大晦日

2005/12/31, 18:03 | 固定リンク

12月31日 土曜日 晴れ 

 この時期に東京に居るのは何年振りだろう?ひょっとすると初めてかもしれん。記憶が正しければ、阿蘇か福岡かアイルランドかニューヨークかロンドンか、その何処かに居た。ツアーが終わって、ゴミ溜めと化していた仕事場を、明日からでも仕事が出来るように片付けた。来年は戌年だそうなんで、うちの犬を洗ってやりたかったが、その気力は残っていなかった。すまん。
 今年一年の声援に感謝します。心からありがとう。見知らぬ大海原に船出する気分で正月を迎えます。幾つになっても、音楽に夢中で居れることを幸福に思っています。来年がみなさんにとって素晴らしい年となりますように。多謝&再見。

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by 山口 洋  

ストーンズ考

2005/12/30, 22:28 | 固定リンク

12月30日 金曜日 曇り 

 ストーンズが来るとな。俺の個人的ロックヒーロー、チャーリー・ワッツが叩いているのを観ることが出来るのはもう最後かもしれない、とか思う。でも、チケットの値段を知って、気持ちが萎えた。18000円也。この金額が払えない訳じゃない。でも、ロックンロール・ミュージックなんて、もっとカジュアルなものじゃなかったんだろうか?俺がストーンズに衝撃を受けたのが多分13歳、1975年か6年。今、俺がその年齢だったら、多分チケットを買えない。人生を変えてくれた恩義に対して、この値段は確かに高くない。オールドファンが懐古するのも自由。でも、次のジェネレーションに繋いでいくことを考えたら、この値段はねーだろう、と俺は思う。勝手なファン心理だけど、同じ東京ドームでも、ローリング・ストーンズはマイケル・ジャクソンとは違ってて欲しい。派手なセットとか、ステージ脇から出てくる沢山の踊り子とか、個人的には求めていない。渋谷公会堂なんてところで、5人でやってくれれば(「Love you live」のエルモカンボ・サイドみたいな演奏を)、俺は30万払ってでも行くな。何てことを書きながら、結局足を運んで、「Tumbling dice」のイントロで号泣したりするタダのファンに代わりはないのだけれど。んー、ファン心理ってものは複雑だ。
 

by 山口 洋  

餅つき

2005/12/29, 19:33 | 固定リンク

12月29日 木曜日 曇り 

 九州に帰るのを諦めたおかげで、伝説の「某家の年末餅つき大会」に参加させてもらった。沢山のミュージシャンや友人たちが某家に集って、餅をつくのだが、聞くと見るでは大違い。何を隠そう、俺、人生で初めての経験なんだよね。何だかね、「結ぶ」ことだとか「振り返る」ことだとか「来年に期待」することだとか「年忘れ」をすることだとか、「感謝」することだとか、エトセトラ。いろんなものがその中にはあったんだよね。それにしても某家の人々の働きっぷりは特筆に値するもので、仕込むのに一体どれだけの労力を費やしたんだろう、とかね。人を繋ぐって事はすごいことだよ。ちょっと感動。来年は餅をつける男を目指そうっと。ありがとうございました。
 

by 山口 洋  

残念無念

2005/12/28, 02:15 | 固定リンク

12月28日 水曜日 晴れ 

 今年はいろいろあったけど、俺なりに頑張ったから、自分への褒美に犬を連れて、正月は大好きな阿蘇で過ごそうと思っていた。けれど、いろんな事情が重なってそれも叶わず。しょうがないけど、ちょっと空しい。気分を切り替えて、この街でいろんな事を考えながら過ごすことにしよう。しゅん。
 

by 山口 洋  

walls and bridges

2005/12/27, 02:49 | 固定リンク

12月27日 火曜日 晴れ 

 夕方から入れ替わり立ち替わり、いろんな人間がやってきて、喋って、喋って、喋り倒した。珍しく、青い自分の夢も語った。悪くなかった。だって、こんな時代に「espoire-希望」を持たずにどうやって生きるんだい?人間は壁も作るし、橋も作る。ややこしいけど、愉快な生き物のはずだよ。見失ってはいけないものが、そこにはある、と俺は思うんだよ。

by 山口 洋  

42歳になる

2005/12/26, 23:21 | 固定リンク

12月26日 月曜日 晴れ 

 と云う訳で、またひとつ歳を重ねました。ギターを初めて握ったのが14歳のこの日。俺の誕生日に親友から教えてもらったのです。俺はその時、絵を描くことに夢中になっていて、礼と云っては何だけれど、奴に絵を教えました。その後、互いの才能は交錯して、俺はミュージシャンに、奴はオランダに行って、絵描きになりました。ウソみたいな本当の話。未だに互いの作品を観て、聞いて、会わなかった空白の時間の中にあるものを埋め合わせています。人生に「たら、れば」はないのかもしれないけれど、奴に会えたことをこの日が来るたびに感謝するのです。
 好きなミュージシャンの多くは若くして、この世を去ることが多かったから、まさか、自分が40を超えて生きてる、何てことを考えたことはなかったのです。でも、幸か、不幸か、俺は生き残った。でも、若かりし頃に想像した40代ってのと自分が今まさに経験してるそれの間には大きな開きがあって、結局何も分かってないじゃんっつーのが実感だったりするのです。でも、一方で、面倒なことは増えるばかりなんだけれど、音楽の素晴らしさ、深さってものはとんでもなく深遠なもので、生きてる限り可能性は無限大だってことを実感する日々でもあります。どこまで行けるのか、不明だけれど、そこに向かっていきたいって気持ちは今も昔も変わりません。
 昨日から今日にかけて。沢山のメッセージやプレゼント、本当にありがとう。ひとつひとつが心に響いてきます。本当にありがとう。
 夜、大好きな飲み屋で、いい夜を過ごしていました。そこに居合わせた人たちにまた祝ってもらいました。カウンターの上には「happy birthday」の横断幕があって、先日、その店で一緒に演奏した人々は寒い中、誕生ケーキならぬ誕生フルーツパフェにろうそくを灯したものを探しに行ってくれました。最後はベロベロになってたけど、キューバのバイオリンを演奏する女性に「happy birthday」を演奏してもらったような、、、。いや、照れたけど、嬉しかったです。ありがとう。
 来年初頭から、新しい音源の制作に入ります。メーカーのディレクターにそう云われたのではありません。自分たちで、そう決めたのです。頭の中には「ありがとう」の気持ちも含め、有象無象の風景があります。楽しみにしていて下さい。良いお年を。
多謝&再見。

