thanks 2006

2006/12/31, 21:53 | 固定リンク

12月31日 日曜日 晴れ

 今年一年、一番多く使った言葉だとは思うけど、ありがとう。よいお年を。 

by 山口 洋  

もうええっちゅーに

2006/12/29, 23:31 | 固定リンク

12月29日 金曜日 曇り 

 また飲んだ。もう今年はこれで終わりにしようと思う。でも、愉しかったから、それでいいんだけど。一年のいろんな想いがめぐってきて、寒かったけれど、ギターを抱えて歩いて帰った。なんだか、訳もなくそうしたかった。

http://dbkrt.jugem.jp/?eid=62
http://ameblo.jp/leicavit/entry-10022276004.html
http://soulbeat.vox.com/
http://shizu-diary.at.webry.info/200612/article_16.html
http://u1-workshop.seesaa.net/article/30512023.html

ありがとう。

by 山口 洋  

まだ飲むぞ

2006/12/28, 23:45 | 固定リンク

12月28日 木曜日 晴れ 

 今年は裏返るまで飲んだ回数がとっても少なかった。たぶん、そんな暇も余裕もなかった。ここに来て、その反動か、連日飲み続けてる。今日は悪友どもと裏新宿に繰り出した。全共闘とか革マルとか団塊の世代とか、今や目にする事が稀になった人たちが集う場所。いいことも悪いことも、愉しいことも、そうでないこともここには沢山あるのだけれど、イデオロギーはこの際脇に置いといたとして、妙に人間臭い飲み屋の数々ではある。何軒? 3軒です。誰かの誕生日も祝って、俺は明日の飲み会のための肝臓のポテンシャルも考えて、ビールを飲み続けた。

 あの、俺が昨日メールアドレスを2つ書いたせいで、混乱をきたしているようなんで、ここで今一度、記しておきます。アルバムの配達、クレジットに関する問い合わせは こちら heatwave@breast.co.jp に送って下さい。blog等にアルバムの感想を書いてくれた人がurlを送ってくれる場合は こちら heatwave@five-d.co.jpにメールを下さい。みなさんには関係のないことですが、管轄が異なるため、アルバムに関するトラブルへの対応が遅れるのです。すいません。身内の話で恐縮ですが、俺が新宿で飲んだくれてる間、スタッフはこちらのミスで発送が遅れた件に関して、羽田から飛び立つ朝イチの飛行機に乗せて、アルバムを届けるために空港でスタンバイしていたりします。彼等も誠意を持って、トラブルに対処するため努力しています。どうか、理解してやって下さい。そんな訳で、賛同者のみなさんが書いてくれたblogをいくつかリンクしておきます。ありがとう。

http://sky.ap.teacup.com/tabie/  
http://aworkroom.exblog.jp/5211014
http://black-jenny.jugem.jp

by 山口 洋  

まだ飲むか

2006/12/27, 23:23 | 固定リンク

12月27日 水曜日 晴れ 

 昨夜、大好きな飲み屋で程よくいい感じに飲んでいたら、照明が暗くなって、ジョニ・ミッチェルの名作「ミンガス」の冒頭に入っている「ハッピーバースディ」が流れて、みんなに祝ってもらいました。恥ずかしかったけど、嬉しかった。部屋にはフリージアが咲き乱れ、沢山の花とか、富山のイカとか、玄米とか里芋とか、函館のお菓子とか、博多のおでんとか、沢山の酒とか、メッセージとか、ちびっ子ハウスを訪ねる際に伊達直人がかぶってた帽子とか、ありがとう。沢山のメッセージ、ありがとう。歳を重ねる度に身体は老けていくけど、妙に心は若返ってる気がするのです。

 アルバムプロジェクト。何せ、初めての試みだったもので、クレジットに記載されてない、とか、まだ配達されないとか。申し訳ない。スタッフが貼り付いて、トラブルに対処しています。なので、不都合があった人は遠慮なくこちら heatwave@breast.co.jp に問い合わせて下さい。

