5月26日 月曜日 曇り
寝ぼけているときに、思いつくことがたくさんある。それは走っているときに閃くものとはまったく種類が異なって、覚醒していない分だけ作為がまるでない。
ベッドの中でねぼけながら、ピーター・バラカンさんの番組を聴いていた。「うーん、あと5分だけ」みたいな。ふと、「再会の季節」って言葉が湧いてきて、それを書き留めたなら、同じ時刻、番組にリクエストのメールを送った人物はどうやら僕の古い友人のようだった。驚いた。彼がリクエストしたのはトム・ペティーで、実のところ僕はそんなに好きではないのだけれど、初めて彼の音楽がぐっと迫ってきた。
なんだかなー。
メールを書いても、返事がないので、電話をしたら、彼は入院していた。で、いろいろ話した。内容は野暮だから、書かない。僕はいつも偶然なんてないと思って生きているので、「じゃ、時間できたら、見舞いに行きますからね。お願いしますよ。人生のチャプター2」みたいな。笑。
ラジオは電波だけど、人の想いも電波みたいなもんじゃないのかなぁ。僕にはもう一生会えないであろう人物が数人居るけど、会うとか、会わないとか、会えないとか、そんなことはどうだっていい。いつだって会えるし、いつだって会えないんだよ。できることは、まっすぐ、限りなくまっすぐに歩いていくだけ。死んだら、おわり。だから、もう一回引用しとくね。
「執着のあるところに愛はなく、依存があるところには恐怖がある」。
すごい言葉だなぁ、とあらためて。
閑話休題。
魚さんにファイルを出荷したけど、連絡がない。僕は新しい曲に取りかかる。何を大事にすべきなのか、迷わないように、骨子をずっと考えている。こうやって5日が経過したけれど、まだ何ひとつ完成していない。(ネガティヴな意味じゃないっすよ)
明日から九州に戻ります。理由?それは明日お伝えできるか、と。明日のblogは福岡で音楽をやってた人は是非、読んでください。
執着も依存も捨てられたら楽でしょうね。自由。
それまで、傷つき、治しを繰返し太くなっていくのかな。
歳を重ねると勇気の種類が変わってきました。
人間の心にあるアンテナは思いや感情で感知するのだと思います。
違う次元を使って送受信出来ることが・・・。
洋さんは送受信可能なお方だと察します。
「人の想いは、電波見たいなもん」
同感です。お互いにつながった時はメールするより早いですもん。