by 山口 洋  

江古田の厄明け

2005/12/25, 23:16 | 固定リンク

12月25日 日曜日 寒い日 

 江古田でのライヴ、2日目。昨日、声をつぶしかけたけど、年内にもうライヴはない。こんな時は気分が楽でいい。会場に入ると、あの狭いステージに見事に機材が乗っていた。いつもながら、この手の仕事をさせるとうちのスタッフは天晴である。っつーか、最初からいくら何でももう少し余裕のある会場選べよな。
 今日はメンバー全員の演奏納めであった。それぞれにモーレツな日々だったのだ。特に今年後半の池畑さんのスケジュールは尋常じゃなかった。互いに悪路を乗り越えてきたし、じっくりと演奏を楽しもうじゃないか。でもお客さんはラッキーだったと思うよ。何故なら、表のスピーカーから出てたのは俺の生ギターと声のみで、後はバンドの生音を聞いてもらえた訳だから。普段あまり意識しないであろう、バンドの「ダイナミクス」ってのを存分に味わってもらえたんじゃないかと思う。
 ライヴの中盤。さ、そろそろエンジンかけて、あたらしい曲をやるぞって時に、ベースアンプが逝ってしまった。それは会場にあった新しいアンプだったんだけど、渡辺さんのベースっちゅー観念を超えた演奏にスピーカーが耐えられなかったらしい。さて、どうする?マネージャーがステージに上がって来て、「中断して下さい」と云った。はは、中断すか。急遽、機材車から渡辺某のアンプが運び込まれ、再開と相成った。
 今年もいろいろあったけど、とりあえず40の齢を超えても、バンドは前進できるってことは証明できたと思う。いろんな形で、応援してくれてありがとう。来年は邁進します。
 終演後、ささやかな忘年会@江古田。時計が12時を廻った頃、店の照明が消えて、ケーキが運ばれてきた。いやぁ、照れるけど、嬉しいもんです。ありがとう。みんなで例の歌を歌ってもらった後、池畑兄に「ヒロシも厄抜けたねぇ」と一言。俺は信心深くないけど、この3年は辛かったからね、嬉しかったよ。そこには友人たちとか、渋谷で某人のコンサートを終えて駆けつけた照明のKとか、コンちゃんとか、その他もろもろ。魚が居なかったのがちょっと残念だったけどね。HWニューアルバム・プロジェクトはせっかくだから、ドキュメントとして記録しておこうって話になって、旧知のOが映像に記録しています。そんな訳で、奴は宴の最中にも執拗にカメラを回しています。云うに事欠いて、「来年の今日が発売日なんですけど、何てバカなこと始めたんだって自分で思いません?」ちゅー質問をぶつけてくるのであった。だって、バカなんだから、始めたこと、バカだとは思わんよ。ははは。奴がくれた誕生日プレゼントはデジタルビデオテープ20本だった。「あのー、これで、曲書いてる時とか、何でもいいんで、記録しといて下さい」。はいはい。分かりました。そんな訳で、きっと来年の今頃にはアルバムに合わせて、かつてなかったドキュメントが完成してることでしょう。ワン。

by 山口 洋  

江古田にて

2005/12/24, 23:40 | 固定リンク

12月24日 土曜日 曇り 

 今年最後のライヴだしなー、久しぶりに一人でやるしなー、あれもやろう、これもやろう。俺にしては珍しく盛り上がって、前夜、プチ魚状態になって、あの曲やこの曲をコンピュータと一緒に演奏しようと、ファイルを作った。そだ、テクノも作ろう。気づいたら朝だった。ままよ。
 江古田って街に初めて行った。会場に入った瞬間、昨夜の努力が水の泡と化した事に気づいた。せ、狭い。あまりにも狭い。随分前、岡山の某小屋で「狭いにもほどがある」っちゅー名言を山川浩正が吐いたんだけど、それよりも狭い。あのー、云っとくけど、会場や、そこの人たちのせいではないです。それを知らなかった俺の詰めが甘いんす。今月、代官山のUNITってところで、見えるだの見えないだの、そんなライヴをやったばっかりだったんで、お客さんには快適な状況を提供したかったんす、俺は。だから、考えてたセットリストを全部チャラにして、ライヴを進めながら、曲を決めていくことにした。
 俺にとって、クリスマスってのは忌まわしい思い出しかないんだけれど、そんな日に沢山の人が足を運んでくれていた。ありがとう。最前列の人々があまりに近かったから、俺も照れたけど、君たちも照れたよね。いじってごめんよ。会場近くで会った妊婦さん、ちゃんと座れたかい?ま、こんな訳で滅多に歌わない曲も沢山やったから、「ヒロシの部屋@命名山口洋」はある意味でスペシャルなものになったとは思う。楽しんでくれたかい?ところで、明日、ここでバンドでやるんだよね?第一、楽器はステージに乗るのかよ?今年のバンド納めでもあるんだけど、どうなるのか、まるで予想がつきません。でも、こんなもん観れてラッキーっ、ちゅーところまではプロとして、何とかするからして、一年の鬱憤を晴らすもよし、騒ぐもよし、じっと聞き入るもよし、それぞれのスタイルで、楽しんで下さい。あ、座りたい人は早めに来てね。本当は全員に椅子を提供したいんだけど、それは絶対に無理だ。

