しなやかに、そしてしたたかに、宮崎にて

2010/01/31, 02:40 | 固定リンク

1月31日 日曜日 雨 

 雨の宮崎にて。開演前にこんなメールをもらった。プライバシーの保護も含めて、内容を抜粋。

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母(77歳)と観に行きました。
最近仕事を辞めた母は、何をしても楽しくないと言うようになり、圭一さんの言う「生きたまま死んでる」ような状態に突然なってしまいました。
そんな、母が、ライヴを観た後、水泳やピアノと、とにかくいろんな事に挑戦してみると言ってくれました。「いくつになっても、生まれ変われる」この言葉が、ハートに響いたようです。
ありがとうございました。
ライヴは、本当に素晴らしいものでした。
新曲もよかった!新しいアルバム楽しみにしています。
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 こんな感想をもらうと、本当に嬉しい。母上、大切にしんしゃいね。

 宮崎でいつも演奏させてもらっているこの店は、オーナーが音楽への愛情たっぷりに育ててきた場所だ。それは演奏してみれば、よく分かる。音がふくよかで柔らかい。決して「痛く」ない。その店があるのは、宮崎で一番の歓楽街。でも、昨年だけで、200軒の店が看板を下ろしたのだと。例えば、洋食屋さん。腕もある、愛もある。それでもダメなのだと。それならと値段を下げてもダメなのだと。人々は早かろう、安かろうのチェーン店に行ってしまうのだと。オレは思う、人々はホリスティック・ビューに欠けている。オレもかもしれんが。即ちチェーン店が悪いとも思わない。けれど、地域に生きているのは自分で、自分で自分の首を絞めていると云う哀しい現状がある。失って、気づいてからではもう遅い。音楽の世界に長く身を置いていても同じだ。業界は儲けることばかり考えて(ある意味では資本主義なのだから、正しいのだけれど)、音楽リスナーを育てる努力をしなかった。その結果、音楽はコンビニエントなものになって、その本質を受け取られないまま、人々に飽きられ、捨てられた。そして焼け野原が残った訳だけれど、不思議なもので、ちゃんとタフな雑草たちが芽吹いてきた。オレは現場で生きていて、そう感じている。

 今現在も、多くの友人たちが苦境にあえいでいる。職種が何であれ。ツアーの途中でも、ひっきりなしにそのような連絡が入る。報道されているより、オレが感じているこの国の状況はヒドい。でも、思うのだ。人は追いつめられて、本当に生き始める。嘆いていても仕方ない。世界で、今自分が何処に位置しているのか。それをしっかりと見据えて、自分の胸にある火を絶やすことのないように。絶対に大丈夫だ。根拠はないけど。逆に聞きたい?どうして、根拠や保証が必要なのか、と。そんなものは太古の昔からないはずで、それは幻想に過ぎないことを歴史が証明してるじゃないか。大切なのはムードではなく、本質だと思う。今はムードやモードでは生き残れない。その人の考えの体幹となるもの、あるいはコア(核)となるもの。それが大事だと思う。目先のことに囚われすぎると、ブレて、まっすぐ走れなくなる。車の運転であれ、走ることであれ、原理は同じ。できるだけ遠くを見よう。今がどんなに厳しくても。いや、厳しいからこそ、背筋を伸ばして、少しだけ遠くを見つめていたい。

 終演後、霧の道を宮崎から福岡まで移動した。霧の道はハイビームでは見えない。さっき書いたことと矛盾するかもしれないけれど、近くをしっかり見つめなきゃならない場面もある。けれど、相対的に云って、遠くをしなやかに、したたかに見つめていたいと思う。来てくれて、ありがとう。宮崎、いつかフル・バンドで上陸するからね。

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by 山口 洋  

大淀川を走る、宮崎にて

2010/01/30, 19:01 | 固定リンク

1月30日 土曜日 曇り 

 昼過ぎに熊本を出て、宮崎を目指す。イベンターの小さい車は、よくもまぁこれだけの荷物がと思うくらいスシ詰め。でも、何故かそんなに嫌いじゃない。オレがデビューした頃、バンドは貧困にあえいでいたが、世はバブル。迎えの車には電動カーテンとマッサージ機が付いていたりした。楽屋には果物を剥くためだけにお姉さんがスタンバイしていたりして、何かが決定的におかしかった。今は適正だと思う。
 宮崎が近づくと、パームツリーのお出迎え。プチ・カリフォルニアのような風景になる。気候は温暖。明日はキャンプインしたジャイアンツがホテルの前をパレードするらしい。さぁ、走ろう。初めて練習を二日休んだことだし。足に優しそうなコース、大淀川に行くことにした。ここは天然芝だったりする。大河が確かに海に注ぐのを見届けて、ホテルに戻る。怪我しないように、相当気をつけて走ったつもりだが、40分を超えると膝に痛みが走る。ゆっくり焦らず治すしかない。宮崎はカリフォルニアのようで、コーンウォールのようでもある。明日は走って、新しい曲に向き合って、それからライヴに向かいます。気軽に遊びにきてください。待っとるよ。

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by 山口 洋  

プレシャスネス、熊本にて

2010/01/29, 01:49 | 固定リンク

1月29日 金曜日 晴れ 
 
 人生に於いて、与えられた試練、そして走ることは、本業である音楽に、とてつもないものをもたらしてくれていると思う。ステージの上で、オレは「無」になる。欲も得もない。ただ、そこにある空気のように、何もなくなる。すると、何かが降りてきて、自分を何処かへ運んでいってくれる。ギターに関して云えば、昔からそのような感覚はあったが、もはや次元が違う。オレは中空に絵を描くことができる。それを動かすこともできる。実際のところ、行動しているのは自分なのだけれど、まるでその意識はなく、考えてもいない。自由なのだ。鍛えることによって、身体中の筋肉や細胞がそれに勝手に反応しているのを感じる。この感覚は走る時に感じるものとも、微妙に違う。自分でも何だか良く分からないのだ。ある種のどん底まで行ったことによって、見えたひかり。それをオレは信じているだけなんだと思う。多分、細胞も大部分が入れ替わったのだろう。ネガティヴなものも随分排出されてしまったんだろう。ハードな練習をするとき、軽い練習をするとき。流れてくる汗の質が違う。ハードなときはサラサラ、ゆっくりじっくりとやるときは粘着質なものが出る。その理由も分からない。ある種のアスリートは異次元の世界を観ているんだろう。想像だけれど。ただ、一般ピープルであっても、その人が真剣に何かに取り組むとき、初めて見えてくる信じ難い世界があることだけは間違いなく。
 こうやって、地方を廻るたび、「どーしたんですか、その身体」と云われ、ライヴを観て、「違う人になりましたね」と云われる。それが良い事なのかどうかは置いといて、オレは確実にチャプター2に入ったと思う。「人は変われない」。そんなことは絶対にない。それだけは声を大にして伝えたい。昨日のカズが宇宙に行けないと思う人は可哀想だと思う。その可能性が0.1%でもあるのなら、それは絶対に不可能ではない。

 新しい歌がようやく完成に近づいてきた。「プレシャス」あるいは「プレシャスネス」。「本当に大切なものは、永遠に心から消えやしないさ」。歌っていて、この歌詞はきっと自分が書いたんじゃないと思う。けれど、今の自分にとって、これ以上リアリティーを持つ言葉はない。

