月別アーカイブ: 7月 2025

祝う

7月31日 木曜日 晴れ 音楽を1日離れて。 今日はめでたく還暦を迎えたミュージシャン3人(すべて女性、うちの奥さん含む)のお祝いをいつもの店で。 と書くと、ただご飯を食べに行ったみたいだけど、違います。 店主と入念に何度も打ち合わせをして、店を借り切って、わたすも店員になって(ええ、もちろんそんな格好で)給仕したり、料理を作ったり、花束贈呈したり、音楽選んだり、本気です。笑。だって、敢えて女性で、と書くけど、60歳まで現役のミュージシャンでいることって、なかなかのことですから。 みんな楽しんでくれて嬉しかったです。いつまでも元気でいてほしいです。 ————————————- おしながき(実物はわたすの手書き) 乾杯  ミスチルのケンちゃんから随分前にいただいたシュワシュワ。開けるなら今日だろ!笑。ケンちゃん、ありがとう!!! 先付け 嶺岡のもろこし豆腐 ホワイトショコラの冷静ポタージュ(うちの奥さん作) お造り 本鮪、鰹、鯒の昆布じめ、新子 小柴穴子白焼き 地蛸酢の物 鱧の天麩羅 鱧の子と冬瓜の沢煮 黒毛和牛A5たたきと松茸 夏野菜の冷製ケンミンビーフンカッペリーニ(ヒロシ作) —————————– お知らせです。 14歳の誕生日にわたすにギターを教えてくれた画家の向井三郎が、千葉の「夏庭」という素晴らしいギャラリーで個展を開きます。彼の絵を見てほしいのはもちろんですが、夏庭のロケーションが素晴らしいので、ドライブがてら、ぜひでかけてみてくださいまし。ゆっくりと時間が流れています。もちろん僕も行くつもりです。バイクの爆音であの悠久の時間を破壊したらごめんなさい。ちょっと前まで聖原司都子さんの作品が展示されてたんだけど、彼女の作品も夏庭にはとっても似合います。 親友とはいえ、数年に一度しか会わないんだけど、空白の時間は互いの作品が埋めてくれるんです。 みんなも、なかなかお年頃でしょ?絵を生活の中に取り入れるって、とってもいいですよ。うちにもいくつか向井の作品があって、一緒に時を重ねています。彼の絵は時間とともに「壁」になっていくんです。それが素晴らしい。 https://natuniwa.com ————————– 「1995」のアナログ盤完成しました。 30年経過して、自分たちの仕事に励まされるのはとっても嬉しいことです。ほんとうにありがとうございました。 まったく古くなってないのが、我ながらすごい、と思います。音がいい。大半はソニーにあった大好きなNeveのコンソールを使って作られています。アナログのマスターテープの音が素晴らしくて、ほぼそのままカッティングできるレベルだったのです。 当時のアナログのものはすべてが劣化していきます。磁性体の寿命が尽きるのです。なので、これで最後だと思います。でも2枚組なので、それなりの値段になってしまうので、お小遣いが厳しい人は無理に買わなくていいです。僕らの新作を買ってくれた方が嬉しい。 あの頃、家が一軒建つくらいのお金を使ってアルバムを創ってました。笑。今は7年落ちの国産中古車一台くらいかな。でも、今も昔も音楽に込める情熱は1ミリも変わっていません。 ソニーにいる時、スタッフたちはほんとうに頑張ってくれました。でも、「売れる」という結果はなにも残せなかった。僕本人が「売れる」ことに今も昔も興味がなかったからです。そんな意味ではほんとうに申し訳なかったと思っています。でもね、この音を聴いてもらって、エヴァーグリーンなものを創ろうとしていた意志だけは間違ってなかったと思ってもらえるか、と。 ライナーは長谷川博一さんに書いて欲しかったのです。それが叶わないので、木村由理江さんにお願いしました。彼女のフラットな文章がとってもとっても素晴らしいです。由理江ちゃんは齋藤和義くんをデビューの時から激推ししていて、そのおかげで僕も和義くんに興味を持った次第です。もう随分前の話だけど。