by 山口 洋  

新しい音楽のあり方

2005/12/23, 23:55 | 固定リンク

12月23日 金曜日 晴れ 

 休日だと云うのに、働いているウチのスタッフから、午前6時にHWニューアルバム・プロジェクトの状況が送られてきました。ツアーの会場やネット、あるいは郵便振替を通して、理解や賛同してくれた人々が少なからず居ること、心から嬉しく思っています。本当にありがとう。そのおかげで、何とか来年初頭にワン・クール目のレコーディングに突入できるメドが立ちつつあります。アルバム完成までに、レコーディングを3つから4つのクールに分けて、いろんな可能性にチャレンジしたいと考えています。
 ヒートウェイヴには大まかに云って、二つの録音方法があります。1つ目は「熱いうちにせーのでパっと録る」方法。ロックンロールの醍醐味です。最近のもので云うと、ルースターズ・トリビュートの「do the boogie」はたった1回の演奏で録音されました。何かを足す必要を全く感じなかったので、あまりに長かったものを編集して、僕がミックスしました。そして、もうひとつは天才細海魚が得意とするところの、「一度録音したものを、寝かせて、熟考して、仕上げていく」方法です。それは食品で云うところの「発酵」に似ています。同じく、ルースターズ・トリビュートの「in deep grief」は1度か2度演奏したものが、すべて魚の脳味噌に委ねられ、阿蘇の山中と、東京の街の中で、彼の才能とコンピュータを駆使して仕上げられました。つまり、同じ演奏でも、全くテイストの違うものが出来る可能性がある訳です。今までのレコーディングでは、締め切りに圧迫され、クールを分けることが出来なかったため、それらの可能性を試してみることが出来ませんでした。今回アルバムの制作に約一年の期間を設けているのは、一連の作業の中から湧き出てくるいろんなものを、全て音楽にもう一度フィードバックして、アルバムの完成度を高めたいと云う理由からです。当然の事ながら、制作の過程で、生まれてくるものは一枚のアルバムには収まりきれないと思います。突然テクノをやってしまうかもしれないし、その反動で、あり得ないくらい静かなものが生まれてくるかもしれません。ですから、どういった形でかは不明ですが(おそらくマキシ・シングルや配信のような形になると思いますが)、アルバムがひとつの作品として完成していくまでの過程を、音楽の可能性の広さをそのクールごとにみなさんに届けられたら、と考えています。我々が一番大切にしたいと考えていることは、音楽に対して「honest」であることです。なにぶん、初めての試みなので、暗中模索な部分も多々あります。我々はようやく第一歩を踏み出したに過ぎません。引き続き、多くの方の賛同をお待ちしています。
 そんな意味で、丸山茂雄さんがおそらく私財で設立したmF247のようなネット上の新しいメディアに注目しています。いい加減なことは書けないので、詳細は以下のURLに直接アクセスして欲しいのですが、ここでは審査(全ての音楽に門戸を開くと云っても、ある程度のクオリティーは必要だと思います)を通過した音源を無料でダウンロードすることが出来ます。ジャンルも何も、垣根がありません。我々の世代はラジオで育ちました。レコードを買う金に窮していたので、ラジオから流れてくるものを録音して、擦り切れるまで聴いて、そしてどうしても欲しくなったものを、寂しい懐から身銭を切って買っていました。アルバム全曲、フルコーラス流れることもありました。DJが音楽にのっかって喋る、あるいは曲の途中でCMへ、なんてことも稀でした。音楽への愛情が確実にそこにはあったのです。それは結果的にレコード会社にとっても、もっとも効果的かつ、「honest」なプロモーションだったと思っています。実のところ、丸山さんは僕らがEpic Sonyと契約した際の長でした。彼は「お前たちは5年間好きにやれ」と云いました。その言葉通り、僕らは5年間、好きにやらせてもらいました。その後、我々はポリドールに移籍し、氏のその後の動向も詳しくは知りません。ただ、彼がこの業界に於いて、素晴らしく頭の回転が早く、何よりも「honest」な人物であることは間違いありません。ラジオが僕らにとって、その役目を終えつつある今、このような「honest」なメディアと積極的に関わっていけたら、と思っています。また、このような動きはミュージシャンである我々にとっても「励み」と呼ぶにふさわしいものです。

https://www.mf247.jp/view/index.php

by 山口 洋  

人に歴史あり

2005/12/22, 23:49 | 固定リンク

12月22日 木曜日 曇り 

 うちのスタッフ=チビがヒートウェイヴのデビュー以来のプロモーションビデオをまとめておいてくれた。俺の性癖として、過去にやらかしたことは反省しないので、音楽はともかく、苦手な映像(昨日、斉藤君とPVの撮影の辛さについて語り合った)なんて振り返ったこともなかった。しかし、ここまで活動が長くなってくると、何だか他人事のように客観的に観れたりする。あ、あり得ねぇっちゅー映像もあるし、こりゃねぇだろう、と思うものも多々あるが、時間軸の流れと共にまとめられたその映像たちは、それはそれで歩いて来た道はそんなに間違ってはいなかったってことを同時に教えてくれたりもする。とにも、かくにも。懲りずに前を向いている我々に、来年は期待して下さい。きっと山あり、谷ありだけど、自分の好きな事に邁進できることを心から嬉しく思います。
 今年、最後のライヴは江古田に出来た小屋のオープニングイベントだそうです。急に来た話だったんだけど、まだ演奏し足りない気分なので、いっちょやったるか、と。あまり大きくない小屋だそうなんで、人数の制限があります。ツアーとは違って、ウチの居間に遊びに来たっちゅー感覚で楽しんで下さい。初日は俺ひとり、二日目はトリオっす(魚ちゃんは忙しくて、お休みです)。

by 山口 洋  

respectable

2005/12/21, 16:07 | 固定リンク

12月21日 水曜日 晴れ 

 愉しかった。
 リキッド・ルームでThe Roostersのトリビュ−ト・ライヴ。俺は出演する人たちがみんなルースターズの曲を演奏するものと思い込んでいたが、ステージ脇に貼ってある出演者のセット・リストをみたら、全然そうじゃないことを発見。でも、時既に遅し。何と云っても、ウチはトリビュートされる側のお方がドラムを叩いていらっしゃるのである。「そりゃ、反則やろ!」と云われても、仕方ないじゃん。楽屋にはもの凄い数のミュージシャンがひしめいていて、ガキの頃から大好きなルースターズの音楽を中心として、勝手に盛り上がってる姿が美しかった。いいイベントだったよ。ありがとう。市川某が加入したロックンロール・ジプシーズを間近で観させてもらったけど、「凄み」のある演奏だった。
 終演後、大好きなキセルの辻村君を某コメに紹介してもらって(き、緊張したぜ、ファンだから)、斉藤和義君とロバート・クワインの話をして、さんざ飲んで夜は更けていった。何にしろ、ミュージシャンと云う人たちは愛すべき人種だった。ブラボー。