 このアルバム。賛同してくれた人々の日々にどう響いたのか。とても興味があります。もし自身のblog等に感想を書いてくれた人が居れば、是非urlを送って下さい。僕にとってはとても大切なことなので。その際、リンクが可能かどうか、書き添えてくれると嬉しいです。heatwave@five-d.co.jpまで。

 今日は久しぶりに事務所の長、佐藤剛氏と話し、夜は以前お世話になった事務所の社長と酒を交えて話しました。っつーか、あんた飲みすぎ。風は確かに吹いています。

by 山口 洋  

祝福の雨

2006/12/26, 20:35 | 固定リンク

12月26日 火曜日 雨 

 雨の朝、俺を起こしたのは宅急便のお兄さんだった。たくさんの祝福をありがとう。この場を借りて、お礼を云います。若かった頃、自分の40代なんて想像もできなかったけど。43かぁ。すいぶん来たなぁ。でも、結局のところ、何ひとつ成長していないような、ぐはは。

 アルバム。楽しんでくれてるかい?みんながスピーカーの間に見ているであろう風景の邪魔にならない程度にいくつかの話を。
 まずは池畑さん。彼のある意味ワン・アンド・オンリーな部分である稲妻のようなドラム。それを生かせる曲を今回は書かなかった(書けなかった、か)。でも、彼はひとつひとつの曲に対して、無数の引き出しの中から、シンプル極まりないパターンを引っぱり出してきてくれた。ある曲では(あ、ごめんこれはアルバムに入ってないんだ)バス・ドラムにタンバリンがガムテープでくっついていたし、ある曲では、スネアの蛇腹をブラシで擦って、グルーヴを出してくれた。多くのドラマーは考えるほどに演奏が饒舌になっていく。でも彼は違う。どんどんシンプルになる。そこが凄い。納得いくまで、テイクを繰り返す俺に、辛抱強く付き合ってくれた。正直な話、未だにときどき怒られたりする。しゃきーんと瞬時に背筋が伸びる。まじ、怖いっすよ。優しい人だからね。でも、もう俺を怒ってくれる人なんて、そうは居ないんだ。だから、感謝してる。
 魚。リハーサルにクッキーを焼いて現れたのは本当の話。ヌガー付き。彼のエレクトロニクスはすべて日常の中にあるいろんな音を編集、加工したもの。どうかしてる、と時々思う。それにどうして音程がついてるのか、俺は未だに不明。レコーディングの現場で、彼が「もわーん」と音を出す。俺はそれに引っぱられる。そしてリズム隊が入ってくる。だから実のところ、彼はグルーヴマスターだったりもする。ずっとカンズメになっていて、俺が極限状態に陥ってる時、そこに居てくれんのはいつも魚。とんでもなく辛抱強く、うちの屋台骨を支えてくれてる。
 渡辺某。俺とあいつにはもう20年以上の歴史がある。もう何も云わない。未だにベースが上手いのか下手なのか、全然分からん。性格も俺とはあさっての方向にある。ただ、どうしようもないくらい、比類のないいいセンスを持ってる。一発録りの現場で、奴はたいていどこかでミスをやらかす。まったくよう、と思いながら、録音されたものを聞くと、おめー、すげーなこのベース、っちゅーことが多々ある。奴の頭の中は全然分からん。でも今回のヴィジュアルは奴が全部考えた。俺たちは「おっけー」と云っただけ。たまには礼を云っておこう。ありがとう。
 ヤイコさん。超がつくほどの忙しいさなか。楽器にまみれた俺の仕事場にやってきて、音楽を豊潤なものにしてくれた。俺は確かに飛んでいく鳥を見た。彼女のスタッフも含め、感謝の言葉がいくつあっても足りない。
 アッコ。幸福のさなかに歌った歌詞。「アイ・ラヴ・ユー」には特別の響きがあった。ありがとうぴょん。あの時はいてた靴。とっても似合ってたよ。

