ゲルマン民族大移動開始

2010/11/30, 00:02 | 固定リンク

11月29日 月曜日 晴れ 

 仕事場を移転することにした。早い話が引っ越し。考えていたことはたった二つで、明るくて風が通るバイブレーションのいい建物、近所に信号なしでガシガシ長距離を走れる場所があること。それに当たって、過去を全部整理した。しんどかったけど、何とかやり終えた。冗談抜きで、僕が突発的に死ぬようなことがあったら、どれだけ誰かに迷惑をかけるんちゅー状態だったのだ。モノは徹底的に減らした。生きていくのに必要なものだけを厳選して残した。それは独りで生きていく者のモラルだと思う。これから何かを買うことがあっても、一生モノしか買わない。
 引っ越しは自分の優先順位が如実に現れる。だから、いつも楽器や機材は前もって自分で運ぶ。大切なものだから。楽器も随分人に差し上げたから、もはや7,8本しか持っていないだろうと思っていたら、とんでもなかった。ざっと数えて23本。病院に長期入院しているものもあるから、未だに27本くらい持っていることになる。まったく、困ったもんだ。

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by 山口 洋  

やれば出来る子、リクオ

2010/11/28, 14:21 | 固定リンク

11月28日 日曜日 曇り 

 名字は「リ」、名前は「クオ」。奴の本名が「西川」だと知ったのは最近のこと。デビュー20周年イベント、本日は下北沢にて。地下にあるハコに名器スタインウェイを運び入れた情熱にも呆れたが、リハーサルが昼の12時、出番が午後9時、その間僕はほぼ楽屋に居たのだが、そこにわんさか居るミュージシャンたち。世の中にこの人たちしか居なかったら、絶対戦争は起きないだろうね。だって、アホなんだもん。芸で生きてきた人たちはニンゲンとして興味深いにも程があると云うか。抱腹絶倒。雑種天国。毒があって、そしてピースフル。見てくれ、この写真。ギターパンダに心鷲掴みにされる。パ、パンダが水飲んでる。
 何はともあれ。よくもあれだけの曲を身体に入れました。やれば出来る子、リクオ、おめでとう。僕はパンダとともだちになってとても嬉しい。だって、オレ、パンダとともだちなんだぜ。みんないい顔してたから、アンコールじゃ演奏よりも写真を撮ることに集中してたよ。ギター弾く人いっぱい居たしね。今度、写真持ってくから、ゆっくり休みな。ありがとう。いい時間だったよ。

追伸
車だし、飲まずに大人しく帰ろうとしたら、ライヴでコーフンしたお客さんに路上で「ヒロシさんもデビュー20周年だから、ここで胴上げしよう」と危うく市川海老蔵にされるとこだったぜ。わん。

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by 山口 洋  

心、折れる

2010/11/27, 17:13 | 固定リンク

11月27日 土曜日 晴れ 

 朝から晩まで、うぞーむぞーの荷物と格闘しています。CD棚が崩壊して、床が飛び散ったCDだらけになったとき、はっきりと音を立てて、心が折れました。もう何も要らん。何も要らんぞ。何も要らんのじゃーーーーーーーーっ。今度こそ、ドがつくくらいシンプルに生きてやる。そう固く誓ったのです。涙。
 頭の中に破裂しそうなくらいたくさんのイメージがあるのに、それに立ち向かえないのはミュージシャンとして、苦行に等しいものがあります。あと10日くらいは文化的な生活は出来ないだろうなぁ。涙。そんな訳で、山で見た、深夜の月の写真と、福岡から送られてきた先日のライヴ後の写真でも見てください。(この写真を載せるとまるで誰かのblogみたいだ)

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by 山口 洋  

一日だけの疑似家族、そして爆走1200キロ

2010/11/26, 02:16 | 固定リンク

11月26日 金曜日 晴れ 

 独りに慣れてると云っても、このところ僕は外食しかしていない。独りのそれほどわびしいものはない。本当は帰らなきゃいけなかった。でも、ともだちのところに行こう。ここには出来のいい息子も、可愛い娘たちも、何もかもがある。いつものように、座敷に上がりこんで、コタツに入り、上げ膳据え膳で、出てくる愛のある料理に舌鼓を打ち、山里の集会にまで、取材と称して潜り込み、絶品の焼き物に心を奪われて、おふとんの国で気絶。至福。いつも、本当にありがとう。娘たちが無事進学したら、お祝いにディズニーランドに連れていこう。ミッキーの帽子だって、何だってかぶるぜ。
 二日酔いで目覚めて、出てきた朝ご飯の美味さと云ったら。まったく、涙ちょちょぎれるぜ。さぁ、帰ろう。後ろ髪を引かれながら。山里から福岡の寺に寄って、今度こそ親父を母親と一緒にして、天に還した。任務完了。そして脇目も振らずに1200キロ、ぶっ飛ばした。身体が宙に浮いてるみたいにフラフラだ。さぁ、また明日から闘いが始まる。

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by 山口 洋  

天上の人

2010/11/25, 02:01 | 固定リンク

11月25日 木曜日 晴れ 

 山の家の冬支度。我ながら良く働く。ここに来ても飯を作る時間がないから、晩ご飯はカップラーメン。でも天空を見上げて風呂だけは入る。夜はしんしんと冷える。零下3度。見たこともない月が凍てついた地面と僕を照らす。ダウンジャケットを着て、布団にくるまって寝ても、息が白い。この世界に独りきり。そんな気分にもなるけれど、悪くはない。待ち望んだ太陽が昇ってくる。今日は雲海が出るな。峰まで走る。見てくれ、この光景。僕は天上の人。この世界を独り占め。

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by 山口 洋  

親子で山に還る

2010/11/24, 19:18 | 固定リンク

11月24日 水曜日 晴れ 

 寺に行って、納骨堂に親父を還して、僕なりの儀式は終わりのはずだった。でも待てよ。親父は山の家に行ったことがないはずだ。じゃ、一緒に行くか。ここの裏庭にはともだちが作ってくれた「勝手なgraveyard」がある。冷たい納骨堂より、こっちの方が開放的で好きだから、母親も犬もここに眠ってることになってる。あくまでも僕の中では。
 本当に一人きりになって、僕は寂しさを感じないようになった。鈍感になったのではない。僕の寂しがりやはかつて尋常ではなかった。それは自分の最大の弱点でもあった。でも、何もかも失ったら、何もかもがある気がするのだ。大切なものは何も失われない。親父をgraveyardに還して、おかんと一緒に天に昇るように祈った。薪ストーブの煙が空に昇っていく。多分、あの中に彼らは居るだろう。
 さて、ガシガシ走るか。峰までの標高差300メートル、往復10キロの道のりをぶっ飛ばした。登りを5分で、下りを3分台で駆け抜ける。古い筋繊維が切れていくのが分かる。オレも随分速くなったもんだ。筋肉はこのトシになってもまだ成長する。願わくば、心のそれもね。
 帰ってきたら、気温は0度になっていた。多分、都会から逃げているだけだろう。あの段ボールとハウスダストから。一日だけ滞在して、この家の冬支度を終らせたら、1200キロの道のりを超えて、都会に戻ろう。