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by 山口 洋  

2005/12/20, 23:56 | 固定リンク

12月20日 火曜日 晴れ 

 夕刻。新宿にて「SWITCH」の取材。話のテーマが「道」あるいは「路」、はたまた「未知」についてのものだったので、楽しかった。呼んでくれて、ありがとう。人と会話することによって再確認できるものがある。「道」は大げさに云えば、自分の人生のテーマでもあるわけで。カメラマン氏の撮影の方法も、俺には斬新なものだった。願わくば、俺が撮影してる氏を撮影したかった。
 夜、事務所でその長と久しぶりに話した。彼はとても頭の回転が早い人物で、いつも会話はすぐに終わる。自分の興味のある方向に、誰よりも突進するって意味ではミュージシャンよりもアーティスティックな人でもある。俺が今までマネージメントに求めていたのは、音楽やそれにまつわるもろもろの事には全力を尽くすし、責任を持ってそれらをまっとうするけれど、音楽をどうやって人に広めていくのかって分野に於いて、まるで才能がないので、助言、助力して欲しいって事だった。でも彼との会話の中で、この時代、その部分も含めて、責任を持って自分たちでやり抜くことでしかないって事が理解できたからして、目の前のモヤモヤしてたものが晴れてすっきりした。今までだって、責任を回避してたとは思わない。ただ、自分の中にはややこしい共同幻想のようなものがあって(21世紀のヒッピー的なやり方を模索してた)、強力なエゴがある割には、全員の意見をまんべんなく聞いて、目標を設定してたようなところがあった。それが結果的にバンドを混乱に導いていたのも事実。強力なリーダーシップを持つ人間になりたいと、ツユ思わないけれど、俺は違った意味で「男41にして立とう」と思う。それが結果的にバンドの音楽を素晴らしいものにするだろう。何処に辿り着くのか不明な「道」の中途に居ることを、一生楽しんでいたいと、俺は思う。ありがとう。take it easy!

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by 山口 洋  

穴子の紋次郎

2005/12/19, 22:25 | 固定リンク

12月19日 月曜日 晴れ 

 厳寒の日のためにとっておいた禁断のダウンジャケットを着てしまった。軽くて、アンビリーバブルに暖かいやつだ。嗚呼、堕落が始まる。この稼業には多少のやせ我慢が必要だ。だから、うちにはコタツがない。奴は危険だ。足を入れたら最後。二度とそれがない生活には戻れない。
 ダウンジャケットを着て、試験場で免許の更新をした。あの場所に行くと、一刻も早く脱出したくなるのはどうしてだろう?優良ドライバーになったことがない俺が見せられたのは「悲しみは消えない」っちゅー啓蒙ビデオだった。か、哀しい。救いもギャグもまるでない。まるで穴子のような顔をした写真入りの新しい免許証をもらって、外に出たら、木枯らしが吹いていた。紋次郎になるのは避けたかったから、フードで頭を覆った。本物の穴子にまた一歩近づいた。哀しかった。

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by 山口 洋  

this is the sea

2005/12/18, 23:33 | 固定リンク

12月18日 日曜日 晴れ 

 美味しいものと睡眠。すっかり元気を取り戻した。そうだ、海も見ておこう。砂紋、波紋、風紋、心の紋。飽きずにずっと眺めていた。幸福だった。

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by 山口 洋  

エスケイプ

2005/12/17, 23:25 | 固定リンク

12月17日 土曜日 晴れ 

 実りあるツアーだった。いろいろあったけど、素晴らしい体験をした。ありがとう、といろんな人々に心から云いたかった。でも、疲れていた。頭から一度音楽を追い出したかった。だから、某所にエスケイプした。電話の電源を切った。コンピュータは開かなかった。
 grave yardに行った。いろんな人の歴史と人生を思った。風が吹いていた。それは冬のものだった。美味しいものを求めて、彷徨った。2軒ののれんをくぐった。抜群に美味かった。魚ちゃんじゃないけど、癒された。魂のこもってるものは、それが何処の国のものであれ、美味かった。港にある古いバーに行った。長い間、地元の人々に愛されてる素晴らしいバーだった。静かに飲んだ。眼鏡を外した。カウンターには猫が居た。古いジュークボックスにシングルレコードが入っていた。100円で4曲かけた。フランク・シナトラといしだあゆみの声が店に響いた。悪くなかった。死んだように寝た。幸福だった。

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by 山口 洋  

ゴマ鯖ロック - ツアー最終日、福岡にて

2005/12/16, 23:07 | 固定リンク

12月16日 金曜日 晴れ 

 ツアー、最終日。昼の新幹線で岡山から福岡に移動。運良く父親の命日に重なったので、リハーサル前に墓参りに行った。ピースフルな時間だった。
 観客にとって、我々にとって、素晴らしい音楽を奏でるために。ここまでやってきた。当たり前だけれど、演奏する曲は会場によって変えた。ステージの上でも変えた。改善するべきところがあれば、その都度話し合って、たまに口角泡を飛ばして変えてきた。PA上で長年どうしても解決できない問題があった。それは俺が一般的ではない音の好みを持っていることに由来するため(簡単に書くと、俺はメンバーの生の音が好きで、自分の声も含めて、モニタースピーカーから返ってくる音が嫌いなのだ)で、随分とスタッフたちを困らせてきた。で、スタッフの意見を取り入れて、違う方法でやってみることにした。するとメンバー全ての音が些細な部分に到るまで、全て聞こえた。当たり前の事だけれど、俺はステージで前を向いて演奏している。だから視覚でメンバーのダイナミクスを捉えることが出来ない。耳から入ってくる音が彼等の今の状態を理解する全てなのだ。いや、素晴らしかった。心底、演奏することが楽しかった。絶妙なパスの交換が、イメージの共有ができた。おそらくこの曲のあのあたりで、こんなミラクルなパスが飛んでくるに違いない。だから、俺はそこに飛び出しておこう。そんな事が音による情報だけで可能な空間だった。後から観客に聞いたところによると、表のヴォーカルやバンドの音が小さかったっちゅー話だ。でも、残念な事に、俺たちは一生、表の音を聴くことが出来ない。そして音楽に「正解」ってものは存在しない。だから、俺たちは骨を砕いて努力している音響チームを信頼しているし、メンバーも含めて、終着駅は存在しない旅路の中にいつまでも身を置いていたいと思う。いつまでも前に向かって、いい音楽を追求していきたい。
 このツアーは肉体的にしんどかったけれど、ひとつの地点に到達した。その手応えがある。忙しい中、足を運んでくれて本当にありがとう。楽しんでくれたかい?