 それから、今日の日にひとつだけ謝辞を。
 アルバムをめぐる取材の中で、敬愛する音楽文筆家の松山晋也さんとやり取りをしました。その中で、アルバムの最後に収録されている「出発の歌」はアイリッシュ・トラッドからの引用ではないか、と指摘してくれました。僕らはいろんな影響を受けて、音楽を続けています。偉大な先達が、例えば今日訃報が届いたJBが居なかったら、僕は音楽をやっていなかったかもしれません。ゲラッパとヤサホーヤは同義です。たぶん。そんな意味で、あからさまなインスピレーション、あるいは影響が曲に反映されている場合は「thanks for inspiation」というクレジットをしてきました。今回もいくつかあります。カポーティーやジョン、金沢で出会った杉野君と云う素晴らしいシンガー、エトセトラ。彼等が居なければ、その曲はまた違った形になっていたことと思います。松山さんの指摘にあったものは" Mo Ghile Mear"と云う有名な曲です。あらためて、その曲を聞いてみて、その礎のもとに、「出発の歌」が出来ていることに気づきました。残念ながら、アルバムのクレジットには間に合わなかったので、ここでそれをお伝えすると共に、今後の印刷物に関しては以下の一行を追加したいと思います。松山さん、そしてIrish trad " Mo Ghile Mear"に感謝と敬意を込めて。ありがとうございました。

thanks for inspirations : Irish trad " Mo Ghile Mear"
 
 音楽とは歩けば歩くほど、深遠なものです。たぶん、生きてる間には何処にも辿り着けないと思います。それでも、そこに向かっていくのは、音楽には力があるからです。支えてくれる多くの人たちに感謝すると共に、いつまでもその力をバカみたいに信じていようと思います。ありがとう。

by 山口 洋  

いよいよ明日

2006/12/25, 17:10 | 固定リンク

12月25日 月曜日 曇り 

 天変地異でもない限り、アルバムプロジェクトに賛同してくれた皆さん、総勢1700余名の人の家に明日アルバムが届くと思います。思い返せば、かなり無謀な試みで、随分涙目にもなりましたが、こうやって約束を果たせた(であろう)ことを、嬉しく思っています。何せ、プロジェクトを始めた際には、何ひとつ出来上がっている訳がなく、妙に熱い想いだけがあっただけなんですから。試聴も何も出来ない状態の中で、我々の「想い」のみに賛同してくれたことに心からお礼を云います。本当にありがとう。以前に書いたかもしれないけれど、分かれ道に立つ度に、迷うことなく、自分たちの行きたい方向にシフトしてこれたのは、みなさんの気持ちが後押ししてくれたからです。
 New Album「land of music」は全て、賛同者からの資金で制作されました。日本全国に散らばる謎のレコード会社。そのひとつひとつの想いが幾重にも重なり合って、我々は何の制約を受けることもなく、自分たちの楽曲を自由に使用することができます。廃盤も巨大な組織と闘わねばならないことも、もうありません。レコード会社が次々と潰れていく状況の中で、「何を大切にすべきなのか」と云う猫パンチのような一石を投じることは出来たのではないか、と思っています。受け取ってくれた人の数だけ「land of music」はあるはずです。こんな時代だからこそ、どうかそれを大切にしてください。
 本当にありがとう。多謝&再見。 
                                               山口洋(42)

 追伸

 これからは出来るだけ多くの人にこの作品を届けるために力を尽くします。年明けからは「land of music」にまつわるロング・インタビューをシリーズものとして、webに順次掲載する予定です。またこの一年間はとある男によって、映像で記録されています。リリースの詳細が決まったら、アナウンスすることになると思います。
http://yeswithlove.seesaa.net/
 
 来年の春頃から、バンド、トリオ、小リス(僕とメンバー誰かの組み合わせ)、あるいはソロで、できるだけ多くの場所を訪れるつもりで居ます。是非、足を運んで下さい。私の街に来てくれー、この箱でやってくれー、っちゅー人は遠慮なく連絡して下さい。
heatwave@five-d.co.jp