by 山口 洋  

まさかの邂逅、故郷にて

2010/11/23, 19:16 | 固定リンク

11月23日 火曜日 曇り 

 ま・さ・か。 
 25年も経過して、またこのステージに立つとはね。このハコは早い話が、フォークのミュージシャンにとっての「照和」みたいなもんである。デビュー前のザ・ルースターズを観たのもここだし、初めて僕らがレギュラーで出演するようになったのもここ。と書くと聞こえはいいが、あまりにも酸っぱい思い出がたくさん染み込んでいるので、出来ることなら近寄りたくなかったと云うのが本音。誤解のないように書いておくと、九州朝日放送の名物ディレクター、故岸川さんを偲んで毎年、石橋凌さんが続けているこのイベントが云々ということではありません。もちろん、その趣旨に賛同したからこそ、僕は出演したのです。この酸っぱい思い出の殆どは超個人的なものであって、特定の誰かを揶揄するものではありません。念のため。

 ギターを持って階段を昇ったあたりで、「どどどーーーーっ」と怒濤のように、忘却の彼方にあったことが押し寄せてきた。「ううっ」。僕は場所とか土地のバイブレーションに甚だ引っ張られる。少しだけ書いておくか。当時、僕はまだ10代だった。僕がヴォーカルを取る前の話。福岡にはロックバンドが出演できるハコはここを含めて二カ所しかなかった。自分で書くのも何だが、次第にお客さんが入るようになって、しばらくすると狭いにも程があるこのハコは常に満員になった。100人を越すオーディンスで常にスシ詰め状態。酸素は薄く、汗臭く、異様に熱気があって、天井から客がぶら下がったりしていて(本当の話)、殆どが「オトコ」だった。それらの暴徒たち(すまん)に対して用意されていたPAは、今考えるとPAとは云い難いもので、あまりにも非力だった。バンドはほぼ生音で奴らを制圧せねばならず、ヴォーカルは殆ど聞こえず、凄まじい状況だった。僕らはそんな場所で鍛えられた。だから、福岡からツアーに出かけるようになって、他の大都市のハコで演奏するのがどれだけ楽だったことか。このハコに出演しているバンドの中ではおそらく、僕らが一番動員が多かった。にも関わらず、もらっていたギャラは7000円くらいだった。搾取しすぎだろ、それ。何も知らない僕らはそれでも嬉しかったのだ。まぁ一人2000円もあれば、当時のあの街なら吐くまで飲めたんだけれど。
 とにもかくにも。今日は師匠の野田敏、そして花田裕之さんと出演することになった。ステージに上がって音を出した途端、更にいろんなことが蘇ってきた。「ううっ」。この音が伸びない感じ。身体と心が完璧に覚えてるぞ。でも確かに僕らはここから出発したのだ。これが「ゼロからやり直せ」と云うメッセージだとは思いたくないが、こんな状況だったからこそ、あれほどの数のミュージシャンが育っていったんだろうとは思う。本当に自分たちが「叩き上げ」であることを自覚した一日。
 「それでも故郷は素晴らしい」。たくさんの友人たちに囲まれて、笑いが絶えなかった。ありがとう。

by 山口 洋  

long journey home

2010/11/22, 22:30 | 固定リンク

11月22日 月曜日 雨 

 しかし、昨夜は愉しかった。あんなにくだらない話をして、大笑いしたのは久しぶりだった。重ねて、ありがとう、リクオ。詳細は不明なのだけれど、昨夜のイベントはFM局の同録が入っていて、帰りしなにライヴを収録したCD-Rを渡された。九州までの旅の友に丁度いいわい、と爆音で聞きながら車を走らせた。ときどき、その音楽は破綻したりもするのだけれど、出演者全員に積み重ねてきた年輪と愛があって、確実に「音楽の奇蹟」が巻き起こっている。多分リクオはこれで寿命より10年は長生きするだろうな。ははは。

 僕は今回の旅に大切なミッションを与えらていた。親父のことだ。彼が車二台に轢かれて死んだのは28年も前のことで、男同士だから、多くは語らなかったけれど、互いを信頼していたし、この世に居なくなってからも、彼が果たせなかった夢を遺志として、違う形で僕が引き継いでいるつもりだったから、沖縄のおばあにそんなことを云われるまで、彼の魂が彷徨っているなんて思ったこともなかった。彼は仏壇にも居ないし、墓にも居ないし、天にも居ない。まして、死んだ母親とも未だに一緒になれていない、と。事故現場を中心に彷徨っているから、あんたがちゃんとお母さんと一緒にして天に還してやりなさい、と。よくよく考えてみると、思い当たるフシはたくさんある。
 久しぶりに事故現場に行った。あんた、こんなところで28年も彷徨ってたのか。おばあに教えられたことにアレンジを加えて、大好きな角瓶もロングピースも金もお菓子も僕の愛も供えた。もう寂しさで悪さをするんじゃない。後は僕に任せとけ。さぁ、車に乗りな?もう独りじゃないぜ。今まで気づかなくて悪かったね。一緒に九州に帰ろう。母ちゃんのところに帰ろう。多分、側に居るはずの親父と関門橋を眺めていたら、何だか泣けてきた。やっと帰れる。俺たちの島はこの海峡の向こうさ。親父は不運な男だった。盧溝橋に始まり、満州国建設があり、敗戦があり、引き揚げがあり、安保があり、学生紛争があり、自滅した。その様を側で観ていて、繊細であることより、タフであることを僕は目指した。何があろうとも、信念だけはまっすぐに貫ける男になろうと思った。そのことがひどく災いを大きくしたこともある。でも、「豊かな復讐」を完遂するにはそれしか方法がなかった。今日は親父とホテルで乾杯だ。あんたと一杯やりたかった。それが一番の心残りだったからね。「long journey home」、お互い、本当に遠かったね。

