7月26日 土曜日 晴れ
亡父誕生日。
昭和8年だから、生きていたら92歳。まったく同じ日に(すごいことだと思う!)生まれた母上がいらっしゃる方と、やり取りをします。どんな風に宇宙が繋がってるんだか。笑。その母上と実際にお会いしたことはないのに、なんだかふかーいところで繋がっている気がするのです。父親のお墓は殺風景な納骨堂なので、いつかこの日にその母上のお墓参りに行けたらなぁ、と夢想しています。
先日、父の姉(つまり叔母)に会いにいきました。施設にいて、もう僕のことを知覚できなかったけれど、それでもbloodってすげぇなぁ、と思うのです。彼女が元気だったころ、僕に伝えてくれたことはたったひとつ。「山口家の男たちはとっても優しいの。それゆえ、傷つくこともあるし、あなたのお父さんもそうだったけれど、その優しさを忘れないでね」。そういう言葉は忘れないものです。
そういえば、祖父には目の中に入れてもおかしくないくらいに可愛がられた。わたすを詠んだ句が残されている。父親とは魂の深いところで繋がっていて、わたすを描いた絵や、飲み過ぎてわたすに怒られた反省文なんかが残っている。笑。
たぶん、優しさは遺伝するんだと思う。てか、失ってはいけないと思う。それがbloodの意味だから。
もはや、その墓を継ぐ人間もいないので、これはそろそろわたすがなんとかしなきゃいけないんだけど。命を繋いでくれた先祖のみなさんに申し訳が立つような生き方をしなきゃ、と思う。
これにて、山口家絶滅。でも、精一杯生きた結果だから、許してくれると思う。勝手だけど。たくさんの歌が宇宙に放たれたのが、救いといえば救い。
自分が育ってきた経緯を振り返るに、「一度きりの人生だったから」すべてのことに耐えられたんであって、これを二回やれって言われたら、ぜったいに嫌だ!笑。だから、若い頃に戻りたいなんて1ミリも思わないけれど。もし、自分に子供がいたなら、似たような資質で世の中を渡っていくのが危なっかしくて見ていられないと思う。きっと若くして死んだ親父もそんな気持ちだったんだろうなぁ、と。
だから、こんな世の中で子供を育てている人たちはすげーなぁ、と思う。親父がわたすに伝えた唯一のことは。
「勉強なんてしなくていい。やがて、それが必要になったときに、おまえはそれをやるだろう。自分の人生なんだから、好きに生きろ。ただし責任は自分で取れ」。
高校生のとき、学内停学記録を作った際、怒り悲しむ母親の横で、淡々とわたすに親父が語った言葉です。わたすの停学記録は教育実習で帰った際「未だ破られていない」と。笑。
実はあとひとつ、なにかやらかしたら退学で、にもかかわらずレコード屋でタバコを吸っていたら、数学教師が入ってきたのです。がーーーーん!高校中退!でも、その教師は親父の教え子だったので、さすがに恩師の息子を退学処分にできなかったというオチつき。笑。
そういうのも、今となっては愉しい想い出。
お父さまが昭和8年って!
2年前に亡くなった母が生まれた年です。
秋に(夏休みを取るので)お墓参りに行こうと思ってます。