 アルバムが店頭に並ぶのは来年の1/24です。レコード店に行く暇がない人はこちら
http://www.breast.co.jp/shop/
で予約して頂くと、発売日(1/24)に郵送されます。一般発売日までのライヴ会場でも受け付けています。
 

by 山口 洋  

across the highway

2006/12/24, 23:39 | 固定リンク

12月24日 日曜日 晴れ 

 ずっと前から大好きな音楽を奏でてくれてるミラクルなミュージシャンが居る。彼の音楽の背後に、観たことのないウディー・ガスリーの幻影を観ることもある。2004年に本国で、彼の居るグループのチケットを買おうとしたら、どこもソールドアウトで買えなかった。そんな彼から聞いた話。
 彼は自分の楽器を2本と、手荷物を抱えて、帰国するために、国内某所から新幹線に乗った。品川でNEXに乗り換えて、成田に向かうはずだった。品川に辿り着くと、目の前に「NARITA 」と書かれた赤い電車があったので、飛び乗った。でも遅い。どう考えても「ナリタエキスプレス」にはほど遠かった。降りたのは錦糸町かなんかで、人々の助けで、東京駅まで戻り、ようやくNEXに乗ることができたが、今度は降りるべきターミナルを間違えた。ひどい二日酔いだった。云っておくけど、成田にはターミナルは2つしかない。でも間違えた。ターミナル間にはバスが走っていて、係員に「ターミナル1?」と聞いたら、彼は「はい」と答えたので、そのバスに乗った。でも様子がおかしい。バスは高速道路に乗って、どうやらカラオケらしきものが始まった。それは北海道行きのバスだった。彼は必死に窮状を訴えたら、高速道路で下ろされた。ぐはは。仕方なく楽器2本と荷物を抱えて、高速道路を横切った。(あり得ねぇ!)挙げ句、運良くヒッチハイクで止まってくれたタクシーに乗って、成田に戻ってみたら、飛行機は3時間遅れていて、乗ることができたっちゅー話。ぐはは。
 そんな彼からメールが来たら、今日は何故かサンタの格好をしていた。ぐはは。懲りないっちゅーか、何ちゅーか。でも、彼の横顔には少年と哲学者と耐え抜いた風雪と、音楽への限りない愛がある。それがひどく僕を励ますのです。ありがとう。でも、乗り物には気をつけてね。

by 山口 洋  

the gift

2006/12/23, 23:31 | 固定リンク

12月23日 土曜日 曇り 

 生きてると、たまに「嘘だろっ、おい!」みたいなギフトを受け取ることがある。音楽続けてて、良かった。更なる目標も見えたし。でも、それってエベレストに登るより難儀なんだろうけど、中途で遭難しても、多分後悔はしないだろう。the gift。素敵な響きだワン。

by 山口 洋  

取材、取材、取材

2006/12/22, 22:18 | 固定リンク

12月22日 金曜日 曇り 

 「取材したい」と思ってくれる人が居るうちが華なのかもしれん。だから、喋る。喋るってことは自己を再確認する作業でもある。でも、5〜6時間喋り続けると舌が廻らなくなってくる。能動的なプロモーションって、今頃気づくな自分。でもハリウッド・スターみたいな笑顔は一生かけても無理だけどね。