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by 山口 洋  

その20年

2010/11/21, 21:50 | 固定リンク

11月21日 日曜日 雨 

 まだ夜が開ける前に家を出て、大阪に向けて車をぶっ飛ばした。朝陽が富士山を赤く染めていた。今週、二度目。静岡県に入って、太平洋から昇ってくる朝陽を観た。眠い。でも、今日はリクオのデビュー20年を祝うイベント。自分がされるのは好きじゃないけど、友達のそれなら喜んで参加しよう。
 奴はメジャーレーベルからデビューした同期のミュージシャンの中で、もっとも早くインディペンダントな活動を開始した男である。今とは違って、それは必要に迫られたことが動機だったのかもしれないが、友部正人さんを始めとする、第一艦隊のミュージシャンが自身の足で築いた、草の根の力を僕や次の世代に繋いだと云う意味で、その功績は大きい。15年前に、奴がこんなにしぶとく生き残っていることを想像できた音楽関係者は少ないはずだ。バブルの時代に音楽を札束としか観なかった連中が次々と死滅していく中、リクオは現代の鍵盤寅さんよろしく、街から街へ、港から港へ渡り歩いて、僕から観ると、「あんた大丈夫ですか?」みたいな信じられない人間関係を作り上げた。
 集まったミュージシャン全員、悪いバイブレーションはひとつもなかった。今日は神輿に奴を載せて、みんなで担ぐ。そんな気分だったんだと思う。それにしても、あんたの20年を祝ってんのに、自分で乾杯の音頭を取るのは止めなさい。おめでとう、リクオ。人生はこれからだ。演奏中に飲まないのを初めて観たけど、やればできる子じゃん。こっちの方が格好いいと、僕は思うけどね。

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by 山口 洋  

貧しい血

2010/11/20, 23:21 | 固定リンク

11月20日 土曜日 晴れ 

 けだし貧血気味。時期的に走るメニューはハードになり、あまりの雑務の多さにて食事を作る時間が持てず、いい加減な食生活を送っていたらてきめん。みるみるうちに痩せ始め、貧血。サプリメントの類をすべて止めてから、自分で自分を飼いならしているつもりだったが、まだまだ甘い。
 やってもやっても終らないモノの整理に、もはや心は折れ気味。人間の暮らしにはほど遠い毎日。明日からは久しぶりにステージに立つため、旅に出る。自分がミュージシャンであることを忘れないためにも心から楽しんでこよう。

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by 山口 洋  

ジャケット完成

2010/11/19, 13:14 | 固定リンク

11月19日 金曜日 晴れ 

 夕刻、スントー事務所にて。出来上がった「speechless」のジャケットに対面。リバーシブルで二つのジャケットを楽しめます。素晴らしい。写真を撮ったんだけど、その繊細さをうまく表現できず。近いうちにサイトにアップされるので、もう少し待っていてください。

 それから11/23。福岡で石橋凌さん主宰のイベントに出るのですが、詳細がアップされてませんでした。申し訳ない。是非。

「風音vol.4 soul of 7days」
2010年11月23日(祝)
出演 花田裕之 / 山口洋 / 野田敏
時間 開場16:15 開演17:00
会場 DRUM LEGEND
料金 前売4500円 当日5000円(ドリンク代500円別)
入場整理券番号付(一部立見あり)

http://www.tsukusu.jp/artist/kazaoto_1009.cfm

by 山口 洋  

brotherhood

2010/11/18, 22:51 | 固定リンク

11月18日 木曜日 晴れ 

 血の繋がっていない兄弟の会話。またしても築地の鮨屋にて。

 「新しい試みって、お前、結局、ただ小さいレコード会社をお前がやってるだけなんじゃないの?」。「痛っ」。「いろんなクリエイターと関わるってことは、お前がリクープだの何だの考えなきゃいけなくなって、クリエイティヴィティーと資本主義の狭間に立たされる訳だろ」。「ううっ(嗚咽)」。「お前、世の中を良くしたいんだって、あれだけ云ってたじゃん」。「はい」。「そんなことやってる暇があるなら、どうぞこのファイルをダウンロードしてください。その代わり、どんな小さな事でもいいんで、世界のために、何かひとつアクションを起こしてください。良かったら、サイトに何をやったのか、書き込んでくれませんか、とか、そんな事考えられねーのかよ」。「確かに」。兄貴はいつまでたっても兄貴なのである。では、そのアイデアそのままパクらせて頂きます。

 今日の僕はほぼ運送屋。無数の機材や家具。まだ現役で使えるものは、出来るだけ誰かにもらって頂く。磨いて、整備して、車に積んで配達する。可愛がってもらえよ。こうして、着々とモノ減らしは進行中。

 さて、本日の松本康男ギャラリー。今回、密着撮影でいちばんびっくりしたのは、ライヴ前と後の自分の表情の違い。まったく知らなかった。わずか4時間でこんなに顔は変わるんだと。松本さん、ありがとう。

キャプション1 リハーサル前に機材をチェックする表情

キャプション2 アンコールを終えて完全に燃え尽きている4人

キャプション3 会場を出て、夜の街に繰り出すスントー・ヒロシとヤマグチ・ヒロシ

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by 山口 洋  

ハウスダストにまみれる日々

2010/11/17, 01:18 | 固定リンク

11月17日 水曜日 雨 

 ハウスダストにまみれながら、バンド30年分の資料を整理しています。30年の間にたくさんのスタッフ、レコード会社、事務所が入れ替わり、今や全容を把握しているのは僕だけなのです。いつかはやらねば、僕が死んだときに誰かに多大な迷惑をかけることになる。今はきっとそんな時期なんだろうと。別に死ぬことを前提にしてる訳ではありません。ただし、経験で云えば、人はある日この世から突然消えてしまうこともあるのです。父親はある日突然死んで、凄まじい量の学術書を遺しました。彼にとっては貴重な資料でも、僕が読んだら、そこに何が書いてあるのかも不明な書物の山。洒落者だった母親は大量の洋服を遺しました。着れないっつーの。それらを整理しておくのは、一人で生きる者の責任だと思うのです。ただし、本当に面倒くさい。ようやくその作業にメドがついて、今朝の大事な契約の場も忘れて、爆睡していました。ダメじゃん、オレ。

 さて、次は本。多分、数万冊ありました。思ったことを本に書き込む癖があって、売ることもできず、かといって、捨てることもできず、増えるばかり。意を決して、すべてを誰かにもらってもらうべく整理しました。喜んで引き受けてくれる輩が居て、本当に良かった。そんな時、尊敬する作家である宮内勝典さんがご自身の「海亀通信」に僕のことを書いてくれた、とファンから教えられました。嬉しかったのです。「僕は始祖鳥になりたい」がお嫁に行った日に、そんなことがあるなんて。もう随分前のことです。多分、僕は20代だったかな。「宇宙的ナンセンスの時代」にどれだけエネルギーをもらったことか。あの本がなければ、僕は世界を流浪しなかった「かも」しれないし、ネイティヴな人々と出会うこともなかっただろうし、少なくとも幾つかの曲は完成に及ばなかったことは間違いないのです。宮内さん。「僕は原始人になりたい」と本気で思っています。もし、この記述を何処かでお読みになったら、このサイトにあるメールフォームにメールを頂けませんか。できれば新しい作品を聞いて頂きたいのです。