 熊本。いつもより静かで、いつもよりお客さんは入っていなかった。でも、そんなことよりも、こんな時代に生きている人々が音楽で幸福になってくれますように。オレにとってはそれが一番大切なことだ。ありがとう。

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by 山口 洋  

宇宙で会おうぜ、カズ。小倉にて。

2010/01/28, 02:12 | 固定リンク

1月28日 木曜日 曇り 

 多分、今日の原稿は長い。許せ。

 走り出したら止まらない、この性格はどうにも治らない。バカにつける薬はなし。 

 けれど、詳細な記録はつけておくもので、だいだい月の前半にモーレツに頑張りすぎて、後半はその疲れでヒザ痛に悩まされていることが読み取れる。このところの痛みは、危険な香りがするもので、一歩間違えると、致命的な怪我になりそうな予感。それゆえ、ハードな練習は怖くて、躊躇している。どう考えても、休養が少ない。過去に二日続けて休養を取ったことはないし。疲労が取れないまま、根性で走り切って、余計に疲労を蓄積させ、致命的な怪我に向かって突き進んでいる状態。練習密度はサブ4(4時間切り)はおろか、サブ3を目指す人よりもハードなものになっていた。そりゃ、オレは初心者だから壊れる。考え直そう。トレーニングは破壊と再生の連続。これを繰り返すことによって、前進する。オレの場合、根性が先走りしすぎて、限界を超えてしまい、身体がトレーニングに対して、身体の再構築を拒否している状態なのだと思う。今月はもうすぐ400キロを超える。記録によると、だいたい250キロを超えたくらいから膝が痛み出す。3/28の本番のレースから逆算して、すべてのメニューを自分のスケジュールと合わせて、考え直すことにした。怖がらずに休みをもっと取り入れて、むやみに長い距離を走るのをやめ、2月はスピード練習も減らす。走行距離も減るが、これで様子をみよう。多分、間違ってはいないはずだ。考えたのは以下のメニュー。

----------------身体作り-------------------------------
2/1 off
2/2 jog 60分
2/3 坂道ダッシュ 10本
2/4 軽いjog
2/5 BU走 10キロ
2/6 LSD 120分
2/7 20キロレース出場 キロ5分10秒で

------------------リカバリー----------------------------
2/8 off
2/9 軽いjog
2/10 jog 60分
2/11 軽いjog
2/12 off
2/13 jog 90分、ws5本
2/14 jog 90分

-------------------実戦練習--------------------------------

2/15 off
2/16 jog 60分、ws5本
2/17 坂道ダッシュ 10本
2/18 off
2/19 jog 60分
2/20 30キロRP走 キロ5分30秒で
2/21 BU走 15キロ
2/22 off
2/23 jog 40分
2/24 jog 60分
2/25 off、あるいは軽いjog
2/26 jog 60分、ws5本
2/27 LSD 150分
2/28 20キロRP走 キロ5分20秒で

 これじゃ、まるでマラソンブログじゃん。飛行機に乗って、小倉に見参。勝手知ったるギャラリーsoap。オレの大好きなアーティストがオーナー。PAチームも入魂の仕事にて、何の不足もなし。オーナーのかつての作品。それは記憶が正しければ、オランダ政府の資金援助にて、東京都写真美術館に展示されていたのだが。恐山のイタコを通じて、アンディー・ウォーホールにインタビューするっちゅー、とてつもない作品だった。素晴らしかった。そして、彼の弟子であるカズ(30歳)がもうすぐこのギャラリーを辞めるのだと。「何でなん?」とオレが聞いたなら、彼がひとこと。「宇宙飛行士になりたいからっす」。ほえ?でも彼はマジだった。国立大学に今一度入り直して、彼は宇宙を目指すのだと。最高だぜ、カズ。オレは走る中で、宇宙を目指すから、今度はそこでで会おうぜ。君をせせら笑う輩が居たとしても、気にするな。オレはマラソンで4時間を切るっちゅー、些細な夢だけど、それを達成できたら、勝手に受け取ってくれ。オレは応援するぜ。

 ライヴはね、固い部分もあったけど、だんだん自由になっていった。ルールは誰かが決めるものじゃない。次第に浮かび上がるように出来ていくものだと、オレは思う。来てくれて、ありがとう。どうぞ、ギャラリーsoapをよろしく。みんなが自由になれる、素晴らしい空間だよ。くどいけど、カズ、お前は最高だよ。こんな夢を語る30歳に久しぶりに会った。

キャプション1 カズとオレ。こんな若者がいつかこの国を背負ってくれる。頼もしい。
キャプション2 フランク・ロイド・ライトの立体模型。この飛び出す絵本、素晴らしい。こんな本がフツーに置いてあるハコは世界でここだけだと思う。
キャプション3 いつもの楽屋の絵。

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by 山口 洋  

親の心

2010/01/27, 21:56 | 固定リンク

1月27日 水曜日 曇り 

 渡辺圭一の「たまけん2009」を読んで、「そっか、あいつも人の親だよな」と、何だかしみじみした気持ちになる。

http://d.hatena.ne.jp/tamaken2009/

 オレには子供が居ないから、親の気持ちは分からん。ただ、自分がここまで来る道のりを振り返ったとき、果たして、自分が親だとして、その紆余曲折の道をどーんと黙って見守ってやれるかどうか、甚だ自信なし。幸か不幸か、オレの親離れは早かったけれど、同時に人としての致命的な欠点も残したし。ようやくそれに気づいて、ひとつひとつに向き合って、消去して、受け入れたのは、つい最近のことだし。ただし、父親に関して云えば、ロクな人物だったかどうかは別にして、「お前の好きな道を行け、その代わり、責任は自分で取れ」、と云う明確な教えは、今も胸の底にあるんだけれど。

 国会の予算委員会。ひたすら罵りあい、相手の揚げ足を取り、肝心の予算は何も決まらない。あるいはフィクサーと呼ばれる男のスキャンダルに躍起。多くは野卑極まりなく、品格のかけらもない。そんな大人たちを観て、未来を背負う子供たちは何処に希望を見いだせばいいんだろう?
 