by 山口 洋  

忘れたくない光景

2006/12/21, 20:12 | 固定リンク

12月21日 木曜日 曇り 

 一段と寒さが厳しくなると、急に訃報が増す。溜まっていた郵便物を整理しながら、あぁ、あの人も亡くなったのかってことを知る。冠婚葬祭って特に苦手で、避けていたけれど、自分がいろんなことを経験してみると、それって永い間に作られた、ひとつの素晴らしい「結」の形だってことを知る。多少の煩わしさと共に。いくつかの結婚式のために便りを書き、亡くなった人々を想い、遅ればせながら百貨店に線香を買いにいく。しきたりってものを知らない俺は「今の時期にこれを送って、失礼じゃないですよね?」なんてことを店員に尋ねたりする。ずっとずっと昔の話だけれど、祖父母が生きていた頃なんて、不明なことは聞けば良かった。多分、そうやって受け継がれてきた「はず」のものが、核家族化と共に、この国では失われていきつつあるんだろう。老人が生きていくのに、苦しさを共にしなきゃならない国って何なんだろうと思う。渋谷って街をもはや、老人が歩く事は許されない。危険すぎる。そして多くの者が自分もいつか老いるってことに気がついていない。
 近年、叔父や叔母に、些細なものだけれど、お中元やお歳暮を贈るようになった。元パンクロッカーの俺だって、彼等が居てくれたからっちゅー、根拠のない感謝の気持ちがあるからだ。そうすると、便りが届く。もはや俺が書けなくなってしまった「縦書き」の美しい日本語。庭ではこんな花が咲きました、とか、都会じゃ大変でしょ、とか。先日、とあるライヴを見ていたら、演者の御両親が俺のそばで、ライヴを見ていらした。その姿を見ていたら、ぐっと来るものがあってね。下手な映画よりも、ずっと美しい眺めだったよ。ちょっと羨ましかった。
 山の家の近くには、沢山の温泉がある。未だに内風呂がなくて、夕方になると近所の人は公衆浴場に足を運ぶ、なんて素敵な場所もある。そこは、アイルランドのパブのようだよ。今日一日、身の回りで起きたことを背中を流しながら話す。だから、あそこはパブなんだよ、素敵でしょ?とアンディー・アーヴァインに話す。「へー、そうかい。そりゃまた不思議な文化だね」と彼。夕暮れ時、おじいさんが孫の手を引いて、湯煙が立ちのぼる温泉に入っていく。見てるだけで、ぐっとくる光景。渋谷の街を襟を立てて、歩きながら、忘れたくないことを思い出しています。ありがとう。

by 山口 洋  

東京に戻る

2006/12/20, 17:12 | 固定リンク

12月20日 水曜日 曇り 

 雲海に包まれた阿蘇を早くに出て、東京に戻る。この街は俺にとってある種闘いの場所でもある。
 新しいアルバム「land of music」が届いた。もうすぐ、いろんな人の手に渡るのか、と思うと本当に嬉しい。SION氏に教えてもらって長崎でゲットした通称「カステラちゃん」もテーブルの上に。こいつ、手触りサイコー、表情、文句なし。奴もアルバムを聞いて、嬉しそうだ。ふにー。

by 山口 洋  

エスケイプ

2006/12/19, 18:32 | 固定リンク

12月19日 火曜日 晴れ 

 九州シリーズ。取材とライヴ、夜はアホみたいに飲むっちゅー日々の疲れがどっと出て、せっかく山に戻ってきたのに、ダウン。でもこんな山奥に、来日中のアンディー・アーヴァインが泊まりがけで遊びに来てくれて、ゆっくり話したり飲んだり、一緒に演奏してくれたり、温泉に入ったり、近所の人々に招かれたり。久しぶりの「素敵な時間」を過ごしました。さ、明日は東京に戻って、バリバリ働くぞ。

by 山口 洋  

福岡にて

2006/12/14, 09:35 | 固定リンク

12月14日 木曜日 曇り 

 福岡に戻り、取材、ラジオ出演、その他もろもろ。ラジオから新しい音楽が流れていくのは、本当に嬉しいものです。

by 山口 洋  

長崎にて

2006/12/13, 09:35 | 固定リンク

12月13日 水曜日 曇り 

 長崎にて、玄海bros(命名、花田裕之さん)のイベント。いいライヴだったよ。自己顕示欲が強いのがミュージシャンだとは思いつつも、出演者全員が流れを受け継いで、何かを伝えようなんて、そんなイベントはありそうで、なかなかない。誰に強制された訳でもなく、自然にそんな流れの中に居たのが嬉しかった。ぺーぺーの俺は、トップバッターとして、ステージに上がり、客席を冷やし、最後のSION&松田文さんのアンコールで一曲演奏させてもらったんだけど、客席の表情は最初とは全く違うものになってたんだな。音楽ってすげぇ。ありがとう。多分、沢山の人が関わってたんだと思うけど、うまく礼が云えない分だけ、それは演奏に込めました。心からありがとう。にゃー。