 ところで、今日のもうひとつのハイライト。魚はヒートウェイヴに関わってもう13年くらいになる。でも、終演後、いつも同じ友人の店に行くので、それ以外の名物を喰ったことがなかった。例えば「ゴマ鯖」。その話を某氏にしたら、「オマエ、いくら何でも魚にゴマ鯖くらい喰わしてやりやい」。だから、イベンターYの計らいで、それを喰いに行った。いやぁ、いい演奏をした後のゴマ鯖は美味かった。本当に美味かった。魚が「美味しいものって癒されるねぇ」と云うので、今日はその記念すべき写真を無断でアップしておきます。本当は「それって、ちょっと共食い?」と思ってたんだけどね。

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by 山口 洋  

岡山にて

2005/12/15, 22:04 | 固定リンク

12月15日 木曜日 もう完全に冬 

 朝早くの新幹線に乗る。トリオ・ザ・ヒートウェイヴ。最終日。岡山にて。トリオ・シリーズは限りなく少ない楽器でライヴをやっている。リズム隊の皆さんはその会場にある楽器で、自分の音を出すことをおもしろがっている模様。なので、俺もそれを真似て、久しぶりにテレキャスターをソフトケースに入れて自分で運んだ。
 岡山にツアーで来るようになったのは昔から応援してくれる連中が居るからだ。そんな土地は大事にしておきたい。しかし岡山は寒かった。おまけに空気もひどく乾燥していた。おそらく湿度は10%を切っていたと思う。極度に乾燥すると、音は伸びない。こればかりは仕方ない。誰のせいでもない。顔に似合わず繊細な演奏を我々は目指しているのだが、今日は開き直って力技に切り替えた。ちょっと強引だったかもしれん。でもバンドにはいろんな顔がある。前回は憎きノロ・ウイルスの影響。今回はパワー・プレイ。次回は願わくば、繊細な演奏をしたいと思う。思ったように事が運ばないのが「生」のバンドの面白いところだが、爆音で耳が痛かったであろう人も、そんな風に音楽を楽しんでくれると嬉しい。何にせよ、いつもありがとう。また戻ってきます。
 友人の子供がとっても大きくなっていたり、新しい命が宿っていたり。変わらずアホなのは俺だけなのであった。ワン。

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by 山口 洋  

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2005/12/14, 22:00 | 固定リンク

12月14日 水曜日 天候失念 

 寄る年波には勝てず。疲労蓄積。ソファーの上の住人。留守の間、犬猫病院に預けられる犬と一緒にゆっくり時間を過ごす。夕刻、早めの散歩と勘違いした奴がちぎれんばかりに尻尾を振っている。す、すまん。違うのだ。お前は預けられるのだ。奴が俺を見上げてこう云った。「い、いつもの道と違うよ」。直視できなかった。残念ながらお前をツアーに帯同させる訳にはいかんのだ。許してくれ。

by 山口 洋  

ラジオの最終回

2005/12/13, 23:30 | 固定リンク

12月13日 火曜日 とても寒い日 

 夜。都内某スタジオ。9年あまり続いていたラジオの最終回。スタッフが膨大な過去の放送の中から、ハイライトシーンを抜粋しておいてくれた。いや、面白かった。ラジオで無理にしゃべろうとすると、ロクな事がないので、かなりちゃらんぽらんに肩の力を抜いてやってはいたが、我々は音楽に誠実だったんだってことを改めて実感した。俺たちはラジオで育った。番組の中でも話したけれど、シリア・ポールさんの番組でストーンズの「hot stuff」を聞かなかったら、俺は今ここに居なかったかもしれない。若い頃はレコードを買う金がなかった。だから、FMの番組表を穴が空くほど眺めて、乏しい金でカセットを買って、それを録音した。おそらく月に一枚買うのがやっとだったアルバムは、そうやって厳選に厳選を重ねたものだった。それらは俺の血や肉になった。あの頃聞いたアルバムはすべて細部に渡るまで、そのレコードに入っている傷の場所まで覚えてる。当時のラジオのDJは音楽にのっかって喋るなんて、失礼なことはしなかった。どうかすると、アルバム全曲がフルサイズで流れていた。そして、どうしようもなく好きになったアルバムは後に自分の金で買った。いわば、それはリスナーを信用する最大のプロモーションだったように思う。グレイトフル・デッドがファンにコンサートの録音を許したように。音楽への愛がそこにはあったと思う。
 手前味噌で恐縮だけれど、我々がいつも忘れずにいたことは、今や奇妙な縁で「送り手」となったからには、俺とシリア・ポールさんの出会いのように、我々がかけた音楽にガツンと来る若者が居るかもしれない。だから、誠実じゃなきゃ、いけない。でもそのような番組がこの時代で生き残るのは難しい。この番組はほぼボランティア状態で作られていた。ただ、やって来たことは無駄ではなかったと思う。膨大なアーカイブスもある。何処かで誰かが聞いていてくれたっつー実感もある。だから、一度撤退して、時代にすり合わせた上で、もう一度やり直せばいいだけだけの事なのだ。最後に、こんな面倒臭い俺のわがままに「誠実に」付き合ってくれたスタッフと、リスナーのみなさんに心から礼を云います。ありがとう。ラジオってメディアは大好きなんで、またいつの日か戻ってまいります。多謝&再見。