 さて、今日の松本ギャラリー。ステージから見える風景をお届けします。昔は客席を観ていませんでした。怖かったのだと思います。けれど、今は演奏を続けているうちに、オーディエンスの表情がそれぞれに変わっていくのを観ているのが好きです。同じ瞬間に泣いている人も居れば、笑っている人も居ます。受け止め方は様々。僕はそれが好きなのです。

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by 山口 洋  

リハーサル

2010/11/15, 20:19 | 固定リンク

11月15日 月曜日 雨 

 しかし、テントの中は寒かった。何でこんなに寒いんだろ、と思ったら、今までは寝袋の中に、いつもイヌが居たのだった。
 朝イチで起きて、この世のものとは思えない風景を観て、挨拶も出来ぬまま、僕は都会に戻って、イベントのためのリハーサル。弾丸ツアーだったけれど、行って良かった。

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by 山口 洋  

日本一の山

2010/11/14, 20:14 | 固定リンク

11月14日 日曜日 晴れ 

 発案したのは加藤和也隊員。記憶が正しければ、前回はもう6,7年も前のことだったような。毎年やろうやろうと云いながら、一度も自分のテントを張ったことはなかった。もうすぐ冬。ああ、今年もか。だいいち、キャンプをやってる暇なんか、あるのか自分。ない。だから、無理してでも行った。隊長は云うまでもなく池畑さん。しばし、都会を忘れて、分単位でその表情を変える日本一の山に見とれた。いい時間だったよ。

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by 山口 洋  

3000キロ

2010/11/13, 18:15 | 固定リンク

11月13日 土曜日 晴れ 

 危険極まりないミッションを果たし、中国経由で一時帰国した兄貴分のトシを、新しい羽田の国際線ターミナルに迎えに行きました。何だかこの建物、もはやブレードランナーの世界で、人間味がまるでなくて、落ち着きません。びゅーんと車を飛ばして、男二匹で築地で鮨を喰らいながら、「直列6気筒」の話をしていました。落ち着くなぁ。味噌汁美味いなぁ。そして、男子は幾つになっても男の子だなぁ。

 さて、今日をもって、2010年の走った距離の累計が3000キロを超えました。北海道の果てから桜島くらいの距離かな。まだまだです。生きてる間に地球一周はするつもりです。

 これから新作の「speechless」、それに伴うツアー、いろんな動きを伝えていきます。愉しみにしていてください。我々、本気と書いて「マジ」です。僕と魚のプロジェクト、実験的な要素も多々ありますが、怖れず前に突き進みます。すべては時間をかけてHEATWAVEの活動に繋がっていきます。

 さて、本日の松本康男ギャラリー。池畑さんの写真をお届けします。写真を選んでいて思ったこと。「何をやっても絵になる人だなぁ」と、あらためて。ドラムはバンドのエンジン。池畑さんはソレックスのツインキャブつき。吹き上がりが凄いのです。いつも背中にものすごいエネルギーを感じながらステージに立っています。うちのバンドが面白いのは、メンバー全員が昔ドラマーだったことです。魚さんはサイモン・カークみたいな古くさいドラムを叩き、圭一はフレッド・マーのようにポップで、僕はヘビメタみたいなドラムを叩きます。でも、怖れ多くて、誰も池畑さんのセットは叩けません。当たり前か。

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by 山口 洋  

大切なお知らせ

2010/11/12, 11:53 | 固定リンク

11月12日 金曜日 晴れ 

 僕と細海魚のアルバム、「Speechless」。年内の発売を目指していましたが、一般流通、通販、配信は2月の上旬になりそうです。すまん。なにぶん、初めての試みがたくさんあるので、体勢を整え、きちんと届けたいのです。来年の1月から魚先生とツアーを開始するのですが、その会場では手にしてもらうことができるようにしておきます。まずは、このアルバムの殆どが録音された千葉のANGAに届けに行きます。詳細はNEWSを参照してください。これから、特設サイト等で伝えていくつもりなので、愉しみにしていてください。

「山口洋/ 細海魚TOUR2011 "SPEECHLESS"」Vol.1

アルバム「Speechless」リリースに伴うツアーが決定しました。Vol.1 の地域の方々には、ライヴ会場にてアルバム先行販売が決定しています。少しでも早くお届けしたいと、二人が携えて届けに行きます。この後、vol.2~vol.3 まで、ツアーは続く予定です。楽しみにお待ちください。

1/10(月)祝日 千葉:LIVE HOUSE ANGA
千葉市中央区富士見2-16-4-B1F
Tel/043-224-7769
info: live house ANGA tel/043-224-7769
http://www.anga-hp.com
open/ 17:30 st/18:30
adv/\4,000 door/\4,500(taxin/D 別)


1/12(水) 横浜:ThumbsUp
横浜市西区南幸2-1-22 相鉄ムービル3F
Tel/045-314-8705
Info:サムズアップtel/045-314-8705
http://www.stovesyokohama.com/thumbs/
open/18:30 st/19:30 adv/\4,000door/\4,500(taxin/D 別)


1/15(土) 佐賀:Restaurant&Cafe 浪漫座
(佐賀市歴史民俗館旧古賀銀行内)佐賀市柳町2-9
http://www.romanza.jp/
Info:TSUKUSU Tel/092-771-9009
http://www.tsukusu.jp
チケット発売日近日発表。
open/18:00 st/18:30
全自由\4,000(tax in)整理番号付(D 別)


1/16(日) 福岡:住吉能楽殿
福岡市博多区住吉町3 丁目1-51
http://chikuzen-sumiyoshi.or.jp/nogaku
Info:TSUKUSU Tel/092-771-9009
http://www.tsukusu.jp
チケット発売日近日発表
open/17:30 st/18:00 全自由\4,000(tax in)整理番号付


1/18(火) 長崎旧香港上海銀行長崎支店
長崎市松が枝町4 番27号
Info:TSUKUSU Tel/092-771-9009
http://www.tsukusu.jp
チケット発売日近日発表
open/18:30 st/19:00
全自由\4,000(tax in)整理番号付