 オレにできること。「何だか、あのおっさん無茶苦茶、楽しそうじゃね?」、「音楽やってんのって、楽しそうじゃね?」、「大人になるのって、悪くないんじゃね?」。ライヴに足を運んでくれたガキんちょに、そう思ってもらえるように歩いていたいと思う。明日から、再び九州。会えるのを愉しみにしています。老若男女、誰も拒みません。ガキんちょでも遠慮なく。オーディエンスも子供が居る人、いっぱい居るだろうし、なにがしかのガイドライン、作らなきゃね。親が音楽に夢中になってる姿を子供が観るってのも、悪くないと思うんだけど。

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by 山口 洋  

維持すること

2010/01/26, 17:05 | 固定リンク

1月26日 火曜日 晴れ 

 ツアーの合間に、一瞬だけ東京に戻って、また一回り身体が細くなっているのに気づいて、愕然とする。考えてみれば、20キロ走るだけで、成人男子の一日分のカロリーを消費するらしい。二時間ライヴをやることもしかり。この一週間で5本。つまり、ライヴの日に走ることは、3倍の食事を取らなきゃならないってことか。とほほ。何とか時間を見つけて、ツアー中も喰っていたが、それでも足りないらしい。こりゃ、食の苦行だ。
 去年まで着ていたものが、まったくサイズが合わなくなってしまったので、唯一、細身のものを出しているメーカーから買って着ていたが、どうやら倒産したらしい。とほほ。残すは女物かい。それだけは避けたい。

by 山口 洋  

したたかに、でもまっすぐであること

2010/01/26, 13:23 | 固定リンク

1月25日 月曜日 晴れ 

 「音楽で街を元気にしたい」。オレはその街に恩義があったし、オファーに賛同したから、地域限定ユニットで出演するために、飛行機でトンボ帰りした。最近、とみにそのようなオファーが増えた。先日の福岡のイベントもそうだし、ミュージシャンは単に音楽をやるだけではないことが求められる。それは結構。ただし、その意思を「まっすぐに」貫くことは簡単ではないし、やるなら「本気」でやらなければ、ただの「仲良し倶楽部」で終わりになる。オレが街に育てられたように、関わっているニンゲンたちも同じだ。たまには嫌われることも覚悟で、云いたくないことも云わねばならない。
 会場に着いて、リクオが弾くピアノが用意されていず、PAオペレイターがあまりにも要領を得ないところで、オレはキレた。ふざけるな。やるなら、本気でやれ。キツい仕事を終えて、働いた金でやってきたオーディエンスをこんなに狭いところにギュウギュウに詰め込んで、ロクにステージも見えない状況って一体何だ?だいいち、それをネットで配信するなら、オーディエンスのマイクぐらい立てておけ。臨場感もクソもないだろ。こんなレベルでやっているから、地方の音楽はナメられるのだ。
 関わった人間たちの、ひとつひとつの溢れる想いの集合体が音楽を作る。それがオーディエンスをハッピーにする。その技量がないのなら、あり余る情熱でどうにかカバーしろ。無意味なところだけ、妙にプロっぽい振る舞いは大嫌いだ。「したたかに、でもまっすぐであれ」。オレは久しぶりに本気で怒った。街の音楽を取り巻く状況を良くしたかったからだ。そのために帰ってきたからだ。願わくば、伝わっていることを祈る。
 ミュージシャンたちは百戦錬磨。その状況を受け入れて、ベストを尽くしていた。客席の表情も次第に笑顔に変わっていった。でも、新しいメンバーも加わったことだし、またやろう。お互い足りないものは反省して。音楽の奇蹟を、この時代を生きる人々にちゃんと伝えようじゃないか。

by 山口 洋  

故郷と仲間はいいもんだ

2010/01/24, 23:14 | 固定リンク

1月24日 日曜日 晴れ 

 幾つになっても、帰る場所が実質的になかったとしても、故郷と仲間はいいもんだ。財産だ。また、都会に戻って闘う気力が湧いてくる。そして、みな、それぞれの道を往く。ありがとう。

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by 山口 洋  

微妙に汚れた笑顔と繋がっていくもの、福岡にて

2010/01/23, 22:54 | 固定リンク

1月23日 土曜日 曇り 

 古き良き福岡がまだ残っている西新と云う街に、歴史のあるJAJAと云うハコがある。俺たちは変名バンドでしか出演したことはないのだが、かの街のシーンに果たした影響は大きい。オーナーの石橋さんが亡くなって10年になる。ヒロシが故人と深い交流がなかったことは知っているが、街のため、故人の遺志を繋いでいくため、出演してくれないだろうか。がってん、承知しました。正直に云って、あの街に生まれたことが面倒臭かったこともある。けれど、そうでなければ、音楽はやっていなかっただろう。だから、今は深い感謝の気持ちがある。何より、どうしようもないこの暑苦しさは、あの街が育んでくれたもので、オレは在日九州人だと今も思っている。
 そういえば、結成間もないウルフルズを初めて観たのも、このハコだった。もう20年以上前の話。特にウルフルケイスケとは、奴がその前にやっていたバンドの時から気があって、良く男の子チックな遊びをしたもんだ。ひひ。な訳で、ケイスケと、旧知の柿木と、オレは街とオーナーに感謝を込めて演奏した。楽しんでくれたかい?

 ところで、ケイスケのトレードマークと云えば、笑顔。もはや、職業は笑顔と云っていいほどの笑顔。考えてみると、オレのアーティスト写真と云うものに笑ったものは皆無。楽屋で奴に聞いてみた。「ケイスケ、笑って写真に映る方法を教えてくれ」。奴の教授のもとに撮影されたのがこの写真。微妙に汚れた笑顔。二人合わせて90歳。なぁ、ケイスケよ、柿木よ。人生はお互いこれからだぜ。道を切り拓こうぜ。

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by 山口 洋  

HW特番、そして故郷を走る

2010/01/22, 19:22 | 固定リンク

1月22日 金曜日 晴れ 

 FM長崎は毎年、新春にHW特番を作ってくれる。今年で四年目。嬉しいことです。こうやって変わらない体温で応援をしてくれるってことは。スタジオに出向いて、パーソナリティーの平川と喋り倒す。彼女も経験を重ねて、会話ははずんだ。オンエアは1/31だそうです。是非、聞いてね。

 福岡に戻り、大濠公園を走る。ここは、きちんと距離が道路に表示されている。不安だったのだ。オレがいつも走っている海沿いのコースは、距離表示がかなり曖昧だ。もし、本番で1キロがもっと長かったら、マズい。だから、できるだけいろんな場所で走っておきたかった。しかし、ここは走りやすい。舗装も足に優しい。100メートルごとに表示があって、ラップもキロ4分台で刻んでいける。つまり、海沿いのコースはマスコットバットみたいなものだったのだ。強風の日はとんでもないし、砂はあるし、エトセトラ。そこで走っていたおかげで、このように整った環境では、楽に走れる。同じことは人生にも云える。いろんな経験をしておいた方が、スポイルされずに生きていける。悪条件は人間をタフにする。感謝しよう。

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by 山口 洋  

女神大橋を走る、長崎にて

2010/01/21, 11:53 | 固定リンク

1月21日 木曜日 曇り 

 長崎の入江にかかる女神大橋を走る。旅先で走るのは、また格別。街の成り立ち、人々の暮らし、いろんなものが見えてくる。素晴らしい。

 何かが、確実に変わったと思う。身体と心のキレが違う。音楽の神様に愛されてると思う。そして、地方で愛を込めて、音楽との関わりを続けている小さなハコが、逡巡の末に、街の人々に愛され、そして良くなっているのを観ていられるのは、本当に幸福だ。ありがとね。音楽に没入できたよ。みんな元気で。

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by 山口 洋  

雨の浪漫座、佐賀にて

2010/01/20, 02:46 | 固定リンク

1月20日 水曜日 雨 

 飛行機に乗って、九州に帰る。イベンターの迎えを受けて、会場入りの前にうどんを食す。嗚呼、懐かしきこの醤油の味。帰ってきたなぁ、と思う。オレ、この味で育ったんだよ。