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by 山口 洋  

ハエとイカの考察

2005/12/12, 23:07 | 固定リンク

12月12日 月曜日 天候失念 

 深夜、ひょんな事から呼び出されて、俺のオアシスと化している店で、ナショナル・ジオグラフィックのDVDを観ながら、ハエと巨大イカについて考察すると云う時間を持った。このドキュメント、とんでもない傑作である。ハエと巨大イカは俺にないものを全部持っている。詳しくここで語らないのは、かなり飲んでいたため、正確な内容を書く自信がないからである。音楽が宇宙であるように、ハエと巨大イカが醸し出すものは充分に宇宙なのであった。

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by 山口 洋  

quiet anger

2005/12/11, 23:13 | 固定リンク

12月11日 日曜日 雪 

 金沢から雪の中を抜けて、東京に戻った。肉体的にはしんどかったけど、実りのある旅だった。関わってくれた多くの人に、この場を借りて礼を云います。本当にありがとう。
 来年、まだ寒い頃に、俺は出来るだけ小さな街を廻ろうと思ってる。もう一度この国をちゃんと見つめてみようと思ってる。最近のこの国は何だか致命的におかしい。でも、素晴らしいものだって絶対にあるはずだから。
 そう思ったきっかけは、独力でツアーを続けるガッツのあるミュージシャン達の行動だった。例えば、花田さんだったり、リクオだったり。バンドで新しい音楽を届ける前に、俺は一人で新しい曲たちを磨いてみたかった。ならば、行けばいいじゃないか。ギター一本ありゃ、何でもできるんだし。俺にはノウハウがあまりなかったから、リクオに勝手なメールを書いた。「日本中のライヴが出来そうなところ、教えてくんない?どんな小さな街でもいいんだ」そしたら、奴はコメント入りで、北海道から沖縄まで、長年かけて自分が足と努力で稼いだ情報をすべて俺に教えてくれたのだった。俺はちょっと感激した。奴の人間性とミュージシャンシップに。ありがとう、リクオ。
 夜、配達証明付きの郵便が届いた。それはソニーからのものだった。俺は9月にソニーの法務に出向いた。ネット配信に関して、おかしいと思うことを、おかしいと云いに行った。人の助けも借りて。それに対する返答。何も進展もなかった。ソニーさん、あなた方の考えは良く分かりました。我々は不要な争いは好みません。強いて言葉にするなら、友人が教えてくれたのですが「quiet anger」と云う気持ちです。我々が暮らしているのは自由の国のはずです。だから、自分が思うことを冷静に発言し続けていくだけです。
 我々に出来ること。アルバムを作るための自分たちなりの方法。それにチャレンジしていくことだと思います。音楽を続けていく上で、一番大切な事は何なのか?それを見失わないことだと思います。そして、40の齢を過ぎても、多くの可能性を秘めているこのバンドを続けていくこと、多くの人に届けること、それを楽しむこと。願わくば、それを聞いてくれた人々がハッピーになってくれること。そこに向かっていきたいと思います。

これは僕が2年前に書いた歌詞の一節です。
気持ちは今も変わりません。

求めているのは答えじゃない
動かしてるのはもう怒りじゃない
流してるのは涙じゃない
探してるのは言葉じゃないのさ

We are still burning!

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by 山口 洋  

金沢にて

2005/12/10, 22:33 | 固定リンク

12月10日 土曜日 ちょっと雪 

 昼過ぎに会場入りして、驚いた。せ、狭い。熊野と云う愛すべきアホが頑張ってる店、俺は何度も来たことがあるけど、こんなに狭かったっけ?それにこんなにお客さん入れて大丈夫なわけ?でも、俺はこの店が好きなのだった。市場の入り口にその店はあるのだけれど、もう失われつつある「市場」ってものが厳然として、そこには残ってる。歩いてると、「兄さん、カニどう?カニ?」みたいな。ぶふふ、素晴らしい。俺たちは昨夜、すっかり自信をつけてしまったので、リハもそこそこに、本番を待った。
 ステージに上がって、まずは熱気に驚いた。よくもまぁ、これだけの人を収容したもんだ。そう云えば、熊野が自信満々に語ってたっけ。「余裕っすよ、余裕」。俺の目には「余裕」には見えなかったが、例えば、PAマンに音の事を伝達しようにも人ごみで不能。そんな時は天井にへばりついてライヴを観てるお客さんが、PAマンにその注文を伝えてくれる。そんなあり得ない伝統がこの店にはあるのだった。今日においては、PAから出てる音は俺の声と生ギターのみ。後はバンドの生音なのだ。いやぁ、燃えるねぇ。バンドの力量が試されるっつーか。前回の金沢のライヴはメンバーの4分の3が憎きノロ・ウイルスにやられていて、俺なんぞ、ライヴ後、即入院の憂き目に遭った。ここでゴキゲンな演奏をしなきゃ、金沢のお客さんに申し訳ないじゃん。
 ってな訳で、心底楽しかったよ。ありがとう、金沢。みんないい顔してた。君たちは「新しい可能性」について教えてくれました。本当に大事な事は何なのか?それを今更ながらに知った気がしています。俺は朝5時までかけて、2ステージ目に突入した。池畑兄は朝イチの飛行機で東京に戻ってライヴなのだ。す、すごすぎる。で、朝まで俺と騒いだ挙げ句、兄を空港まで送っていく熊野も大したもんだ。
 音楽は人が奏でるものだと思う。それを愛するのも人。要するに人そのものなんである。ありがとう。新しいアルバムにも沢山の人が賛同してくれつつあります。ありがとう。いろんな人からもらったエナジーを新しいアルバムの中に込めます。近いうち、またやって来るからね。元気で。再見。