1/20(木) 京都: 拾得
京都市上京区大宮通下立売下ル菱屋町815番地(営業時間5:30~12PM)
075-841-1691(7~9:30PMは不通)
jittoku_terry@hotmail.com (メール予約)
http://www2.odn.ne.jp/jittoku/
open/18:00 st/19:00
adv/\4,000 door/\4,500 (taxin/D 別)


1/28(金) 名古屋:得三
愛知県名古屋市千種区今池1-6-8 ブルースタービル2F
052-733-3709
info@tokuzo.com(メール予約)
http://tokuzo.com/
open/ 18:30 st/19:30
adv/\3,500 door/\4,000 (taxin/D 別)


1/29(土) 長野: ネオンホール
長野市権堂2344-2F
026-237-2719
http://www.neonhall.com/
info@neonhall.com (メール予約)
open/18:30 st/19:00
adv/\4,000 door/\4,500(taxin/D 別)

2/4(金) 東京:Mt.RAINIER HALL (shibuya PleasurePleasure)
(マウントレーニアホール渋谷プレジャープレジャー)
http://www.pleasure-pleasure.jp
渋谷区道玄坂2 丁目29-5 渋谷プライム6F
03-5459-5050
近日詳細発表!

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てな訳で、今日は松本さんの写真はおやすみします。

by 山口 洋  

魂の再発見、そして転換すること

2010/11/11, 20:19 | 固定リンク

11月11日 木曜日 晴れ 


 編集者である悪友からメール。「ニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』や『善悪の彼岸』を耽読したとき 以上のカタルシス、」だと。それはユングの「赤の書」。多分、僕の頭の中をずっと支配していて、言語化できなかった世界がここにある。欲しい。

http://www.junkudo.co.jp/THE_RED_BOOK.html

 以下、無断で抜粋。

 「外的なものから欲望が離れていくと、人は魂の場所に到達する。だが、もしその者が魂を見いださないと、空虚の戦慄が襲ってきて、 不安が様々に揺れ動いて鞭を打ち、絶望的に求め、盲目的に欲望し、この世界の空疎な物事へと追い立てられる。自分の限りない欲望に翻弄され、自分の魂から離れて見失ってしまい、二度と見つけることがない。あらゆることを追い回し、強引に自分のものにするけれども、自分の魂を見つけることはない。なぜならば魂は自分自身の内にしかないから。なるほど自分の魂は物の中や、人間の中にあるかもしれないけれども、盲目の人は、物や人間はつかんでも、その中にある魂をつかむことはできない。その人は自分の魂のことがわからない。どのようにしたら魂を人々や物から区別できようか。自分の魂は欲望自体の中に見いだすことができようが、欲望の対象の中にはない。欲望に支配されるのではなくて、欲望を支配しているならば、自分の魂に片
手をかけていることになる。なぜならば自分の欲望は自分の魂のイメージであり、表現だからである。
 ある物のイメージを持っているなら、その物の半分は既に所有していることになる。世界のイメージは世界の半分である。
 世界を所有していても、そのイメージを持っていない人は、世界を半分しか所有していない。なぜならばその人の魂は貧しくて、財産がないから。魂の富はイメージから成る。世界のイメージを持つ人は、世界の半分を所有する。それはたとえその人の人間性が貧しく、財産がなくてもである。しかし飢えは、魂を獣にして、その獣は自らを害するものを呑み込み、自らその毒に落ちることになる。私の友人たちよ、魂を養うことは賢明なことである。、さもなければ胸の内に竜と悪魔を育てることになる」。

 うーん。言葉なし。この本、手に入れよう。

 周囲は慌ただしく動いている。昨夜からカート・ヴォネガットのとある文章が頭から離れなかった。僕に生きる智慧を与えてくれた最高の作家だ。とあるロゴ・デザインを変更しようと考えていて、その図案が送られてきたのだけれど、それはヴォネガットが描いた「ass hole」の絵にそっくりだった。びっくりした。僕はその絵があまりに好きで、しばらくサインを求められると横にずっと描いていた。多分、何かが動き始めている。点どうしが線になりつつあるんだろう。闘ってきて、よかった。

 今、僕の周囲で共に何かを作っている人々の間で、直近に引っ越しをしなければならないニンゲンが二名、昨夜隣が火事になって、家中水びたしになった人物が一名。深夜、火事になったとき、僕にメールが来たのだが、不思議と心配にならなかった。ああ、多分、転換期なんだ、と思ったのだ。多分、その直感は間違っていない。そして、僕の仕事場もとんでもないことになっている。僕のところは濡れていないだけで、ある意味火事場。ハウスダストにまみれながら、バンド30年分の有象無象の資料を整理している。これを機に、思い切ってモノを半分以下にしてしまおうと思う。

 さて、本日の松本写真。

キャプション1 今回、バンド全員が映っている写真の中で、これが一番好き。

キャプション2 映像担当、mood films代表、渡辺太朗。僕のヒドい仕打ちに良く耐えてくれました。現在、新しいアルバムに呼応した映像作品を制作中。でも、あんた俺たちよりアーティストみたいだね。

キャプション3 グラフィック・デザイナー、スントー・ヒロシ、そして松本康男。この目を観てください。松本さんのカメラを借りて、撮影したのは僕。良く考えてみると、フォトグラファーのカメラのシャッターを押すって、デリカシーなさすぎだ。

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by 山口 洋  

走り回る日々

2010/11/10, 17:02 | 固定リンク

11月10日 水曜日 晴れ 

 文字通り、「走り回る日々」。

 我が家にやってきたターコイズ・ブルーのチャリンコ。近所のチャリンコ乗りのヨシくんが「そのスタンド格好悪いから外しなよ」とか、「もう少しサドル上げなよ」とか、いろいろ。確かにそうかもね。ヨシくんはしきりに僕をツーリングに誘うのですが、面白いのは間違いなんだろうけど、あのヘルメットをかぶること、とか、これ以上音楽以外のことに時間を割けないと云うか。多分、ヨシくんのスーパー格好いいチャリンコに乗ってしまった日には、「欲しくなる - のめり込む - 走るし、泳ぐし、後はチャリンコだけじゃんと、トライアスロンの道に迷い込む」というスパイラルに陥るのが自分でも分かっているので、チャリンコはあくまでも近所の移動手段に留めておきます。でも、ヨシくん。スタンド外したけど、買い物に行っても駐輪できないよー。サドルを上げたら、ただでさえケツに肉がないから、割れそうで痛いよー。でもね、生まれて初めて親に買ってもらった「ブリジストンバンビ号」思い出します。6歳だったっけ、嬉しくて、眠れなくて、夜中に物置に行って、キコキコ漕いでたもんな。そんな感じ。
 さて、チャリでの雑務の合間に海辺をガシガシ走ります。週の真ん中はキツい練習です。んがーと3分台で駆け抜けます。今日みたいな向かい風だと死ぬほどキツいです。でもドロドロした想いは全部忘れます。んがー。
 帰ってきたら、片っ端から雑務を片付けます。負けねーぞ。でも忙しいとは云いたくない。そんな日々です。