 浪漫座は築100年を超える旧銀行跡。今は佐賀市が管理している。何度もここで演奏させてもらったけれど、過度の装飾はまったく必要なし。歴史と天井の高さが、何も加工しなくても、丸くて暖かい音にしてくれるから。一昨日から今年のライヴをスタートさせた。何かが確実に変わりつつあると思う。オレは音楽に集中する。どんな状況であれ、オーディエンスはそれぞれに楽しんでくれれば、それでいい。家に帰って、「ふふ」とにんまりしてくれれば、それがいい。やりたいことを存分にやらせてもらった。ありがとう。雨の中、楽しんでくれたかな?新しい曲はまた一歩、前進したよ。
 終演後、長崎に移動。そこで連れていってもらった居酒屋が素晴らしくてね。出される料理すべてに、板さんの魂がこもってる。我々が到着したとき、既に看板だったのだけれど、嫌な顔ひとつせず、ある材料で、美味しいものを作ってくれる。そして値段は信じられないくらいにリーズナブル。プロフェッショナルだったなぁ。感激したよ。店の名前は山田屋。オレは連れられて行ったので、何処に位置してるのか不明だけれど。長崎に来たら、行ってみんさい。

 明日は長崎の街を走ります。野母崎の方に行ってみようかな。それからFM長崎の生番組に出演しています。夕方の5時過ぎだそうです。夜は出島の名所、R-10でライヴ。迷わずきんしゃい。引き続き、九州のランニングコース情報、お待ちしてます。

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by 山口 洋  

リハーサル

2010/01/19, 19:30 | 固定リンク

1月19日 火曜日 晴れ 

 地域限定ユニットのライヴのためのリハーサル。全員、厳しい現場をくぐってきただけあって、リズム感が抜群。微妙なハネ、モタリ、エトセトラ。全員でグルーヴを作るのは楽しい。昨日との、音楽のあまりの差異に目眩がしたが、これはこれで充分に素晴らしい。

 さ、明日からは九州。待っとれよー。

by 山口 洋  

横浜にて

2010/01/19, 19:26 | 固定リンク

1月18日 月曜日 曇り 

 朝、靴下を履こうとして、親指の爪が剥がれた。これで両親指、爪なし。でも、いいのだ。オレは本気で全部の細胞を入れ替えようと思っているから。

 魚と横浜でライヴ。
 俺たちの演奏は自分たちですら、何処に行くのか分からない。だから、観客もリアクションしにくいとは思う。けれど、盛り上がるだけがライヴではない、とも思う。願わくば、心の中でじんわりと、それぞれにいろんな事を感じて欲しい。そんなライヴだった。前の日に書き上げた新しい曲も歌ってみた。まだまだ改善の余地あり。でも、こうやって投げかけて、完成していくのを愉しみに待っていて欲しい。いつでも、最新型でありたい、と思う。いつも変化していたい、と思う。忙しい中、来てくれて、ありがとう。

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by 山口 洋  

15年

2010/01/17, 19:38 | 固定リンク

1月17日 日曜日 晴れ 

 あれから、15年経ったんだね。長かったのか、短かったのか、僕にはさっぱり分からない。ただ、故筑紫哲也さんに番組の中で伝えたのだけれど、僕らの世代は教科書でしか見たことがなかった、あの風景を一生忘れることはないだろう。未だに、あの曲を歌うのには力が必要です。いつだって、風景がフラッシュバックしてくるから。ただ、明日は歌ってみようと思います。15年分の想いを込めて。

 明日、魚とのライヴを横浜で終えたら、九州を廻ります。そして3月には魚と7カ所を廻ります。「ひかりを探しに」。本当にそんな気持ちなのです。duo、trio、フルバンド。HWの形態いろいろあれど、魚と僕の組み合わせはまた格別なものがあります。彼と演奏すると、いつも体内と体外のふたつの宇宙を感じます。是非、来てください。

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by 山口 洋  

あと二つの課題

2010/01/16, 14:14 | 固定リンク

1月16日 土曜日 晴れ 

 初マラソンで、4時間を切るという目標を立ててから、沢山の巻物を読み、練習方法と課題を学んだ。それらを自分の性格と力量に合わせて整理分類し、幾つもの関門を設けた。体調と相談しながら、ひとつひとつクリアしていく。残された課題はあと二つ。ひとつは15キロのビルドアップ走(1キロ毎にラップを上げていくこと)で目標のタイムをクリアすること。もうひとつは30キロをペース走(一定のペースを保って走ること)で、2時間48分以内に走りきること。それ以上の課題は巻物には見つからない。多分、これ以上やると、身体のダメージの方が大きいと云うことなのだろう。それでも、オレはやるけど。
 早起きして、ひとつめの課題に取り組む。オレとて、暇人ではないから、午前中にそれをやり終えると、一日が有意義に使える。ペースを上げていくのは、正直しんどい。でも、飛躍的に能力が伸びるのは間違いない。走っている間、考えているのは時間のことだけ。無心になる。最後は息が上がるまで追い込む。最後の2キロを3分台で走る。苦しい。でも、その苦しみは単純に苦しみだけをもたらすのではない。的確な言葉が見つからないけれど、「妙な喜びを含んだ苦しさ」とでも云えばいいのか?ドアーズに「break on through to the other side」という曲があるが、反対側には行けないまでも、「ブレイクスルー」しそうな予感がある喜び、かな?ライヴの後半に全力で飛ばしている時の感覚にも似ている。15キロを1時間15分16秒。平均ラップ5分1秒。目標達成。最初から飛ばしている訳ではないので、なかなかのタイムだ。こうやって、ひとつづつ自信を自分に植えつけていく。もう誰と競い合うこともない。敵が居るとすれば、自分の慢心だけ。
 走っている時に流れていく風景が好きだ。それは「自力」で手に入れたものだ。車のそれとは訳が違う。愛おしい。季節とか、風とか、光を感じながら走るのが好きだ。たまに仕方なく車に乗るとびっくりする。あのスピードにはついていけない。

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by 山口 洋  

3分台

2010/01/15, 23:09 | 固定リンク

1月15日 金曜日 晴れ 

 ネットで見かけた、米良美一さんの発言。オレはこの方の歌を聞いたこともないし、「もののけ姫」を観てもいない。甚だ失礼だと思いながらも、彼の言葉は自分が常々感じているところとひどく重なることが多かった。きっと何処かで彼の歌を耳にする機会があるだろう。「人はいくつになっても自分を変えることができる」。その通りだと、思う。

http://doraku.asahi.com/

 昼過ぎに打ち合わせを一本。テレビ局の人間に久しぶりに会った。オレは彼が好きだけれど、何だか要領を得ない。目を見て、話を聞いて、何かぐっとくるものがあれば、オレは喜んで全力を尽くす。根拠なんて、そんなものさ。でも、それがなければオレは行動しないと思う。そう伝えた。オレが嫌いなもの。「とりあえず飯でも喰いませんか?」。悪いけれど、とりあえず飯は喰わない。酒を飲みながら、仕事の話はしない。

 ウィークデイはビルドアップ走と云う、短時間でスピードを上げる練習をする。1キロ毎にペースを10秒づつ上げていく。たかが15キロでも、最後は充分苦しい。終盤で、飛ばしすぎだな、と思ってラップを確認すると、3分58秒だった。一瞬何かの間違いか、と思ったが、確かにそのタイムで走っていた。オレも速くなったなぁ、と嬉しく思い、そして、ラップ管理が全然なってないやんけ、とも思う。ある人物に、最近全然寒くないんだと語ったら、「それ更年期じゃないすか」と云われた。こういう無粋な人があまり好きじゃない。それがギャグとして通じるかどうかは微妙なところだと思うし、実際自分もその手の発言をスレスレのところでやっているから、気をつけよう。