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Recording days#048

7月30日 水曜日 晴れ 思い返せば、物心がついた頃から、世界に対してずっと「違和感」を感じてきた。それはどうしようもないレベルのもので、60の齢を超えても増えるばかりで減ることはなかった。「違和感」はいつだって「生きづらさ」と直結していた。 とくにバブルの頃はほんとに発狂寸前まで追い込まれた。 1996年に「Tokyo City Man」の中に「ここに君の居場所なんかない」と書いたけれど、否定形で書いてポジティヴに響く離れ業(笑)に到達する以外に生きる場所はなかった。最近この曲のリクエストが多くて、たまに歌ってみるんだけど、妙に熱くなる自分がいる。要するになにも変わってないってことなんだと思う。 ひとつだけ変わったことがあるとするなら。 その「違和感」こそが自分をここまで生かしてくれた燃料だったのかもしれん、と感謝することか。 今月、六か所と福島を自分の目で再確認して、ニンゲンに深い絶望感を覚えた。数日、誰にも会いたくなかった。どうかしてる、とか、狂ってる、を通り越して、喉元を過ぎるとなにもかも忘れてしまって、また同じことを繰り返し、いよいよ取り返しがつかなくなったなら、怯えて泣きじゃくるだけの、目の前のことと、自分のことしか考えないクズみたいな動物なんだ、と深く知覚した。 フジロックでTOSHI-LOWがこう言い放ったんだと。「社会を問え、政治を問え、福島を問え、広島を問え、ガザを問え、何よりも自分自身を深く問え」。 その通りだよ。この言葉、全員が自覚したら、世界は変わるかもな。 絶望したから諦めるのか?いいや、そんなことはない。生きてる限り、問い続けるだけ。答えなんか風の中にはないことも知ってるけど。 このテレキャスターは固有の響きがする。つまりはそういう生き方をしてきたってこと。この人は調和の難しさと、その意味深さを知っている。表現者がやるべきことって、たとえばこういうことだよ。数じゃないんだ、オレにとっては。      

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Recording days#047

7月29日 火曜日 晴れ 電話。 同じ音が鳴っているはずなのに、よくない予感は当たる。 もう数十年に渡って、地方を一人で回ってる。「ドサ回り」って酷い言い方をする奴もいるけど、そう思うなら、お前がやってみな、過酷すぎてすぐ逃げ出すぜ。あくまでもバンドを見てもらうための布石だと思って続けてきた。諦めなけばオレの勝ち。笑。 だからHWがバンドで行くとしたら、大都市ばかりじゃない。ほんとうにこころを込めて応援してくれてる町には必ず行くから。いつの日か。 一年に一回だけ会う人たちが日本じゅうにいて。ある意味、定点で観測しているから、変化が町の人よりも気づきやすかったりする。彼らはオレが足で築いた、かけがえのない財産。たとえば大きな震災が起きたら、なにかしたいと思ったときに、必ずその土地に友人がいる。いつだってそうやって行動してきた。その輪はまっすぐに生きていたなら、静かに広がっていく。こんな豊かな人生を送らせてもらっているのは、市井に生きる彼らのおかげに他らならない。彼らが生きていくために必要な歌を書けたら、といつも思う。 感謝しかない。 北陸にたくさんたくさん種を蒔いてくれたミネちゃんが亡くなった。金沢のクマちゃんはオレに何度訃報を伝えてくれただろう。お互い言葉を失って、電話のあと屋上に行って空を見上げた。ミネちゃん、今年行ったときに見舞いに行こうかどうか悩んだんだよ。でも、若いし、君なら戻ってきてくれるって勝手に決めつけたことを少し後悔してる。 新聞にこう書いてあったよ。「優しくて強くて、最高の夫で、最高のお父さんでした」。君が結婚したときも、子供が生まれたときも、悩んでいるときも、元気なときも、たくさん知ってる。稀に顔を見せない年は心配したよ。でもミネちゃんはいつもミネちゃんで、ミネちゃんのやり方でオレたちを応援してくれてた。そして君の写真は一枚も持っていない。でも大丈夫、オレは忘れないよ、ほんとうにありがとう。 川端さん、大西くん、ヘイちゃん、タクさん。星になったみんなによろしくね。その優しさで家族の未来を照らしてあげてください。 ふぅ。 イチローさんの英語のスピーチを見た。当たり前だけど、オレより上手かった。ジャングリッシュは理解しやすいんだけど、80%くらいだっただろうか。その中で野茂英雄さんに向けてだけは「日本語」だったんだよね。そこにグッときた。わかってらっしゃる。もちろん超絶な個人の努力の礎に基づいてるんだけど、パイオニアとして野茂さんの存在がなければ、さらに険しい道のりだったんだろうね。 人は一人であるべきだけど、決して「独り」ではない。あの二人が互いの背中を見て、励ましあっていたとしたら、素晴らしいよね。野茂さんもイチローさんも、自分のスタイルを変えなかった。それってものすごいことだと思う。 オレはちょうど「1995」を信濃町のソニーのスタジオで録音してる頃で。全員、録音を放り出して野茂さんのピッチングを見ていた。痺れるような快投にどれだけ励まされたことか。 ただ励まされてるだけじゃなくて、群れることなく、こんな風に生きなきゃって思ったよ。 有名無名に関わらず。人は影響しあって生きている。だからこそ、襟を正して、自分の道を行かなきゃね。