by 山口 洋  

哀しみ

2006/12/12, 02:05 | 固定リンク

12月12日 火曜日 雨 

 SIONチームと男の子チックに長崎に移動。俺はプロモーション。沢山の愛のある人たちに会って、SION氏の「あんなん、こんなん、ぎんなん」っちゅーギャグに笑い転げて。美味しいものを喰って、いい音楽を聞いて、さ、明日もがんばるか、とホテルに帰還したら、友の訃報。彼が深く病魔に冒されてるのは知ってたけど、「また、ヒロシ、この街に呼ぶからね」って。哀しくてやりきれなかった。あんたがやり残した分は、俺がどこまで出来るか分からんけど、やってみるよ。ありがとう。ゆっくり休んでくれ。新しいアルバム、聞いて欲しかった。R.I.P。

by 山口 洋  

音楽の力

2006/12/11, 23:55 | 固定リンク

12月11日 月曜日 曇り 

 故郷でオフ。と云ってもスケジュールの手違いから生まれたものなんだけど、オフはオフ。SION氏と松田さんのライヴを観にいく。何だかねぇ、とっても良かったよ。ギターと歌だけ。特殊効果一切なし、リバーブすらなし。鉄壁のコンビネーション。何でもtoo muchなこの世の中で、このシンプルな音楽には想いを馳せて、身を委ねるだけの余白がある。だんだん映画を観てるような気持ちになってくる。俺は空想の中で、新宿とかNYとか、山口県とか、布団の中とか、いろんな場所に旅をしたよ。音楽ってやっぱりいいねぇ。大人しく帰るつもりだったけど、打ち上げにお邪魔して、結局のところ撃沈。アーメン。

by 山口 洋  

たったひとりの女性

2006/12/10, 23:54 | 固定リンク

 午前4時、頭ぐるんぐるん。
 でも今日という一日は、たった一人の小さな女性が発端となって、巻き起こした途方もない出来事だってことだけは記しておこう。彼女が70〜80'sにかけてこの街で起こったことを実体験してたなら、今日と云う日はなかっただろうと云うこと。そのあまりのイノセントさが、沢山の人間を巻き込んで、今日のコンサートに結びついたこと。バンドの出来、不出来は別として、何十年振りかに、沢山の昔の友人たちのその後を知ったこと、その他もろもろ。
 その小さな女性は、福岡出身のミュージシャンのインタビュー本を作った。年齢的に俺が下から2番目っちゅー、ある意味途方もない本である。彼女は「過去のイコン」ではなく、今を生きる人間の声を採集した。興味深かったのは、登場する人々のほぼ全員が「いつか来るであろう死」を見据えている点にあった。おそらく、登場する人々は俺も含めて、若い頃はこんな年齢まで生きてるなんてこと、深く考えずに音楽に没頭してたはずなのだ。けれど、幸か不幸か、生き残った。「死を見据えて、今を生きる」。born to die。それはまっとうにポジティヴな事だと俺は思う。
 彼女は打ち上げ会場で、人目を忍んで泣き崩れてた。本が店頭に並ぶまで、それこそ途方もない苦労をしたんだと思う。そりゃあね、あれだけ濃密な人々の人生につき合ったんだから、そりゃ大変だよ。でも、鮭が生まれた川に遡上するように、君が巻き起こした事は、君が忘れた頃に、君のところに戻ってくるはずだよ。ありがとう。
 俺もね、昔は「何でこんな街に生まれたんだろう」って思ったことがある。でも、今は感謝してるよ。世界の何処を旅していても、この街はたったひとつの俺の故郷なんだからさ。関わってくれた人々に深い感謝を。ありがとう。