 はてさて。昨日、書いたように今日から松本康男さん撮影の写真、ヒロシセレクトをお届けします。今日は僕のギターを観てください。僕じゃないです。ギターです。こいつを手に入れたのは18歳のとき。もう28年の付き合いになります。未だにこのフォルムを観ただけで惚れ惚れします。あんたサイコーだよ。おととしかな、亡くなった川村カオリちゃんがブライアン・セッツアーのグレッチをリペアしている職人を教えてくれて、初めてのリペアを施すまで、一度も修理することなく、大事に使ってきました。でもそのリペアマン氏「これはグレッチのコレクターには殆ど価値ありませんね」。いーんです。僕はコレクターではないので。楽器は弾いてなんぼです。飾るものではありません。どんなにお金を積まれても手放しません。誰も僕の音は出せません。その後、何本も同じものを手に入れたけど、結局のところ、僕にとっては彼女が一番なのです。僕が死んだら、棺桶に入れてください。松本さん、格好よく撮ってくれて、ありがとう。僕じゃないですよ、彼女のことです。

http://d.hatena.ne.jp/hw_live_docu/

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by 山口 洋  

その男、風雲児にて

2010/11/09, 04:18 | 固定リンク

11月9日 水曜日 晴れ 

 音楽ITの現場において、風雲児と呼ばれているらしい「小寺修一」は、僕の三代前のマネージャーだった。記憶が正しければ、奴は某ソニーの社員で、宣伝の現場で僕らに出会い、マネージメントをやらせて欲しいとやって来たのだった。多分、1994年から97年にかけて。酸っぱいことがいろいろあった「はず」なので、詳細は割愛させてもらうとして、良くもまぁ、暴君ヒロシにあれだけ付いてきてくれたものだとは思う。そのくらいには僕も若かったし、血気盛んだったし、ある意味では真剣でもあった。
 当時の音楽業界は今になって思うと、信じられないような状況だった。酸っぱくならない程度に書くなら、例えば、みなさんが3000円のCDを買ってくれたとして、我々に入るお金(アーティスト印税)わずか1%、信じられる?つまり30円。3人のメンバーが居たとするなら、一人頭10円になる。これで生活を成り立たせるためには、最低でも20万枚のセールスを上げねばならない訳で、ほぼ「生きながら死ね」と云う宣告に等しい。ただし、この話には裏があって、実のところ、レコード会社はほぼ全ての権利を保有する代わりに、ライヴの赤字を「プロモーション」と云う名目で補填し、事務所には「援助金」と云う金が流れていて、それを頭割りして、「給料」と云う形でミュージシャンには支払われていた。今になって思うと、実にヘンな話だ。ミュージシャンは独立した個人事業主であるべきで、マネージメントはそのスキルに対して、僕らが「雇う - 対価を支払う」べきものだ。その頃、僕も小寺も若かった。若かったというより、バカだった。何も知らなかったし、知ろうともしていなかった。業界全体がどういう仕組みになっていて、どう金が還流し、誰が権利を保有し、どこにハイエナが潜んでいて、利権や既得権益で不労所得を得ているのか。僕が蓮舫議員だとしよう。今ならボコボコに事業仕分けができる。
 とにかく、僕と小寺は袂を分かち、違う方法で、その矛盾を嫌と云うほど学んできた。大事なのは「多様性」。メインストリートはあって結構。でもバックストリートも世の中には必要だ。そのふたつを行き来することによって、若者は大人になる。僕の恩人でもある音楽出版社の社長氏がうまい表現をしていた。どんなに美味しいカレーでも、それを毎日食べ続けられるのはイチローだけだ(この部分、僕が脚色)。目の前に寸胴いっぱいの高級カレーがあったとしても、それを毎日食べたら嫌になる。ソバも喰いたいし、たまにはパスタも喰いたい。その多様性 - 言い換えるなら、選択肢の多さ、こそが文化の懐なのだと僕は思う。
 元、下僕(失礼)、今は風雲児。小寺はある試みを始めた。音楽、映像、グラフィック、エトセトラ。それらを配信するサイトを立ち上げた。ただし、彼らが手数料として取るのはどんな作品の形態であれ、20%。公正明大。実にフェア。みなさんが額に汗して働いて、作品に対して支払ってくれたお金の分配方法はそこに明記される。
 時代を傍観していては意味がない。リスクをしょって、前に進まなければ。それはとてもやりがいのあることだ。時代を作るのは自分たちなのだから。成長した小寺にまた出会えたのは、正直嬉しかった。今回のデジタル写真集の企画も発案者は奴だ。デジタルだからこそ、出来ることがある。そのプロモーションをu-streamで中継すると云うので、下北沢まで出かけたなら、MCは小寺で、軽い目眩を覚えたが、風雲児らしいから許す。奴のスタンスは良い意味で軽く、僕にはないものを確実に持っていた。悪くなかった。

 中継が終ったあとも、出演していたフォトグラファーの松本さん、デザイナーのスントーさん、映像チーム。それぞれが自身の意見を述べ、いろんなアイデアが生まれてきた。悪くない。そういえば、この写真集。松本さんが撮影した約20000枚の写真。収録されなかったものにも、素晴らしいものが沢山ある。選んだのはスントー氏。でも、松本セレクト、ヒロシセレクト。いろんな角度から楽しんでもらえるじゃん。てな訳で、僕のblogには本日、小寺と僕の記念写真を載せておくとして、これから松本blogと僕のblogには、互いが選んだベストショットを掲載することにします。

 松本さんのblogはここです。
http://d.hatena.ne.jp/hw_live_docu/

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by 山口 洋  

この世界

2010/11/08, 16:51 | 固定リンク

11月8日 月曜日 晴れ 

 師匠のゲンは足を故障中。そして弟子の僕も。でも、リディアード直伝の「リラックス・ストライディング」を伝授される。「ヒロシさん、これは二分台で走ってください。出来ますから」。「出来ないっつーの」。でも、君がそう云うならやってみるよ。何だか、身体の変化はチャプター3に入ってきた感じがする。気に入った洋服はまだ買えない。体形が変わるからだ。まずは激ヤセに始まり、骨と皮だけになってそこに筋肉がつき始め、チャプター3に入ると、その筋肉の質が変わって、上へ上へとつり上がってきたと云うか。確かに走ると気持ちが澄んでくる。でも、本当に芯から澄んだのかと問われるなら、そんなことはない。闇はそんなに簡単なものじゃない。ただし、その闇を見つめるために一番必要な体力だけは身についてくる。走っているとき、ときどき自分がマシンのように感じることがある。それとは違う意味で、ひかりも闇も超えて、自分の存在を忘れてしまう瞬間もある。僕は動物で居たい。従順にはなりたくない。走ることだって、スポイルされる危険性は山ほどある。