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Recording days#046

7月28日 月曜日 晴れ 細かい作業を積み重ねています。実に地味。 本来なら、その道のプロに任せたい作業です。パーカッションだったり、コーラスだったり。オレだって、ソファーにふんぞり返って指示だけしていたい。 でもまぁ、自分でやれることなら、わたすがやれば、大幅なコストの削減ですからね。今のところ、エクストラな楽器はすべてわたす一人で担当しております。アシスタントもエンジニアもいません。自分で演奏し、自分で録るのです。宅録と言われると状況は確かにそうなんだけど、ちょっとイラっとします。違うがな!これはアルバムで育ったオレたちの最後の意地だって。2025年にロックンロールを続ける方法なんだよ! ぜったい完成させてやる。っつー超ド根性のようなものがわたすを支えております。 基本的に細かい楽器は入れない方がいいんです。重ねれば重ねるほど音楽は死にます。頭の中にあるアイデアはすべて試してみて、結局使わないのが85%。でも、それをすべて試すことに意味がある。たまに絶大な効果を生むものがあったりするのでね。 なので、わたすのスタジオにはドラムを除くほとんどの楽器があるわけです。 ラーメンに例えると、麺の湯切りをして、丼を温めて、醤油やタレを入れて、今チャーシューやネギを盛りつけてる感じっすかね。チャーシューないと寂しいじゃないすか。笑。 もうすぐ、すべての音入れが完了する予定です。で、8月になって、8/21,22のライヴっつー大仕事をやり終えたなら。 わたすはフェリーに乗って九州に還ります。ハートランドである阿蘇にこもって、wifiのないところで、アルバムのミキシングに専念するためです。 Highway 60~61と銘打たれた僕のソロライヴ。2025年のうちに61本目まで到達することは諦めました。どう考えても時間が足りない。でも九州人が九州に還ってるのに、今年はソロライヴが一本もないなんて、、、、。 なので、一本だけ故郷、福岡でライヴをやることにしました。たぶん、その頃にはヒゲボーボーの山男になっているものと思われますが。ぜひぜひ来てください。えっと#051だったかな?今年のソロライヴはこれが最後になると思います。各地行けなかった場所に住んでる人たち。ほんとにごめんね!    

