、俺は思うんだけどね。
Honest we do!

by 山口 洋  
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