 宅急便のお兄さんが巨大な段ボールを運んできた。ニンゲンが3人は入りそうなデカさだった。「そ、それは何ですか?」。自転車だった。忘れてた。届いたのは嬉しかったけれど、ここまで梱包しなくても、と思う。何にも流用できそうにないので、カッターでバラバラに分解して、リサイクルに出した。頭の中にでっかい「?」が浮かんだ。

 とある業務が自分の手に負えないので、「見積もり」のサイトにアクセスした。電話番号を書くことをためらったけれど、書かなければ「見積もり」してくれないので、仕方なしに書いた。驚くなかれ、一分後から電話が鳴り止まない。恐ろしかった。

 先日訪れた高知の古い港町とは、あまりに対照的な世界に僕は住んでいる。それがいいことなのか、どうなのか僕には分からない。ただし、自分の生活に確信だけは持っていたい。で、なければ簡単にこの世界に振り回される。

by 山口 洋  

speechless intro - ツバメの赤い喉のように、願いを空に届けにいくこと。

2010/11/07, 20:50 | 固定リンク

 2010年、初旬。僕は細海魚とふたりでツアーに出ることにした。今、彼と旅をしたなら何かが起きるだろう。いつものように根拠はなく、確信だけはあった。アホなのかもしれん。いやアホで結構。この時代、確たることなんてどこにもない。いつだって信じられるのは、自分の直感と情熱だけなのだから。

 とにかく、僕らはツアーに出た。僕の車に機材を満載して。余談だけれど、僕らの楽器は普段「殺人兵器」のような堅牢なケースに収納されているので、そのままでは車に載らない。だから、ほぼむき出しのまま運ぶ。見かけが何だか難民チックで、悪くなかった。僕は運転が特技で、魚先生を安全に次の目的地に運ぶのが主な仕事。そしてむき出しの楽器を、パズルのように車に積む「指示」を出すのが魚の仕事。ん?何だか話が脱線してきたぞ。とにかく、スタッフを引き連れ、大掛かりなツアーをやりたくはなかった。出来るだけコンパクトに、その代わり、一カ所でも多く地方を廻ろう。そして車中、ふたりは「speechless」な会話を交わした。僕と彼に共通しているところがあるとするなら、自分の頭蓋とその外に、ふたつの宇宙が存在するのを感じていることで、創造力を通じて、その間を自由に行き来できるところだ。
 ツアーを重ねるうちに、直感は確信に変わっていった。魂レベルの交感が音楽によって行われていた。互いの宇宙を行き来する。ステージと客席との中空に、未来を描くことができた。「これは、記録しておこう」。僕らはその会場を千葉ANGAに定めた。理由は訊かないでくれ。もう分かると思うけど、直感だ。長い間、僕はプロのミュージシャンとして生きてきたが、レコーディングスタジオが好きになれなかった。何故かクリエイティヴな気持ちになれない。嘘のように尖った鉛筆がデスクに並び、最新かつ高価な機材と、程よく訓練されたアシスタント。晩には必ずマズい店屋物を喰らい、そして当然、スタジオに窓はない。さんざんやり尽くして、莫大な金を使って、学んだのだ。「no more」。ライヴでレコーディングされたテイク。音質はスタジオ録音に比べるまでもなく劣る。けれど、スタジオでは決して記録できない「何か」がそこには確実に刻まれる。僕らは移動中に「speechless」な会話をしながら、決めたのだ。「これをライヴ盤としてではなく、素材として用い、一切レコーディングスタジオを使用することなく、作品に昇華することは可能なのではないか」と。
 
 まずは、僕が自分のスタジオにそのファイルを持ち帰った。ライヴならではのオーディンスの拍手や歓声を徹底的に取り除き、演奏だけの「骨」にして、多少の楽器を付け加え、生身の人間が作ったダイナミクスを壊さないよう緻密にミキシングした。費やした時間、約一月。この時点で、作品として既に素晴らしかった。
 それらを再び楽器ごとのファイルに分割し、巨大なハードディスクに入れて、魚先生のスタジオに送った。「煮るなり焼くなり、お好きにどうぞ」。僕は彼が類い稀なるリ・ミキサーでもあり、主観と客観を自由に行き来でき、新しい世界を構築することが出来るのを知っていた。二ヶ月の間、僕らは会話を交わさなかった。やがて彼は「これが欲しい」、「あれが欲しい」と短いメールをよこすようになった。僕は云われるままに作業し、ファイルをネットを通じて送った。ひとつだけ例をあげるなら、「ヒロシがライヴの時によくアドリヴで弾く、あの場を清めるみたいなギター、よろしく。キーはCで」みたいな。シュールかつ的確。僕はスタジオのレコーダーを常にオンにして、彼のリクエストの本質を理解し、何かが降りてくるまでひたすら待つ。そして降りて来たなら、一気に演奏する。僕らはこの時代ならではの「speechless」な会話を愉しんでいた。自分たちでリリースする限り、制約も締め切りもない。誰も僕らを止められない。ならば、行けるところまで行こう。
 ひとつだけ事前に僕らが決めていたこと。それはすべての曲が繋がっていて「おわらない音楽」を作ることだった。今までHEATWAVEのアルバムは主体的に僕が関わってきた。曲を書いたのも、曲順を決めてきたのも、だいたいにおいて僕だ。けれど、このアルバムは違う。三ヶ月を経て、彼から音楽が戻ってきたとき、そこには知らない曲のラフ・スケッチが追加され、ほぼ流れは決定していて、僕が目指していた頂きをはるかに超えていた。僕は鼻を鳴らしてコーフンした。「こりゃ、すごいぞ」。それからネットを通じてやり取りを再開し、最後に一度だけ彼のスタジオを訪ねて、ふたりで「ふりかけ」のように音を重ね、「speechless」は完成した。

 「この世に不可能なんてことはない」。凡庸だけれど、幾つトシを重ねても、その気持ちは変わらない。と云うより、その気持ちは増すばかり。そして、相変わらず、何処かにたどり着いた実感はまるでなし。何だか分からないけれど、ネコのようにガリガリ爪を研いでいたい。その爪で瑞々しい音楽を奏でていたい。そんな日々を送っている僕らはひょっとして幸福かもしれない、とこの頃は思う。