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Recording days#045

7月27日 日曜日 晴れ レコーディングにほぼひとつきぶりに復帰しています。 旅ってほんとうにいいよね。「おたる潮まつり」が開催されたこと。そこで行われているいろんなことが嬉しくて、その町で初めて出会った鈴木惣一郎さんに連絡したら、お互いレコーディングが佳境を迎えていて、わけもなく励まされる、とか。 グレイプバインのおかげで知り合った(会ってないんだけど 笑)高野勲さんが知らなかった音楽を紹介してくれる、とか。 そういうのとってもプレシャス! なので、人から紹介してもらった素晴らしいものはかならず誰かにシェアすることにしています。だって、歓び2倍になるんだもん。 昨日は1日、笛(ティンホイッスル)を吹いていました。すべてアイルランドで買い求めてきたものです。とはいえもう30年以上の時間が経過しているのでかなりヴィンテージ化しています。これはとっても安価な楽器なんだけれど、吹くべき人が吹いたら素晴らしい音がします。オレね、大抵の楽器は演奏できるけど、笛はかなり苦手な部類に入ります。昨日はG管とD管を吹いたんだけど、G管はむっちゃ短いので、指がマメらない。しかも半音は小さな穴を半分ずらして吹くのです。にゃんと3オクターブ出るんだけど、それは息の強さでコントロールするしかないのです。 難しいんだけど、これだけプリミティヴな楽器に久しぶりに接してみると、思うことが多々あります。要するに「発露」がいちばん大事だってこと。メソッドなんかどうでもよくて、そこに向かっていけばフレーズになにかが宿るってこと。 この楽器、今やアマゾンで買えます。2000円もしないくらいかな。「荒野の風」とかD管で簡単に吹けるからみんなやってみたら?どうやって吹いたらいいのかわかんないって人は文明にだいぶ脳みそヤラれていて、どうやって吹いたらいいのかわかんないから、いーんじゃん。そのプロセスにワクワクしませんか? 「荒野の風」くらいなら、たぶん誰もが1日で吹けるようになると思うよ。やってみて。D管だからね。穴はたった6つしかないから。Dだと「明日のために靴を磨こう」とかセッションできます。んなもんテキトーに吹けばいーんです。愉しいから。    

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亡父誕生日

7月26日 土曜日 晴れ   亡父誕生日。  昭和8年だから、生きていたら92歳。まったく同じ日に(すごいことだと思う!)生まれた母上がいらっしゃる方と、やり取りをします。どんな風に宇宙が繋がってるんだか。笑。その母上と実際にお会いしたことはないのに、なんだかふかーいところで繋がっている気がするのです。父親のお墓は殺風景な納骨堂なので、いつかこの日にその母上のお墓参りに行けたらなぁ、と夢想しています。  先日、父の姉(つまり叔母)に会いにいきました。施設にいて、もう僕のことを知覚できなかったけれど、それでもbloodってすげぇなぁ、と思うのです。彼女が元気だったころ、僕に伝えてくれたことはたったひとつ。「山口家の男たちはとっても優しいの。それゆえ、傷つくこともあるし、あなたのお父さんもそうだったけれど、その優しさを忘れないでね」。そういう言葉は忘れないものです。  そういえば、祖父には目の中に入れてもおかしくないくらいに可愛がられた。わたすを詠んだ句が残されている。父親とは魂の深いところで繋がっていて、わたすを描いた絵や、飲み過ぎてわたすに怒られた反省文なんかが残っている。笑。  たぶん、優しさは遺伝するんだと思う。てか、失ってはいけないと思う。それがbloodの意味だから。  もはや、その墓を継ぐ人間もいないので、これはそろそろわたすがなんとかしなきゃいけないんだけど。命を繋いでくれた先祖のみなさんに申し訳が立つような生き方をしなきゃ、と思う。  これにて、山口家絶滅。でも、精一杯生きた結果だから、許してくれると思う。勝手だけど。たくさんの歌が宇宙に放たれたのが、救いといえば救い。  自分が育ってきた経緯を振り返るに、「一度きりの人生だったから」すべてのことに耐えられたんであって、これを二回やれって言われたら、ぜったいに嫌だ!笑。だから、若い頃に戻りたいなんて1ミリも思わないけれど。もし、自分に子供がいたなら、似たような資質で世の中を渡っていくのが危なっかしくて見ていられないと思う。きっと若くして死んだ親父もそんな気持ちだったんだろうなぁ、と。  だから、こんな世の中で子供を育てている人たちはすげーなぁ、と思う。親父がわたすに伝えた唯一のことは。  「勉強なんてしなくていい。やがて、それが必要になったときに、おまえはそれをやるだろう。自分の人生なんだから、好きに生きろ。ただし責任は自分で取れ」。  高校生のとき、学内停学記録を作った際、怒り悲しむ母親の横で、淡々とわたすに親父が語った言葉です。わたすの停学記録は教育実習で帰った際「未だ破られていない」と。笑。  実はあとひとつ、なにかやらかしたら退学で、にもかかわらずレコード屋でタバコを吸っていたら、数学教師が入ってきたのです。がーーーーん!高校中退!でも、その教師は親父の教え子だったので、さすがに恩師の息子を退学処分にできなかったというオチつき。笑。  そういうのも、今となっては愉しい想い出。