by 山口 洋  

故郷にて

2006/12/09, 23:27 | 固定リンク

12月9日 土曜日 曇り 

 故郷にて。深夜のラジオに出演。番組に関わっている人たちは、20年くらい前に互いにしのぎを削ってた連中だった。こうやって、いろんな事があって、音楽について再び語ることが出来るのは嬉しい。そして、何よりも新しいアルバムの曲が、九州に流れていくこと。何度経験しても、言葉に出来ないくらい、嬉しいものだよ。

by 山口 洋  

リハーサル

2006/12/08, 21:17 | 固定リンク

12月8日 金曜日 曇り 

 おそらく今年最後のリハーサル。都内某スタジオにて。メンバーはそれぞれに違う場所に住んで、それぞれに違う音楽に関わっている。だから、たまに一同に会して、ジャム・バンドのような演奏が出来ると、本当に愉しい。客席に届ける前に、音楽自体が空白の時間を想像させてくれるからね。その愉しみは本番に残して、必要以上に詰めることはしなかった。
 年末になると、親類から何かが届くようになった。今まで、そんな事とは無縁だったんだけれど、何だか嬉しい。俺も自分の出来るお返しはする。お前、今頃気づいてアホか、と云われそうだけれど、悪くないよ。誰かが元気に師走を迎えていることを知るってことは。

by 山口 洋  

名古屋にてライヴ

2006/12/08, 01:13 | 固定リンク

12月7日 木曜日 雨 

 キャンペーンでいろんなメディアに露出しながら、ライヴをやるっちゅー、頭をどう切り替えていいのか不明な一日。インタビューを受けたり、ラジオの生番組に出演したり。でも、いろんな場所で、我々の音楽を伝えるために協力してくれてる人が居て、心から感謝を。ありがとう。
 デビューした頃、KAZTE(スペル合ってるかな?)っちゅーバンドをやってた中村君と尾上君に10何年振りに会った。空白の時間は互いの体型の変化が埋めたりするけど、相も変わらず、音楽と云う魔物にどっぷり引き込まれてることだけは変わらないんだろう。道中、気をつけて。また何処かの空の下で。ありがとう。
 それにしても長い間、山にこもって音楽に向き合っていたから、ライヴ勘が戻らずに苦労したよ。名古屋、また来年戻ってきます。くどいけど、尽力してくれた多くの人たちに感謝を。俺は後ろ髪を引かれる想いで、最終の新幹線に飛び乗った。明日は今年最後のバンドのリハーサルだ。ふにー。

by 山口 洋  

プロモーション初日

2006/12/06, 23:41 | 固定リンク

12月6日 水曜日 晴れ 

 はい、明日からプロモーションです。と云われても、身体と脳味噌が3年振りだってこともあって、その感覚を完全に忘れてる訳で。でも、伝えたいものは確実にあるんだから。駅にはいつも我々を応援してくれてるHが居て、俺は各メディアを当然タクシーで移動するつもりだったのに、S君が仕事の合間をぬって、運転手を買って出てくれてた。何ちゅーか、泣かせるなぁ、もう。新聞とか、情報誌とかラジオとか、エトセトラ。多分、ちゃんと話しましたとも。こうやって、出来ないはずのカメラ目線で、「1/24に出るんで、聞いて下さい、よろしく」。みたいな事を臆面もなく云えるのも、アルバムプロジェクトってもんの力なんだなぁ、とつくづく。とにかくありがとう。もうすぐみんなの街のラジオでも流れるかもね。それはとっても嬉しいことだよ。作った甲斐があったと云うか。S君、H。ありがとう。いつか俺はオーロラを観に行くと思う。
 ところで、嬉しいけれど、残念なニュース。御大ポール・ブレイディーが来日公演にあたって、「ヒロシとやりたい」と云ってくれたと。残念ながら、俺はその日、某地方でプロモーション中。でもとっても嬉しかった。