 「speechless」は楚々とした、水の流れのような音楽の「はず」だった。でも、完成したものを通して聞いてみたとき、いつものように「過剰」であることに笑ってしまった。でも多分、それが僕らの本質なのだ。

 あらためて僕がここに記すまでもなく、この音楽は日常のいろいろな場面で聞いてもらえると思う。「ツバメの赤い喉のように、願いを空に届けにいくこと」。アルバムの最後に収録された、細海魚が書いた短い曲に、僕はこんなタイトルを付けた。ひょっとして僕が思いついた言葉ではなく、何処かで見かけた言葉の受け売りかもしれない。でも、僕らは本当にそう思いながら「speechless」を作っていた。僕らは闇を描くことを怖れなかった。何故ならそれが僕らにとっての「ひかり」に他ならないからだ。ツバメの赤い喉がみなさんの日々を明るく照らしてくれますように。読んでくれて、ありがとう。また何処かの空の下で。多謝&再見。      山口洋(46)






 

by 山口 洋  

飛び交うファイル

2010/11/06, 18:39 | 固定リンク

11月6日 土曜日 晴れ 

 快晴だと云うのに、足の調子がイマイチで、走り出したい気持ちをぐっと押さえるのも修行なのかもしれません。僕にとって、一番難しいのは休むポイントを見極めることです。この頃、自分はまるで「イヌ」のようで、無性に訳もなく走りたいのです。多分、一月のレースには出るとは思うのだけれど、もうそんなことはどうでもいいと云うか。親しい友人である編集者が「トップアスリート」の精神に渦巻く「光と闇」についての本を送ってくれました。いわく、

 「耐えることがすべてなら、僕にはその才能があった」。

 「リラックスするということが、僕には本当にストレスになるんだ」。

 「道をたどりながら苦痛を通じ、罪を清める」。

 「エクササイズのやりすぎは、大きすぎる別のストレスをコントロールしようとしているからだ」。

 「スポーツ選手は、子供時代を振り返って、あれこれ考えたりしない。内省は競技に何の役にも立たないからだ。しかし、すべては底に溜まり、火をかきたてているのかもしれない」。

 「成功者にもかからわず、何故失敗のように感じ、さらなるカタルシスを求めて、孤独な懺悔の道を走り続けるのか?生まれ変わるということは、たえず罰を求めるようなことなのか?」。

 ひどく、ズキンとするのはレベルは違えど、思い当たるフシがあるからだろう。

 相変わらず、目の前を、孤独を知る表現者たちのぶっ壊れた想いが詰まったファイルがびゅんびゅん飛び交っています。いったい、僕らは何処に行くんだろう?でも、ずっと前に「no regrets」というレーベルを立ち上げたときから、目指していたのはこのようなことだったのです。

by 山口 洋  

from イタリア to インド

2010/11/05, 13:58 | 固定リンク

11月5日 金曜日 晴れ 

 街でそれを見かけて、恋をした。彼女はターコイズブルー。空まで飛んでいけそうだ。イタリア製の自転車。シンプル極まりないデザイン。走るために不要なものは一切付いていない。ドロップハンドルなのに、ギアさえない。スタンドもない。泥よけもなければ、ライトもない。素敵。これに乗って、リュックサックをしょって遠くの八百屋に大根を買いにいこう。ふと、意味不明な衝動を押さえられなくなって、買ってしまった。

 夜。スントー事務所で打ち合わせ。彼は今、イタリアの20州すべての食文化を紹介する雑誌を作っている。何故か、今日はイタリアづいてる。パラパラとその雑誌をめくる。市井の人々が作る、その土地ならではの料理。どれもモーレツに美味そうだ。打ち合わせ中、ずっとニンニクのみじん切りと鷹の爪を、エクストラ・ヴァージンのオリーブオイルで炒める匂いを感じている。居合わせた人々に「今、その匂いするよね?」と聞いてみるが、全員、応えは否。想像力ってすごいね。頭の中、殆どイタリア。でも、こんな時間にそれを食べさせる店は空いていない。仕方がないので、友達を誘って、インドの定食屋(本当にそんな店なのだ)でカレーを喰う。喰った途端にビバ、インド。絶妙な香辛料のバランス。「ありがとう、美味しかったよ」と云ったら、インド人の彼が、にかっと笑った。悪くなかった。

 ところで、先日発売になったデジタル写真集に付属しているでっかい写真。オリジナルサイズでB2大だって、知ってました?本日スントー事務所で実物を見て、そのデカさにびっくりしました。僕らが自分の家に自らの巨大ポスターを貼る訳がないのだけれど、デジタルのデータゆえ、それぞれの方法で楽しんでください。来週、スントー、松本、山口の三人組をインタビューし、それをネットで中継するという番組への出演依頼があって、ダダをこねる駄犬のように「嫌じゃー」と拒んでいたのですが、人生の先輩方に恫喝され、どうやら拉致されそうです。詳細は追って後日。アーメン。

by 山口 洋  

電卓を叩く日々

2010/11/04, 23:59 | 固定リンク

11月4日 木曜日 晴れ 

 この時代に縮小すべきか拡大すべきか。僕の本能は「go」だと云いました。無闇に突っ走るのではなく、才能溢れる人々との共同作業によって、確信を持って、叡智を積み上げ、反対側に突き抜けるのです。その夢のために電卓を叩き、「うひゃー」とのけぞりながら、それをエネルギーに換え、前に進むのです。なかなか音楽に向き合う時間が持てないのが悩みですが、この山を乗り越えようと思っています。しかし、肩が凝ります。ピークに達したら、肩甲骨をグイグイ動かして海沿いを走ります。そこに吹く風はもう冬の匂いがします。

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by 山口 洋  

写真集

2010/11/03, 22:26 | 固定リンク

11月3日 水曜日 晴れ

 松本康男さん撮影、スントー・ヒロシさん監修。デジタル写真集、完成しました。是非。

http://www.five-d.co.jp/heatwave/news/101028/101028.html

by 山口 洋  

撮影

2010/11/01, 02:11 | 固定リンク

11月1日 月曜日 晴れ 

 11月、か。

 何処で何の撮影をしたか。それは記すと野暮になるから止めておきます。ただ、そこには創造的な風が確かに吹いていて、総じて「方法」はアナーキーで、関わった人々のガッツが相乗的に尋常ではなかったことは確かです。疲れもしたけど、魂はブルった。そんな一日でした。この「ブルっ」を明日に繋げるべく、フントーしていくつもりです。ありがとう。

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by 山口 洋  
- end -