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死とはなにか?

7月25日 金曜日 晴れ   昔ほどの活字中毒ではなくなったけれど。  乗り物の中でスマホを見るのが嫌いなので、たいてい本を読んでいるか、原稿を書いているか。本は持ち歩くと重さがかさばるので、駅や空港で買うことが多い。でも、書店の衰退も激しくて、読みたい本はたいてい売っていない。  でもこの本はどこの空港で買ったのかな、福岡かな?稲垣栄洋さんという方が書かれた「生き物にとって死とはなにか」。  着陸までのあっという間に読みましたが、とっても示唆に富んでいました。「死」を意識するのはほぼ、ホモサピエンスだけなわけで、動物たちが死ぬときに何を想うのか。生き物にとっての「生きる意味」とは何なのか。  根源的なことがとても平たく書かれている本。 ————  熱くなったアスファルトの上で干上がっているミミズたちも、決して死にたいと思っていたわけじゃない。命が尽きる最後の瞬間まで、彼らは生きようとしていたはずだ。中略。「生きる」とは「まだ死んでいない」というだけのこと。死ぬまで、ただただ生き続ける。それが「生命」である。  なぜ大根は畑から引っこ抜かれても葉を出し続けるのか。  ウシは殺されるために生まれてきた動物である。  –わたすがなにかの歌に書いたことと同じことが書かれている。– あなたは生まれる前にすでに数億分の1の奇蹟を起こしている。だから、決して敗者ではない。あなたという勝者の陰には数億の敗者が存在している。だから、生きる悲しみも苦しみも、勝者にだけに許された感情なのだ。  私たちは未来を想像することができる。きっと未来を想像することで、「今」を大切に生きることができるはずだ。その未来を、古人は「希望」と名づけた。 ————  このようなことが書かれている。違うpoint of viewから「死」を見つめるのはとても素晴らしい経験。誰もが一度だけ体験するそのプレシャスなことを想像してみるのは悪くない。  自分に置き換えるなら、「誠実である」ってことはどういうことか?それはどんなときも単純にまっすぐであることではない。臨機応変に智慧を使って、いちばんいい結果に導くことが誠実さじゃないか、とこの頃思う。