by 山口 洋  

便り

2006/12/05, 20:05 | 固定リンク

12月5日 火曜日 晴れ 

 アルバムのプロモーション盤がいろんなところに配られ、感想が続々と届く。それぞれにそれぞれの意見があって、とても嬉しい。俺はと云えば、プロモーションだの、打ち合わせだの、ライヴだの。そんな日々が始まった。明日は名古屋。自分の口でできる限りのことは伝えてこようと思う。

by 山口 洋  

リハーサル

2006/12/03, 22:28 | 固定リンク

12月3日 日曜日 晴れ 

 こんな経験、もう一生ないだろうな、ちゅーリハーサル。実り多すぎて、今は咀嚼するのみ。音楽はやっぱり愉しいものだった。いろんな意味で。

by 山口 洋  

コソ練

2006/12/02, 00:51 | 固定リンク

12月2日 土曜日 晴れ 

 やったことのないタイプの音楽を演奏することになって、一人コソ練に励む。珍しい。だって分かんないんだよ。難しすぎて。こうやって読めない譜面とにらめっこしながら唸っていると、いつの間にか、自分たちが音楽を作る方法を確立してることも良く分かるけど、相当アナーキーなやり方で続けてきたことが白日のもとにさらされる。通常、スタジオで録音する際には、共通言語として、アシスタント君やエンジニアには簡単なものにせよ、譜面が配られたりする。ウチの場合、その場でどんどん変化していくので、いつの間にか、そんなものを用意しなくなったばかりか、エンジニアに催促されるまで、曲のタイトルすら伝えていなかったりする。今回の場合、沢山の人が参加して、複雑な和音になってるからして、効率良く共通言語を持つためにも、譜面っつーもんは必要なんだ、と痛感。でも、頭が硬化してる俺には「おたまじゃくし」と音楽がどうしても結びつかない。モノにならなかった野球とか絵とか、そんなもんに限って、ちゃんと教育を受けてたりするのに、自分が心血注いでやってきた「音楽」は、まったく何の教育も受けてなくて、ギターを弾くことにしろ、歌うことにしろ、それを書くことにしろ、アレンジにしろ、録音技術にしろ、すべて我流と見よう見まねでやってきたんだなぁ、と。それで良かったけど、ちょっと反省もしてる。ま、何にせよ、今更じたばたしたところで、俺は破れ侍な訳だから、取り繕ってもしゃーないわけで。
 某アイリッシュ(かなりの複数)がステージでいきなり知らない曲を演奏し始める。「ひえーっ、俺、知らんぞこの曲」と云ったら、「今、知ればいーだろ」みたいな答えが返ってくる。そういう場所じゃ、相当鍛えらたからして、この音楽の中で、何がどうなってんのか、どう反応できるのかってことを楽しんでみます。かつてドーナル先生が教えてくれたんだけど「ヒロシ、どんな場所で、どんな人間と、どんな音楽を演奏したって、何も学ばないってことはないんだ。だから、何でもやってみるといい」、と。確かにそうだね。

by 山口 洋  

まったくもう

2006/12/01, 22:23 | 固定リンク

12月1日 金曜日 晴れ 

 確かに3日間、タダの何もしない人と化してはいた。そのくらい許されるだろうと思ったのと、実際のところそんな時間が必要だったのと。でも、都会に戻るとあっと云う間に、「朝起きられない人」になるのはどうしてなんだろうね?おそるおそる世間とコミットしてみたら、案の定すんごい事になっていて、やったことのないタイプの音楽を演奏するために(つくづく自分が楽譜を読めないことを呪った)ヒーヒー云ったり、スケジュールを調整したり、今後のことを考えたりと、目まぐるしい日々に戻っただけの事だった。こうなりゃ、俺のリーサル・ウェポン「国外逃亡」を考えてはみたものの、そんな時間は来年の中頃までなさそうだった。あぁ、哀しきかな、ワーカホリック。

by 山口 洋  
- end -