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by 山口 洋  

リハーサル

2010/01/14, 02:59 | 固定リンク

1月14日 木曜日 晴れ 

 午前中に「どりゃー」と走って、午後からリハーサルに行く。1/18の魚ちゃんとのライヴのためのもの。

 自分で歌を書いて、それを演奏すると云う意味では、シンガーソングライターだとは思う。けれど、その呼称で呼ばれるのは今でも好きではない。何故ならオレはレッキとした素晴らしいバンドの一員だからだ。バンドマンと云う呼称も好きじゃないので、「職業は?」と聞かれたら、「バンドの人」みたいな。それが一番しっくりくる。自分で何もかもやれ、と云われれば出来ないことはない。けれど、驚きは少ない。つーか、楽しくない。オレは誰もコントロールしたくない。バンドに新しい曲を持っていくとき。30年もやってるけど、未だにキンチョーする。自分にどんなに確固たるイメージがあったとしても、それはメンバーには伝えない。オレはただ歌って演奏するだけ。と云うよりは、彼らの才能と直感を通過して、願わくば化学反応が起きて(起きずに沈没する曲も沢山ある)、こりゃ、四人の音だよな、という形が浮かび上がってきたときが一番嬉しい。
 曲を書くのは、どんなに冴えていたとしても、結局は机上の空論。誰かに投げかけたとき、劇的にリアリティーを伴ったり、足りない部分が見えてきたりする。この数ヶ月かで、幾つかの曲を書いた。でも、今日、魚に投げかけてみて、素晴らしい部分とダメなところが「瞬時」に見えてきた。机の上で、ある部分を3時間悩んでいたとしても、そんなことは取るに足らない良さとダメさが瞬時に浮き彫りになる。フィジカル、かつメンタル。だから、オレはバンドが好きなんだと思う。魚先生とオレは「直感」と「熟考」のポイントが良い意味で逆なのだ。一本のライヴで、どこまでできるか不明だけれど、そこに生きている自分たちが決して嫌いではない。
 1/18は、ソロともトリオともフルバンドとも違うものになると思います。テーマは「宇宙」かな。気軽に足を運んでください。

 ハイチの地震。オレが昼前に家を出た時点で5万人が亡くなったと聞きました。ゴマンニン。5万人。絶句。アメリカやこの国で、それだけの人が亡くなったなら、いったいどれだけのニュースになるんだろう。腑に落ちません。

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by 山口 洋  

斜陽

2010/01/13, 19:29 | 固定リンク

1月13日 水曜日 風の強い日 

 斜陽だと報じられているその航空会社と、ロックミュージシャンは昔からソリが合わなかった。態度の奥に親方日の丸が透けて見えると云うか、今なら彼らも素直にそれを認めるだろう、と云うくらいには、差別的な待遇をたびたび受けた。だから、どうしようもない場合を除いて、できるだけ他の会社の便に乗るようにした。弱小であればあるほど、ミュージシャンにはおおむね好意的だった。整備に?マークがついたとしても、楽器の取り扱いについて、カウンターで揉める方が面倒くさかった。
 乗客にはいろんな事情がある。例えば、母親の看病をしていたとき、オレは最大で月に10回帰郷しなければならなかった。大した出費だ。緊急を要する事態に於いて「早割」なんて使える訳もない。正規料金で乗るしかない。ETCの割引だって、トラック業界からよく暴動が起きないものだと、不思議に思う。だから、新興航空会社に提案した。このような状況の乗客をサポートしたなら、あなたの会社の「社会的貢献度」は上がる。それは、金をかけて宣伝するよりも、一番効果的なプロモーションではないだろうか、と。残念ながら、それは通じなかったけれど。
 新興の会社にも、比較的うまく行ったものと、そうではないものがある。うまく行った会社は次第にタカビーな態度になっていく。オレの視線がフラットなのか、という点と差し引いても、ときどき目に余るときがある。自分にも投げかけなければならない言葉だけれど、どうして初心を、大志を、あの瑞々しさを、人は忘れてしまうんだろう。
 役所は変わりつつある。サービス業だと人々に認知され、その態度は劇的に変わりつつある。多少の問題ははらんでいるだろうが。何かの組織に属していたとしても、それを「個」の責任として引き受け、働いている人物には、素直に「ありがとう」と云える。その感謝の連鎖が世の中を少しづつ変えていくのではないか、とオレは思う。
 「個」の独立の時代。組織が未来永劫に繁栄するなんて幻想だと人々は気づきはじめた。自分の話に置き換えるなら、フリーで生きていくことに怖さもあった。でも業界を離脱して、自分の思ったままに生きる。どうしてもっと早くやらなかったんだろう、と今となっては思う。清々しいのだ。その緊張感が。ダメだったら、すべて自分のせい。責任の所在がはっきりしている。もちろん、面倒なこと、大変なことは山ほどある。でも、それは苦労とは呼べない。何故なら、自分の好きな生き方を選択したからで、いつだって後ろ盾なんてありはしないから、生まれてくるエネルギーは確かにある。オレは全ての人々にそんな生き方を勧めている訳じゃないし、無責任なことは云えない。斜陽の会社に「ざまみろ」と思うほど、醜い人間でもない。ただ、思うのだ。人も企業も、追いつめられて、初めて生き始めるんじゃないか、と。本当の意味での「再生」は人であれ、企業であれ、不可能だとは思いたくない。その会社がどのように変わったのか、一度乗ってみようと思う。ピンチは「それまでの何かを」変える最大のチャンスだと思うから。

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by 山口 洋  

R.I.P

2010/01/12, 16:01 | 固定リンク

1月12日 火曜日 雨 

 ミック・グリーンが亡くなったと、友人からメールが来た。よく勘違いされるけれど、ピーター・グリーンではなく、ミック・グリーン。The Piratesの炎のギタリスト。10代の頃、わずかな金を握りしめて、福岡のレコード屋に通った。今でこそ、フツーに会話できるけれど、店主は怖かった。僕はその店で、ルーツ・ミュージックを学んでいった。そこで「一家に一枚、パイレーツ」と云う手書きのPOPと共に売られていたのが、「out of their skulls」と云うライヴ盤だった。ミック・グリーンの弾くギターは、まるでマシンガンがチェインソーのようで、すぐに夢中になった。彼のギターには「guts」があった。多分、今でも最初から最後までソラで弾ける。後に現れた、似たスタイルのウイルコ・ジョンソンよりも、オリジネーターとして、遥かに強力だった。彼はピックを使わず、指であの凄まじいフレーズを弾いているという「風の噂」を聞いて、僕も指先から血が滲むまで弾いた。彼は僕のギターに決定的な「guts」を与えてくれたのだ。