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損失

7月24日 木曜日 晴れ わたすの一本気もほんとに度を超したものでして、メールアドレスはコンピューターを大枚はたいて買った1994年から一度も変わっていません。今さら変える気もないし、googleの軍門には下るつもりもないし。契約しているプロバイダーがなくならない限りはこのままで。 ただし、これだけ長い間使っていると、迷惑メールの数が半端ない。とんでもない量の迷惑メールが送られてくる。幸いAppleのフィルターが今のところうまく機能しているので、自分の実作業は少ないのだけれど、これって受け取る方もかなりの損失であることに変わりはなく。いい加減、こんなことは社会の無駄に過ぎないってことを理解してくれないだろうかと思う。稀に大切なメールが迷惑メールに埋もれることがある。 ほんとに迷惑なんだよ。 インスタのアカウントについに「なりすまし」ってやつが出現して、各方面から連絡があった。あんたのその行為のせいで、どれだけ時間を割いてると思ってんだか、まったく。「なりすまし」の目的は株運用のLINEに誘導して金を得ることらしく。おそらく外国からそれをコントロールしている模様。 健全なファンなら、わたすが投資や株のようなものに1ミリも興味がないことはご存知か、と。てか、金ってものは額に汗して働いた労働の対価に他ならなくて、それを増やしたいと思ったことは一度もない。使うならば、自分のためというより、誰かのために使う。使うから、なんとなく入ってくる。そう循環しているだけのことで。 こんなことでオレの時間を奪わないでほしい。てなわけで、こいつです。もちろんMeta社にわたす本人が通報しましたよ。でも、彼らがなにもしないことくらい知っているので、期待していません。なので、全力でシカトしてください。     私は土地を買わないし、株も買いません。NISAだっけ?それなに?1ミリも興味ありません。 実体のない経済。株が上がったり下がったり。そのようなことが世界を混乱させていることは間違いなく。仮に自分が投資したとして、運用を任せた会社が軍事に関連することに投資しているなら、間接的に自分が戦争に手を貸していると思うのですよ。まぁ、これはオレの考えだけど。原子力と戦争には一切関与したくないのです。 この国には「核」が必要だとのたもうた候補者がいました。おまえ、広島と長崎に行って、目ん玉かっぽじて自分の目で見てこい。ついでに六ヶ所村もな。とマジで怒りに震えました。 右でも左でも中庸でもない。あるのはオレ、それだけです。      

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ご報告

7月23日 水曜日 晴れ グレイプバインのライヴはイマジネーションを多分に刺激してくれるものでした。ほんとうに素晴らしかった。未だ余韻の中にいます。鍵盤の高野さんを通じて、久しぶりに田中くんと連絡が取れて、シンガーとしても超ド級に素晴らしかったこと、伝えられてよかったです。 マイク・スコットがデニス・ホッパーを敬意とともに歌うアルバムが24時間流れています。にしても、我が家が快適すぎる。笑。 マイクがなんのためにこのアルバムを創ったのか。旅の中盤あたりで、疲労が重なって、筋トレは意地で続けたけれど、英語の勉強を一旦ストップしたのです。そしたら途端に英語が入ってこなくなった。文章を読むのも苦痛。まだぜんぜん血の中には流れてなかったってことですね。なので、再開します。 えっと、僕が勉強してるのは中学、高校英語レベルです。だって学生のときにやってないんだから、そこからやり直さないとね。にゃんとか今年いっぱいでそのレベルは自主的に卒業するつもりです。 話をマイクに戻すけれど。名曲「The whole of the moon」に影響を受けた輩は世界じゅうにたくさんいます。小樽で長谷川さんの回顧展にもアルバム「This is the sea」が展示してあったなぁ。そういえば彼とこの曲に関して「ロックンロールの永遠性」についてたくさん話をしたなぁ、と。 レクチャーって書くと偉そうだけど、随分前に水戸でそのようなことをしたことがあります。それもまた意味のあることだったなぁ、と小樽で鈴木惣一郎さんの話を聞いていて思ったのです。演奏と絡めて、そういう辻説法士みたいなツアーもあるなぁ、と思うのです。DJだってできるしね。 渋谷陽一さん。高校生でレコードを買うお金がないころ、NHKの「サウンドストリート」でとてもお世話になりました。ボブ・マーリーの回ではなにを歌っているのか知りたくて、彼の訳詩の朗読まで含めて録音して、擦り切れるまで聞きました。間違いなく、それは僕の血肉になっています。今でも一言一句、彼の言葉で思い出せます。ツェッペリンも。ロッキンオンはアマチュアだった僕らを東京まで呼び寄せてくれ、何度も記事にしてくれました。後にいろいろあって、一切載らなくなりましたが(笑)、どこの馬の骨かわからないころから応援してくれたことに感謝しかありません。CHABOさんとのライヴに何度も足を運んでくれました。たぶんある種の盟友であったであろうCHABOさんの胸中を想うと胸が痛みます。 第一船団の方々が続々と空に還っていきます。きっと僕らは第二船団の真ん中くらいに位置していて。伝えてくれたことを、ちゃんと次の世代に手渡したい。そんな気持ちがとてもあります。 水戸で「甦る」のための募金を預かっています。主催者のひとり伊藤くんが浪江まで酒を買いにいき、もうひとりの甲斐くんがメヒカリの燻製(これ、めっちゃ美味かった!)を作ってくれました。MY LIFE IS MY MESSAGEでお預かりすることを考えましたが、みんなのこれだけの気持ちは一旦僕がプールして、「甦る」にまつわるイベント(稲刈りとか)の際、水戸からの気持ちだって、わかりやすい形でお渡しするのが、志と志をつなぐことかと思います。 動きがあるときにここでお伝えします。ほんとうにありがとう! 日々、誠実に生きたいものです。

