5月2日 木曜日 晴れ
ポール・オースターに次いで、フジコ・ヘミングさんも召される。
ポール・オースターには特別な影響を受けました。頭蓋骨の裏のスクリーンにトラウマの映画が映し出されている感覚を共有(したことないけど)できるのは彼の文章だけでした。会ったこともないけれど、どこかでつながっている深い感覚もありました。あ、同じ文脈で語られることもあるこの国の某作家とはまるでレベルが違います。あくまでも僕の中では。はっきりと言っておきたいのは、有名かそうでないか、なんてことはマネージメントと名声欲の差でしかないこともあるのです。
こうも召されていくってことは、それが自然なことなのだと教えられている気がします。やがていつかは自分の番が来るのだから、それまで準備をしておくように、と。
国内の知り合いも、外国の師匠たちも、みんな病と共生して、自分の生をまっとうしようとフントーしているところです。たくさん教えられることはあります。だから、自堕落な暮らしはやめて、ひとつひとつのことをきちんと積み重ねようと思うのです。
持っている本やCD、聞き返すことがないのならば、すべて誰かにもらってもらおうと思います。売るのではなく。ポール・オースターの書いた文章も、フジコさんの無二の音色も、僕のこころの中に刺さったままなのです。ならば、もう保有していることに意味を感じないのです。
昨日、The WHOのプレイリストを作っていて思ったこと。これは少年山口洋の15〜17歳そのもの。極私的なんです。でも、順番に聴いていくと素晴らしい(我ながら)。パティー・スミスの「My Generation」を入れたのは、これもティーンの頃だったか。ベースがジョン・ケイルなんだけど、知的にぶっ壊れてる感じがとってもNYで、ロンドンとはまた違うんです。オレはNY的にぶっ壊れよう、そう思わせてくれたバージョン。ジョン・ケイルはジョン・エントウィッスルみたいには弾けません。でも、それがまたいい。
「HW SESSIONS」への2daysのリハーサル、無事終了しました。こうやってスタッフも含めて、一緒に仕事できるのはほんとに楽しい。それぞれが職能をフルに発揮してくれます。みんな、こんな時間が永遠に続かないことを知ってるんだと思います。
何度でも書くけど、このシリーズ。通常のツアーとはぜんぜん違います。
「HW SESSIONS」、読んで字のごとし。パッケージショーとは趣が180度違うものです。ソロツアーで育ててきた新しい曲に関してはなにが正解か不明なので、2テイク演奏したりすることもあり得ます。つまりミュージシャン同士での音の会話、音楽が育っていく様子、いろんなことが特殊効果皆無の中で、楽しめるってわけです。
明日の横浜はGWですが残席わずかにあるそうです。迷わず参加してくれたら嬉しいです。全員60歳を超えたHW、新しいアルバムへの第一歩をぜひ体験してくださいまし!
ついしん
明日の開場時のBGMは今、病と共生しているオレの師匠の音楽を流します。
先日、COUNT ME IN魂のリズムを観てきました。池畑さんがコメントされてましたよ。世界のドラマーが熱く語る。THE WHO のドラマーは計り知れないですね。でも、破壊するのは…。ジミ・ヘンもギター燃やしちゃうから、時代ですね。(笑)
フジコ・ヘミングさん。コロナ禍、ロックのライヴは50%の集客だった頃、クラッシックのホールコンサートは通常集客。地元のコンサートホールで観てきました。演奏、素晴らしかったです。ドキュメンタリーも観たりしました。今年の秋にはドキュメンタリー映画があるようです。
HEATWAVE のライヴは希少ですから、見逃せないです。明日、楽しみにしています。
山口さん、おはようございます。
P.オースター作品は、私も読みました。繊細に緻密に、何かが壊れていく音がしました。指の間からこぼれ落ちる砂時計の砂のように、何かが失われていきました。山口さんが彼から大きな影響を受けたというのが、わかる気がします。彼が関わった(脚本?)【スモーク】という映画もありましたよね。観ましたよ。
米国の作家でもうひとり、私が大きな影響を受けたのが、C.ブコウスキーです。音楽ではなく文学でパンクロックの精神を教えてくれたのは彼です。支えられました。
確かに、自分の魂に刻み込めば、作品を所有する意義はなくなるかもしれない。私も、終活とか見据えた時に、愛して止まないCDや書籍、手放さなきゃならんのかと、ふと思ったりするのですが、まだまだ無理です。HW(山口さん)作品手放すなんて考えられません。まだまだどころか、これは永遠に無理!