 当時、僕らが根城にしていたスタジオで、隣のスタジオからミック・グリーンの曲をなかなかのgutsで弾いているバンドが居た。ムズムズしたので、僕もケースからギターを出して、見ず知らずのバンドに乱入して、一緒に演奏した。そこで意気投合したのが柿木と云う男だった。奴から突然電話があった。今月末に、福岡のとあるハコのオーナーの命日に合わせて行われるライヴ。そこにウルフルケイスケも出演するので、一緒にセッションして欲しい。そんな内容だった。喜んで。そう云えば、ケイスケもミック・グリーン、好きだったよなぁ。多分、ミック・グリーンが繋いでくれた縁なんだろう。オーナーとミック・グリーンの魂に届くように、一緒に演奏しよう。

http://www.mojo4music.com/blog/2010/01/mick_green_1944-2010.html

by 山口 洋  

76km、愛と希望と忍耐

2010/01/11, 22:52 | 固定リンク

1月11日 月曜日 曇り 

 3日間、素人としてはキツい練習を自分に課した。それ以外の時間は作曲に費やした。今のオレに出来るのは、それが全てだ。土曜日にジョグで21.1キロを走り、日曜日にキロ5分18秒のペース走で25キロを走り、今日は30キロをLSDで。最後の1キロを全速力で飛ばしてみる。4分15秒。まだイケる。初めて30キロを走って、幻を見ていた頃とは違う自分が居た。心と身体が引き締まっていく。家に帰るとすぐに、働いた足に冷水をぶっかける。その冷たさにも慣れた。貧血もない、血糖値も下がらない。筋肉痛もない。わずかに痛むのは膝だけ。頭にかかっていたモヤのようなものが晴れて、自分のやるべきことがはっきりと見えてくる。身体で云うなら体幹、心で云うなら「コア」。そこが決してブレないように。臍からビームを出そう。20メートル先に。腰を高く、背筋を伸ばして、まっすぐに。そして冷たい空気を吸って、リズムを刻もう。自分の脂肪を燃やし尽くして、寒くて仕方がなかった。でも、多分、毛細血管が育ったのだろう。もう寒くない。冷たい空気を吸って、身体中に温かい血が流れているのを感じる。「生きてる」と思う。嗚呼、愛と希望と忍耐。

by 山口 洋  

Still life with my GTR

2010/01/10, 16:12 | 固定リンク

1月10日 日曜日 晴れ 

 オレにギターを弾く喜びを今一度教えてくれたのは、おおはた君だった。彼と演奏しているのは本当に楽しかった。あれから、前より能動的に弾くようになった。ありがとね。最後に残ったのはGuildのD-35。いつでも部屋に置いてある。彼女は野生の馬。暴れん坊で、気性も荒い。20年を超えてつきあって、ようやく求めるどんな音でも出せるようになった。ふっとメロディーが浮かんで、彼女が情景を描いてくれる。そこに光が差して、ずんずんと前に進んでいく。言葉をぽろぽろと紡いでいく。カーペットを織っているような、そんな感覚。弾くことより、弾かないこと。隙間をあけておくこと。その方がずっと難しくて、やりがいがある。「Still life with my GTR」と云ったのはケヴィン・エアーズ。その言葉の意味が良くわかる。歌を書くのは溢れてくるからで、無理にひねり出そうとしても、ロクな結果を生まない。でも、溢れてきただけじゃ、ただの吐露。そこにいろんな色の糸を織り込んでいく。どこにたどり着くのか不明なその作業は苦しいけれど、楽しい。一番必要なものは、体力。それがなければ、続かない。心の底まで降りて、物事を見つめることには体力がいる。

by 山口 洋  

Hymns

2010/01/09, 17:39 | 固定リンク

1月9日 土曜日 晴れ 

 「Hymns to the silence」- 「静寂への賛美歌」。そこには音楽に求めるすべてがある。いつもここに戻ってくる。静かに力がみなぎってくる。

by 山口 洋  

ある牧師の言葉

2010/01/08, 17:39 | 固定リンク

1月8日 金曜日 晴れ 

 走れなかった。記録によると9日間連続して、激しいトレーニングをしていた。今、壊れるのだけはマズい。走り続けるために、止めなければ。

 何もできない自分に悶々としていた。悔しくて、情けなかった。そんなとき、ある牧師の言葉がもたらされた。人を介してだけれど。「牧師である僕が云うのも何なんだけれど、ただ祈るだけではダメだ。行動して、言葉にして、そして祈らなければ」。ずん、と心に響いた。また違う電話が鳴って、「今のお前は、もう昔のお前とは違う。それだけのことをやってきたはずだ。だったら、立ち上がって、行動しろ。でなければ、お前は胃に穴があくだけだ」。電話を切ったら、座っていた椅子が崩壊した。まるで、欽ちゃんのコントみたいだった。多分、椅子を壊した力は「fear」だと思う。
 訳が分からなくなると、必ずそれは向こうからやってくる。でも、その理由を考えるのはもう止めた。きっと自分が引き寄せているんだろうし、流れに抗っても仕方ないし、起きてしまったことは変えられない。時空はひとつではないんじゃないか、と思うこともあるし、宇宙的だと思うこともあるし、言葉を100%鵜呑みにするほど若くもない。でも、それらを咀嚼しているうちに、ふつふつと、身体の底から力が湧いてくるのだけは確かだから、オレはそれに感謝する。思いやりのない勇気なら、オレは要らない。

 気持ちをしゃきっとしたくて、髪を切りに行った。美容院のドアを開けると、ヴァン・モリソンの「sweet thing」が流れていた。名盤「astral weeks」の3曲目。何て趣味のいい店なんだと思った。散髪が終わって、美容師氏に「シャンプー、変えた方がいいですよ」と実にビミョーなアドヴァイスを受けた。「それって、どういう意味すか?」と聞いたなら、「失ってからでは遅いですから」と突然、言葉は核心へと向かった。「失って・か・ら・で・は・遅・い」。祖父は二人とも完璧なスキンヘッド。父親はオレの年にはカルデラ湖のようにハゲをたたえていた。若い頃から「来るなら来い。逃げも隠れもせん。ジャック・ニコルソンみたいに格好良くハゲてやる」と思っていたが、どういう訳かハゲなかったし、今もハゲてはいない。って云うか、オレはハゲについて考えたのではない。ハゲようがハゲまいが、そんなことはどうでもいい。その言葉が別の意味で、ずん、と響いたのだ。

 誰かに頼んでこの世に生まれてきた、なんて話は聞いたことがない。クローン羊でもあるまいし。多分、それは自分の意思ではなかった。いや、這い出てきた時点で自分の意思か。でも、どんな状況であれ、生まれてきたことを呪う理由なんてどこにもない。人にはそれぞれ役目があると思う。損得勘定や欲ではなく。今、それをまっとうすることが求められているんだと思う。「絶望を受け入れるということは、現実的なリスクを受け入れることです。絶望を現実的にシェアしていくとき、初めて絶望は希望になりえます。ふわふわとした希望を夢見るのではなく、現実に立ち向かっていく責任とコミュニケーションが必要なのです」。確かに。

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by 山口 洋  

espoir

2010/01/07, 20:45 | 固定リンク

1月7日 木曜日 晴れ 

 運命は時に、あまりに無情で残酷だ。でも乗り越えられない試練は与えられない。絶対に。そして、オースターが云うように、「人間の落下を止めるのは愛だけだ」。自分の無力さに打ちのめされる暇があったら、今できることに全力を尽くそう。そして「espoir」が咲かせた花を、いつか君に届けにいこう。「espoir」の花のひかりを、いつか誰かに伝えにいこう。forgive me, i'm sorry, thank you そして i love you。心から。