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day#013、家に帰る、そしてグレイプバイン

7月22日 火曜日 晴れ いつまでもこんなバカなことができるとは思っていないけれど。 多くのシンガーが新しい歌を書けなくなるのは動機がなくなってしまうからだと思う。考えてみればそれは理にかなっていて、大人になって、それなりの地位を手に入れてしまえば、市井の人と接したり、社会の矛盾に直接触れ合う機会は激減。セレブリティーであることは表現者にとってはかなり危険なことになる。「ネブラスカ」を今のブルース・スプリンスグティーンが創ることはできない。良し悪しではなく、それは当たり前のこと。 望んだわけじゃないけど、無駄にセンシティヴな感受性がはっきりとある。アンテナが受信してしまうのだから仕方ない。その後の付き合い方を間違えると、それが自分を苦しめることになる。徹底的な経験主義は文献もネットも、要するに机の上のことはなにも信じない。自分が体験したことだけで自分を作り上げていくこと。 記事なんて、誰かの主観が必ず入っている。そこをきちんと差引かなければ、情報として受け取らない。そして、それは断じて「経験」ではない。そこを勘違いするから、おかしなことになる。あくまでも自分の場合。知ったような錯覚を起こすのがいちばん危ない。 自分のためにやったのではない。役目として、この時代に老齢にさしかかったソングライターが歌を届けるには、まずはこの国をできるだけ自分の目で見てみたかっただけ。なんなら、芭蕉のような移動方法がベストだと思う。でもまぁ、それにいちばん近い方法として、イージーライダーに育てられたオレはハーレー・ダビットソンを選んだ。 旅はプロセス。目的地に行くことが旅ではない。だから、自力で地図を読み、天候を読み、たまには雨に打たれ、ドロドロになることに意味がある。予定通りにその場所に着くのは目的にはならない。ただし、ライヴがあるわけだから、できるだけベストの体調で必ずそこに到着することは求められる。書けば、これだけだけれど、これはかなりクリエイティヴィティーが求められる。矛盾するようだけれど、そこにやりがいがある。 ただでさえ酷暑だったから。身体的負担はなかなかなものだった。考えぬいてプロテクター入りのメッシュの上下を着ていたけれど、発汗量が半端なく、ベルトの穴がどんどん細い方へ移動して、ついには穴がなくなってしまった。 ヘルメットをかぶっているのに日焼けして、ある日思った。ちょっとだけ漁師のようないい顔になってきたなぁ、と。望んでいたことだ。嬉しかった。 多くの人に会った。どの街でも「まだこの時代にこんな人がいるんだ」って人物が。そのことに、とてもとても救われる。願わくば自分もそうありたいものだ。どの街でも「まだこんな風景が残っていたか」という出会いがある。そのことにとてもとても救われる。 そして、母なる惑星は破壊が壊滅的に進んでいる。六ヶ所村と福島の浜通りの6号線。ぜひ自分の目で見てください。僕らの欲望のツケを払うのは僕らではなく、未来を生きる子供たち。その厳然とした事実に、自分に吐き気を感じて立ち直るのは難しかった。 