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by 山口 洋  

名古屋にて

2005/12/09, 22:04 | 固定リンク

12月9日 金曜日 天候失念 

 いやぁ、ハードな旅だった。デビューした頃の無鉄砲なツアーを久しぶりにやった感じだ。思い返せば、俺も渡辺某も、良くもまぁ、あんな無茶な事をして、今まで生きてるもんだと思うのだが、ひっさしぶりぶりにそれに近い感触があった。って、俺がこれを書いてんのは12月11日。書き留めておかないと、忘れそうだよ、もう。
 12月9日。朝8時、渋谷で車に乗り込んだ。朝8時集合ってのはミュージシャンには「死」を意味する。つまりほぼ寝ていないっつーことだ。昼頃、名古屋に着いた。このトリオのツアーはまったくリハーサルをしていなかった。最近のバンドの音は魚の役割がとても大きい。それなのに、彼が居ないってのは、「足をもがれたバッタ」になる可能性があるってことだ。ひえーっ。おまけにこのシリーズは限りなく少ない機材でどこまで演奏できるかってこともテーマのひとつなのであった。別にマゾじゃないけど、もしそれが可能なら、どんな小さい街だって、バンドで行けるってことじゃないすか。そうあなたが住んでる街に。PAなんてなくても。政令指定都市しか廻ることができないツアー、とか、ずっとおかしいと思ってきた。音楽ファンは都会にだけ居る訳じゃないのに。俺はルースターズを自分の住んでる街で確か500円で観た時に、確かに何かが変わったのだから。
 俺は車の中で考えた。このトリオならありものの機材でも、すげーロッキンな演奏をするだろう、と。しかし、会場でちょっと音を出しただけで、その方向が間違っていることに気づいた。だから、小さい音で、全員の調和とダイナミクスを大事にする演奏に切り替えた。ない音はないのだ。ならば観客にそれを想像してもらえばいい。押してもダメなら引くのだ。俺たちは全員リハ嫌いなのに、会場で思いっきり練習した。未だかつて、あんなに真面目に当日リハーサルをやったことがないっちゅーくらい。しかし、池畑兄はさすがに歴戦の強者だった。会場のタイコをチューニングしていくうちに、だんだん彼の音になってくるのだ。すげぇ。
 で、本番になった。何だよ、ぜんぜん問題ないじゃん。サッカーで云うと、スペースが沢山あるから、どこにでもパスを出せる。イメージを共有してれば、ミラクルなパスの連携ってものが出来る。久しぶりに自分がギタリストでもあったことを思い出した。適度な緊張感とフリースペース。魚が居るバンドとは違う音だ。そして、魚と俺が二人でやる時はまた違うバンドになる。4人でやればもっとゴージャズになる。素晴らしいじゃん。うーん。燃えたよ。ミュージシャンとして。ちょっと大変だったけど、俺たちは新しい可能性を発見した。嬉しかった。結局、コンサートの終わり頃には轟音暴走バンドと化していた。うん。それでいいのだ。
 昔から世話になってる小屋だ。みんな暖かくもてなしてくれてありがとう。それから仕事を休んで、あるいは遠隔地で、俺たちのために力を尽くしてくれた人たちにも礼を云います。そしてもちろん足を運んでくれた人たち。ありがとう。俺たちに出来る事はいい音楽を作り、それを演奏し続けることだと思ってます。愛を込めて。
 名古屋を出た時はもう午前0時を廻っていた。そして雪が降ってきた。無茶な行程だった。金沢に着いたのは午前5時。死んだように寝た。そうそう、車内で魚に連絡して、彼の偉大さをあらためて知った
ことを報告したことを付け加えておこう。


 

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by 山口 洋  

死体

2005/12/08, 20:57 | 固定リンク

12月8日 木曜日 天候不明 

 どうにもこうにも身体が動かず。ソファーの上の屍。明日はトリオでライヴなんである。どこがどうなんのか、やる俺にも分からんのである。こ、怖い。魚がモーレツに忙しかったんで、「中りす」に引き続いて、トリオでもやってみようっつーっ試みなんである。出来るだけスタッフや楽器も減らして、あるもんでやってやってみるっつージャズ的発想なんである。そうすればいろんな街に行けるしね。ヒートウェイヴ本体が動くのは意外に大変なのだ。うぞーむぞーな楽器の数。引っ越しかい?と毎度思う。でも、こ、怖い。あのー、一発目てのはいろんな事が起こるから、観に行こうかどうか迷ってる人は決して見逃さないように。

by 山口 洋  

客人来たりて

2005/12/07, 20:46 | 固定リンク

12月7日 水曜日 天候失念 

 カナダから客人来たる。だから、しょっちゅう俺が「哀しみの河」を崩壊させている、とんでもなく居心地の良い飲み屋に行った。この店には看板も品書きも何もない。都会のオアシスなのだ。客人の息子は3歳なのだが、まるで天使のようだった。奴に「hiroshi, I love you」と云われて照れてる俺は何なんだ。奴と空手とか、スパイダーマンごっこを決めた後、店にある打楽器でセッションが始まった。古いアルテックのスピーカーから爆音でブラジルの音楽が流れてくる。初対面の電通マン氏は俺よりリズム感が良かった。だから、負けじと俺もスティックで椅子を叩きまくった。先日のライヴで喉を痛めてたから、叫ばずに音楽をやるのは難しかったけど、楽しかった。さんざん演奏した後はみんなが知り合いになってた。うーん、変な店だ。おまけに店主は金を取ろうとしないので、カウンターに金を置いて逃げようとしたら、お客さんが皿を洗っていた。店主は完全に出来上がっていた。うーん、謎は深まる。

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by 山口 洋  

歌を書く

2005/12/06, 21:16 | 固定リンク

12月6日 火曜日 天候失念 

 某所で素晴らしい詩をみつけた。あんまり心を動かされたんで、書いた本人に譲ってもらった。読んでたら、風景が見えてきた。きっと今までに書いたことのないような曲になるだろう。嬉しかった。

by 山口 洋  

東京にて

2005/12/05, 23:35 | 固定リンク

12月5日 月曜日 曇り 

 12月の月曜日。忙しい日々の中、多くの人々が足を運んでくれて、ありがとう。楽しんでくれたかい?その上で、いくつかの問題があったことをプロとして、ここでお詫びしたいと思います。
 まずは快適にライヴを楽しめる状況を提供できたかと云うこと。俺は目が細いけど、実のところライヴの時はコンタクトを付けて、客席に居る人々の表情を見つめています。楽しそうに身体を揺らしていた人、中空に浮かんだ音楽の風景を目を閉じて見つめていた人、エトセトラ。それぞれのやり方で音楽を楽しんでいる人々が沢山居ました。けれど、同時に「うーん、人垣や柱で殆ど見えないんだろうなぁ」と云う人々も多く居ました。昨日は空気が異様に乾燥していたこともあり、会場の音響も含めて、それがコンフォータブルだったか、と云う疑問があります。僕らにとっても、異様に演奏することに力が必要な会場でした。そのあたり、今一度、会場を選ぶ際に見つめ直してみます。
 それから終演後に聞いたんだけれど、DVDがほぼ開演前に売り切れていたらしいこと。す、すまん。楽しみにしてくれていた人に、お詫びします。今後の会場では、そんな事がないようにします。
 最後にwebで募集してるリクエストに関して。俺がツマらんギャグを飛ばしたのが悪いんだけど、実のところ、リクエストはセットリストに反映されてる。新しい曲と、以前の曲のバランスを取るのに、多いに役立ててるよ。ありがとう。