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by 山口 洋  

愛の歌

2010/01/06, 19:06 | 固定リンク

1月6日 水曜日 晴れ 

 どうしてそこまで走るのか、と会うたびにいろんな人に云われる。去年のある時期に、生きることをゼロから真剣にやり直そうと思ったからだ。背負ってしまった過去や、過ちや、ダメな自分や、すべて受け入れた上で、何もかもゼロからやり直したかったからだ。トシを取ったから、やり直せないことなんて、オレはないと思ったからだ。最大のつまづきから這い上がろうと心に決めたからだ。でなきゃ、生きてる意味がない。自分を叩き直して、本物のひかりを獲得したかったからだ。ひとつひとつ、走りながら、しらみつぶしのように向き合って、ようやく大事なものが見えてきた。あぶり出しの文字のように。チャプター2の始まり。オレに何ができる?広義に云って、もう愛の歌しか書かないと思う。今日、誰かの美しい文章にあったのだけれど、国家さえ嫉妬するような本物の愛の歌。自由に生きよう。人は空を飛ぶことができるはずだ。長生きしたいという願望はない。でも、「ありがとう」と感謝して、笑って死にたい。「人は生きたようにしか死ねない」。本当にそう思う。願わくば、自分が両親の愛の産物であるとするのなら、生きたように後悔なく笑って死にたい。美しくありたい。どんな時も、まっすぐで折れない心が欲しい。自分を愛で満たして、誰かを心から愛したい。ただ、それだけだ。

 友人に「あんたみたいに暑苦しくまっすぐな男は観たことがない」と失笑された。オレもそう思うよ。暑苦しい。でも、今はクールには生きられない。仕方ないさ。

 ビルドアップ走を始めた。1キロごとにラップを10秒ずつ上げていく。最後は心臓が口から出そうになるくらいまで追い込む。ニンゲンの脳味噌は快楽を追求するように出来ている。それに抗う訳だから、正直しんどい。呼吸と云うよりは「あえぎ」以外のなにものでもなくなる。あー、こんな姿誰にも観られたくないと思いながら涙目で走っていたら、向こうから同じような顔をして走ってくる男が居る。何だよ、ヨシミじゃん。お前、仕事サボったのか?バカだな。奴が何を目指して、あんなに自分を追い込んでるのか、そんな野暮なことは聞かないけれど、あいつのド根性にはいつも励まされてる。

 さぁ、歌を書こう。

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by 山口 洋  

曲を書く

2010/01/05, 20:29 | 固定リンク

1月5日 火曜日 晴れ 

 体重の減少が止まったみたいだ。つーか止めたみたいだ。脇腹に残ったわずかな脂肪が最後の砦だった。ふーっ。良かった。生まれた時からずっと小食だったが、45歳を過ぎて、突然大食になった。と云うか喰わねばならなかった。運動で消費したカロリーを上回るだけ、喰わねば痩せる。簡単な図式。苦行だっだけれど、やっと慣れた。カレーを3杯喰った自分や、焼き肉屋に進んででかける自分や、甘いものを買いに行く自分。目新しくて面白い。それでも足りない栄養素はサプリメントに頼るしかない。月間300キロを超えるものは、骨が弱いと疲労骨折する怖れがあるんだとさ。そうだろうな、と思う。走る前に必須アミノ酸を飲料として、シェイクして飲み、ナトリウムとカリウムを摂る。それから鉄分とビタミンCを摂り、亜鉛とヘム鉄と乳酸鉄、グルコサミン、コンドロイチン硫酸、ボスウェリア、ヒアルロン酸、ビタミンB1、ビタミンE、最後にプロテインとイソフラボンを牛乳と一緒にシェイクして飲む。それで完了。でも、多分肝心なカルシウムが足りないので、名産のしらすやジャコを喰いまくる。何だかなぁ、オレの食生活。アンドロイドみたいだなぁ。でも、誰かさんみたいにマッチョを目指してるんではなく、あくまでも壊れない身体を作り、それを維持するためのものなので、ご心配なく。

 新しい靴を履いて、疲労を抜くためにジョギング。おお、確かに速いね、この靴は。

 新年は1/18のサムズ・アップで魚ちゃんとのライヴから始動します。バンドとはまた違った形でHWの可能性を感じてもらうことが出来ると思います。座ってご飯を食べながら、ゆっくり楽しむことが出来るんで、仕事帰りに遊びに来てください。云うまでもなく毎日走ってるだけじゃなくて、頭の中になる風景と格闘しながら、新しい曲を紡いでいます。

by 山口 洋  

新しい靴、30キロ合同練習

2010/01/04, 23:46 | 固定リンク

1月4日 月曜日 曇り 

 昨日は20キロのレースだった。悪条件ゆえ、全力は出さなかったけれど、それでも普段の練習とは違うだけのエネルギーを使った。本来ならば、今日は休養日なのだが、ここで、30キロをゆっくり走り、身体と対話しながら、悪いところはいたわりながら努力すると、本番での35キロからの耐性が養われる。ならば、やるべ。明日が仕事始めのヨシミもそれに参加すると云うので、二人で30キロ走。ペースを一キロ6分に設定しても、昨日の疲れが蓄積しているので、かなりしんどい。身体を壊さないように気をつけながら、とにかく走る。オレの頭に浮かんでいたのはカステラのみ。「あー、カステラ喰いてー」。多分、低血糖だったんだろう。前日、給水所で観たカステラのイメージが頭から離れず。云っておくけど、オレは人生でカステラを喰いたいなんて思ったことはない。でも、その低血糖状態を脳に記憶させておくのも、このトレーニングの意味なので、仕方ない。
 とにもかくにも。オレたちは身体を壊すことなく、キツいトレーニングをやり終えた。ヨシミはもう歩けなかった。そのままオレはコンビニに直行し、カステラがなかったので、シュークリームを原人喰いした。

 家に帰ったら、兄貴分からメールが来ていた。「急にそんなことしたら、身体壊す、いやもう壊れているかもな。走る事によって、弱った精神、肉体を取り戻すのが大切で、決して時間や記録ではない。」まったくもう。分かってますって。ニンゲンはなにがしかの目標がないと、走れないんすよ。ただ、オレみたいな性格のニンゲンは「壊れる」って、寸前のところまで行かないと、その危機感を自覚しないんすよ。そこに至って初めて、オレは何でこんなにがむしゃらに頑張ってんだろうってところにぶつかって、廻りが見え始めて、人に対する感謝の気持ちが芽生えて、「楽しむ」ってことについて考え、壊れないことを考え、そのずーっと先に「ひかり」が見えてくるんすよ。で、その頃ようやく弱ってた精神や肉体が前を向いていることに気づく訳で、そのためには具体的な、ちょっとだけ無茶な目標が必要で、それがタイムだってだけの話なんすよ。オレ、誰とも競いたくないすもん。自分には負けたくないけど。それをバカだとか、強すぎるとか云われると、ちょ、ちょっと待ってくれ、と思うんすよ。確かにバカだとは思う。でも、そのくらい強くなけりゃ、今頃確実に死んでますって。世の中ってその位には厳しい場所じゃないすか。少なくとも、オレはそうだった。だから、「ひかり」が見えてれば大丈夫なんですって。そこに、おわらない愛を持ってたどり着きたいだけなんですって。