ただし、自分は無力なので、という誰もが吐く言い訳はぜったいに言わない。オレは最後の1匹になっても、自分のやれることをやる。 ロックンロールは自分を奮い立たせてきたのだから、自分で演奏することで奮い立たせたのです。ギター一本で。 最終公演地、水戸の最後の曲でついにギターから音が出なくなった。最近のヤイリギターは脆弱だなぁ、と思います。このくらいのハードな旅についてこいよって。じゃなきゃ、相棒とは呼ばないよ。 水戸からの約200キロをひと思いに。 家にたどり着いてびっくり。オレはこんな快適な家に住んでいたことを知らなかった。ここはウェールズ人のオーナー夫妻と不思議な縁で守っているオレンジハウス。家族にも心配をかけてほんとうに申し訳なく。 どんなに疲れていても、その日の終わりに相棒をピカピカにします。それが事故を減らすひとつの方法か、と。なので、今日は隅から隅までピカピカに。あとはバイク屋ですべてのオイル交換を。80キロくらいでハンドルがブレるので、ひょっとするとステアリングダンパーをつけなきゃかも。 リンドバーグにあやかって、自分のバイクを「sprit of Fukushima」と密かに呼んでいます。今回親御さんの介護でくることができなかった友人が贈ってくれた「NO REGRETS」というバックルがシーシーバーにつけられているのです。 大病を患った友人と一緒に仕事ができて、よかった。足を怪我したドラマーと一緒に演奏できてよかった。なにはともあれ、我々にとって最高の財産は健康だから。 もー、みんなに筋トレ教えようかな。笑。 第一次産業のともだち、そして田んぼでの草刈り。学ぶことは山のようにある。田んぼはね、セザンヌの絵より美しい。でも、「ここにムラがあるでしょ?ここに草が生えてるでしょ?」。オレにはぜんぜんわからないんだよ。こうやって、技術は受け継がれてきた。尊いんだよ。だからさ、見ようとさえすれば、見えてくるものはたくさんあるんだ。 テレビとネットを捨てて、旅に出ようぜ。 素晴らしい旅でした。関わってくれたみなさん、ほんとうにありがとう。オレはちょっとだけ、憧れてた漁師になったよ!笑。 さすがに2週間2500キロ、5本のライヴ。帰ってきたらボロボロを通り越して、なんだろう、出汁をとったあとのいりこ、みたいな。 でもね、大好きなグレイプバインが横浜でライヴ。そのお誘い。先日長田進さんと彼らの曲を演奏して、とっても良かったし、鍵盤奏者の高野さんのお誘いだし。 良し!無理してでも行こう。 日本のバンドがここまで到達したのか、という喜びに満たされました。楽曲、演奏力、アレンジ、ダイナミクス、発露、アンサンブル、そしてなによりも田中くんの歌唱力!まじか、あいつすげーな! 素晴らしかった!ほんとうにいいバンド。シングルコイルとハムバッカーのアンサンブル、とってもグッときました。 いろんな風景が目前に浮かんでは消える。肉体性に満ちた精神性の高い短編映画をたくさん見ているような感覚。 ありがとう!行ってよかった。 自分の町に帰って、いつもの店に顔をだして撃沈。家族によると「打ち上げられたモズクのように」寝ていたそうです。笑。

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