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by 山口 洋  

師走の街

2005/12/04, 22:44 | 固定リンク

12月4日 日曜日 とても寒い日 

 師走の街を車で走った。そこらじゅう電飾がピカピカしていて、寒風の中、人々は浮かれていて、訳もなく怖かった。

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by 山口 洋  

music

2005/12/03, 23:29 | 固定リンク

12月3日 土曜日 晴れ music

 街を歩いている。音楽が流れてくる。時にそれは暴力だったりするけれど、耳を傾けてみる。そこには良かれ悪かれ、その人が全て宿っている。醜かったり、矮小だったり、格好つけすぎてたり、まれに崇高な魂の持ち主だったり、悩んでいたり、無理していたり、まれにとんでもなく突き抜けていたり、エトセトラ。だから、素晴らしいけど、恐ろしいとも思う。ウソはつけない。でも、昨日ディランの映画を観ていて、honestは素晴らしいことだけど、ちょっとくらいミステリアスな方がいいと思った。訳分かんないくらいが、妙に訳分かった気になって、丁度いい。
 ウォーレン・ジヴォンを聞いていた。このお方、俺のヒーローである。でも、反応する人はあまり多くない。でも、劇的に反応した人が居た。その人はウォーレン某と全く逆の生き方をしてる人だった。繋がってるのは、アウトサイダーの陰に隠れたhonestな部分だったりする。だから、人間は面白い。

by 山口 洋  

no direction home

2005/12/02, 16:58 | 固定リンク

12月2日 金曜日 曇り 

 マーティン・スコセッシによるディランのドキュメント、「No direction home」を友人の厚意で観せてもらった。約3時間半。圧巻。どこにも辿り着かないと云う意味で、制作者の主観が入っていたとしても、究極のドキュメントだった。どこにも属さず、どこにも辿り着かず、安住を好まず、妙に勇敢で、妙に嫉妬深くて、名声を好みながら、どこか好まず、過去を創造(捏造ではなく)し、未来を予見し、答えはあるようでなく、ノスタルジアは一切排除され、人間なのか超人なのか不明で、つかみどころがなく、そのくせ、歌われたフレーズは時空を超えて有効で、その瞳は未だ深い光を放っている。ミステリアス=ボブ・ディランと云う男は想像を遥かに超える男で、理解の範疇を超えている。と云うか、他人の理解をおそらく求めてはいなかった。ただ、ただ表現者としての「凄み」を受け取った。
 この作品は彼が故郷ミネソタを出てNYに辿り着き、デビューを果たし、エレクトリック・ギタに持ち替えて、フォークファンのブーイングを浴び、バイク事故に遭って、ウッドストックに引きこもるまでの、わずか5年間ほどのドキュメントである。一人の田舎の青年が化けていくさま。俺がこの時代に生きていたとして、この男と友人になれたかどうかは疑問だ。彼には猛烈な孤独と向き合うだけの強さがある。ほぼ40年近く前のわずか4〜5年をこれだけ濃密に描ける事じたい、どうかしてると思うのだ。もちろんスコセッシの手腕も大したものだけれど、今の時代どころか、この作品、ボブ・ディランと云う男が問いかけているものは100年経っても揺るがないだろう。寒い12月にバケツ一杯の冷たい水を浴びたような作品だった。俺は背筋が伸びた気がする。ディラン・ファンならずとも、是非。「時代は変わる」けど、彼は「時代を超えて」るから。

正月ロードショー。
東京はイメージフォーラム、シアターN渋谷、吉祥寺バウスシアター等で公開。ミュージシャンが書いた自伝の中では、他の追随を許さない「ボブ・ディラン自伝」も合わせて是非。

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by 山口 洋  

complete unkown

2005/12/01, 16:25 | 固定リンク

12月1日 木曜日 曇り 

 ソング・ライターとしての日々を久しぶりに取り戻している。書くと格好良いけど、そんなに麗しいものでもなく。いろんな景色がグルングルンに頭の中をめぐる。想像しては破壊する。自分の軸がブレていると、思いっきり他人を巻き込んでしまったりして、自己嫌悪に陥る。こんな時は人に会うべきではない。公園に行く。とある三毛猫の凛々しさに心奪われる。しばし、観察し、会話する。彼は確かに「welcome back」と云った。「welcome back?」、「what do you mean?」壊れた英語で会話を続ける。家に帰ってピアノを弾く。ん?出来た。でも何処かでこのメロディーを聞いたことがある気もする。ままよ。このまま放置しておこう。通りで誰かが「月」について会話しているのを聞いた。頭の中に架空の月がぐるんぐるんに廻りだす。一瞬、俺は狂ってのか?と思ったが、いやそんなことはない、と思い直し、家にとって返して、何故か魚が随分前に俺にくれたデモの上に某嬢との書きかけの歌を歌ってみる。どうして、彼の曲の上に歌わなきゃいかんのか、自分でも分からん。でも、そうでなきゃいかん、ともう一人の俺が云う。出来上がったものは、遥かに可能性を感じるものだった。興奮するけど、ちょっと怖い。その月は欠けた上に汚れているのに、とてもきれいだ。こんな曲を書きたい、とか、書かなきゃいかん、とか、そんな想いに引っぱられて書いている訳じゃない。殆ど無意識に、出さないと頭がヘンになりそうだから出しているだけで。ひとつの断片が次の断片を呼び起こす。その流れに身を任せている。

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by 山口 洋  
- end -