 オレの足を守ってくれて、走らせてくれた2足目の靴もぼろぼろになってしまった。800キロは持つと云われ、その通りだった。靴はギターと同じくらい大切なものだ。今のオレにとっては。見た目なんて、もうどうでもいい。足を確実に守ってくれて、大してありもしないこのポテンシャルをできるだけ地面に伝えてくれるものなら。ピタっと来る靴が見つかるまで、スポーツ用品店のお兄さんと根気良く探した。爪のない足をわざわざ見せて、「オレにとっては死活問題なんすよ」と訴えたら、お兄さんはより真剣になってくれた。最後に残ったのは、3時間30分を目指す人のためのプチ・レーシングシューズ。迷うことなくそれを買った。履いたときにピタっと来たのだ。それはアシックス社のものだった。

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by 山口 洋  

これってビーチマラソン、それともサスケ?四度目のレース完走す。

2010/01/03, 21:28 | 固定リンク

1月3日 日曜日 晴れ 

 昨日コースを下見した通り、マラソンコースは堆積した砂で無茶苦茶だ。砂浜と違って、堆積した砂は乾燥しているので、走りにくいことこの上ない。つーか、慣れているオレですら、危険だと思っていた。いつものようにエントリーして、主催者の発表を聞いて、驚いた。今日は前半2.5キロが砂に埋没しているので、その区間は砂浜を走ってもらいます。「えーーーーーっ」。聞いてねぇよ、と思ったが、オレはこの田舎のいなたいマラソン大会が大好きなのだ。更に主催者は「こんな事滅多にないんで、足腰鍛えると思って、皆さん怪我に気をつけて、楽しんじゃってくださーい」。あはは。このユルさにもう笑いしか出てこなかった。おまけにハーフは今まで折り返しが5回あった。常々危険だと思ってはいた。それゆえ、今回から突然中止。ハーフ改め20キロレース。その代わり折り返しは3回に減った。いいじゃん。この臨機応変な対応。てな訳で、オレとヨシミと幼稚園の園長Mさんは20キロにエントリー。でも、往復の砂浜5キロって、走ったことのある人なら分かると思うけど、とんでもなくキツいのだ。 
 何だか楽しくなってきた。オレはヨシミと話し合って、今日は競い合うのは止めて、トレーニングの一環ってことで、砂浜で足腰を鍛え、残りはレースペース走として、1キロ5分20秒をキープすることにした。ところがね、今日のレースは今までで一番楽しかったのだ。二人は並走しながら「何だか、楽しくね?」、と。ベストのラップより20秒遅いので、フツーに会話しながら走ることができる。しばらく行くと川に幅20cmくらいの橋(のようなもの)が架かっていて、二人で「これサスケやん、競技が違うやん」と。アバウトにも程がある、オレたちはこの大会に惚れてきた。考えてもみてくれ、防風林を挟んだ国道では箱根駅伝が行われ、上空にはヘリが飛び、沿道には応援の人が多数。それに比べ、こちらはビーチ・サスケ・マラソン。砂浜をゼッケンを付けて大挙して走ってくる連中にサーファーたちも目を白黒。今までと違って、ペースを少しだけ落とすことによって、走ることの喜びが見えてきた。給水所でランナーのためにカステラを小さく刻んでいるおばあさん、「今日は完走バナナを用意してるからがんばれー」と叫ぶおっさん。「うちからみかん300キロ持ってきたぞー、好きなだけ持ってけー」と叫ぶ多分みかん農家のボランティア。折り返し地点で「箱根駅伝のランナーだと思って走れー」と叫ぶおっさん、それに応えて「絶対無理ーーっ」とオレ。駅伝観戦のついでに旗を振って応援してくれる人たち。一番好きだったかけ声は「いつか実を結ぶぞー」だった。あはは。結果がどうだったかと云うと、前回死ぬ気で走ったものと遜色ないのだ。砂浜を5キロも走ったにも関わらず。オレたちは今までストイック過ぎた。この田舎の大会を支えてくれている人たちをかえりみることもなく、自分の結果に一喜一憂していた。でも、違うじゃん。一銭にもならないことに、これだけ情熱を注いでくれて、毎回困難を乗り越え開催してくれて、その上に乗っかってオレたちは走ってるだけじゃん。このゴール地点の写真観てくれる?手作り感満載。本当にありがたい、とオレは思う。繰り返すけど、今までで一番楽しかったよ。

 10キロや5キロに参戦した友人達も全員完走。いやはや。走ることは奥が深い。ストイックな道の次に、「愉しみ」が加えられたこと。それは財産だと思う。マラソンの神様に怒られないように、3月の本番では、「愉しみ」ながら4時間を切れるように、腰を据えて練習したいと思う。

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by 山口 洋  

襷を繋ぐこと

2010/01/02, 23:48 | 固定リンク

1月2日 土曜日 晴れ 

 盆や正月をやり過ごすのは、正直しんどい。家族のない者には逃げ場がない。そんな時、町の友人たちが酒や料理を持って、大挙して遊びにきてくれた。仕事場がこんなに人で溢れてるのを初めて観たよ。嬉しかった。本当にありがとう。
 箱根駅伝を観た。去年まで何の興味もなかったのだけれど、ある時オーディエンスが「風が強く吹いている」と云う本をプレゼントしてくれて、こりゃ何だかとんでもないぞ、と思ったのだ。競技でなければ、大学と個人の誇りと歴史を賭けた闘いでなければ、人はあそこまで頑張れないだろう、と。テレビによって、デフォルメされている部分はあるとは思う。それでも、彼らの情熱や沿道の声援を観ているうちに、じわっとこみ上げてくるものがある。
 明日は四度目のレースなのだった。四回目になると、気も弛んでくる。実のところ、彼らが激走している国道の横に、我々草ランナーのためのマラソンコースはある。それを戒められた気分。明日は町の友人たちもたくさん参加するらしい。だから、下見を兼ねてコースを走った。コンディションは堆積した砂で最悪。自己新記録なんて狙おうものなら、確実に故障する。だから、その旨連絡して、自分なりのレースの目標を立てて、参加することにした。

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by 山口 洋  

this light is for the world

2010/01/01, 16:53 | 固定リンク

1月1日 金曜日 晴れ 

 あけまして、おめでとう。まさか、2010年だとはね。今年もどうぞ、よろしく。みんなと同じ時代に生きていること、とても嬉しく思っています。

 いつものように、走ることから一日を始めました。いつものように「ひかり」を目指して走りました。当たり前だけど、走るときは一眼レフなんて持てません。だから、一枚もその写真はありませんでした。でも、2010年の元旦のひかり。それだけは記録しておきたくなったのです。家に帰って、チャリンコでマラソンコースまで戻って、強風の中、写真を撮りました。僕が観た今日のひかりはこれです。毎日、違うのです。僕はこれを目指して走り続けます。生きている限り。揺るぎのない、おわらない愛とともに。今年もどうぞ、よろしく。

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by 山口 洋  
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